24 だけど、俺はここにいる
オレンジの波が、ぐわんぐわんと揺れる。
夕焼けのオレンジに包まれた世界。光が、まるで何かに乱反射でもしているかのように揺れている。
違う。
光が揺れているんじゃない。揺れているのは、俺の身体なのかもしれない。
芯を失った俺の身体が揺れているせいで、まるで光に揺さぶられているように感じているのか。
分からない。もう、自分の感覚も信じられない。
厳島を乗せた車が走り去った後、俺は一人、夕焼けの中に立ち尽くしていた。
立ち尽くしていた、という表現は正しいのだろうか。立っているんだろう、多分。倒れているわけではないのだから、まだ立っているはずだ。
そんな感覚まであやふやになっていた。地面に足をつけているという実感が、ひどく薄い。
違うよ、加藤。お前、今宙に浮いてるんだぜ。
もしも誰かにそう言われたら、すんなりと納得してしまいそうなほど、自分の存在が心許なかった。
厳島。
光の中で、俺はまたさっきの光景を思い出す。
厳島に一瞥もされなかった俺。楽しそうだった二人。
叫んでも、声すら届かなかった俺。幸せそうだった二人。
俺の実在性を嘲笑うかのように、またぐらぐらとオレンジの光が揺れる。
不意に、車の止まる音がした。突然、視界がクリアになる。
俺の二十メートルくらい先に、さっきの車が止まっていた。どこかを一回りドライブして、また元の場所に帰ってきたという感じだった。
「ありがとう」
華やいだ声とともに、車から少し幼い厳島が下りてくる。あの男が運転席の窓から顔を覗かせる。
「――……」
男の口が動く。何か言っている。厳島に何か話している。
でも、男の声はノイズがかかったように聞こえない。俺の耳には届かない。
「うん」
「そうだね」
「いいよ」
男に答える厳島の明るい声だけが、はっきりと聞こえる。
「じゃあ、またね」
少し甘えたような声でそう言って男に手を振り、厳島がこちらに歩いてくる。目の前に立つ俺の存在に気付く様子もなく、何度も振り返っては男に手を振る。
「厳島」
俺は厳島を呼んだ。
どうせ無駄だろう。そんなことは分かっていたけれど、それでも声を出す。
厳島は、反応しない。また、光が揺れ始める。
ああ、くそ。
不規則に揺れるオレンジの波の中を、まるでかき分けるようにして厳島が近付いてくる。
幸せそうな微笑み。けれど、その目は俺を見ない。
俺を通り越して、その向こうのどこかを見ている。もっと先にあったはずの、あの彼氏との楽しい未来か何かを。
「厳島」
もう一度、呼びかける。
でも厳島は俺を見ない。俺の声は届かない。ただ、オレンジの波だけが揺れる。
きっと俺には発言権がないんだろう。
ここは、きっと厳島の記憶の中だ。死んだ彼氏との、美しい思い出の世界。そこには、部外者である俺の入り込む余地なんてないのだ。
厳島が大学生の彼氏と付き合っている頃、俺は中学最後の大会に向けてなけなしの情熱を燃やしていた。
それを青春とか呼ぶつもりもないけれど、厳島に比べれば、笑っちゃうくらいに健全で単純で幼稚な生活を送っていた。いっちょまえに、人生を懸けたつもりになってた。ここで勝てなきゃ俺の人生は終わりだ、なんて生意気に思い詰めてた。
結果はご覧の通りだ。俺は特に大した成績を残すこともなく普通に中学の陸上部を引退したけど、それでも俺の人生はちっとも終わらなかったし、何なら今の方が楽しく生きてる。そして、俺は今でもぬけぬけと陸上をやっている。
そんな俺とでは、厳島は住む世界が全然違ったんだ。
だからきっと、そんな俺がここに立っていること自体、許されはしないことなんだ。
ここは、厳島とあいつだけの世界。
「厳島」
それでも、俺は厳島の名前を呼んだ。
ここに俺の居場所なんてないのかもしれない。
だけど、俺はここにいる。
何でいるのかは知らない。俺が勝手に来たのか。それとも、お前が呼んだのか。そんなこと、俺には分からない。
だけど。
だけど、俺は今ここにいるんだ、厳島。
厳島があいつを振り向いて、最後に大きく手を振った。
幸せそうな、満面の笑み。その笑顔のままで、前に向き直る。
「厳島」
オレンジの光が揺れる。厳島が通り過ぎていく。
「厳島」
俺を一瞥もしないまま。俺の声に気付きもしないまま。厳島が俺の目の前を、通り過ぎていく。
「厳島!」
不意に、厳島がくしゃっと顔を歪めた。
その目が、確かに俺を見た。
「助けて、加藤くん」
厳島が通り過ぎていく。
笑顔のままで。




