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閉ざされた夜の校舎、君と二人きりで  作者: やまだのぼる@アルマーク4巻9/25発売!


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22/29

22 だから、つまり


「呼んで」

 厳島の声が、俺に呼びかける。

「私のこと。厳島って」

 声は間違いなく、厳島だ。それは認める。悔しいが、どうしようもない。

 姿も、厳島だ。それも認める。多分、厳島の両親だって、そこについては認めざるを得ないだろう。

 声も、外見も、完璧に厳島なのだ。俺の好きな、厳島。

 だけど、俺は認めない。こいつは厳島じゃない。こいつには厳島に必要な、厳島を構成する大事なものが足りない。

「ねえ」

 焦れたような、声。

「加藤くんってば」

 それでも俺は応えない。

 俺の好きな厳島。その透明感のある優しい声も。よく見ればすごく整った目鼻立ちの顔も。 すらりとした身体だって。

 嫌いなわけはない。大好きだ。

 目の前のこいつは、それを全部持ってる。

 でも、俺の好きな厳島は。

「いやだ」

 俺はきっぱりと首を振る。拒絶。

「呼ばない」

「どうして」

 厳島にそっくりの女が、悲しそうに顔を歪める。

「近付かなければ、私のことを厳島可織だと認めてくれるって言ったのに」

「言ってねえ」

 また、首を振る。拒絶。拒絶。

「俺はそんなことは言ってねえ」

「言ったわ」

 女の声が、微かに捻じれる。

「加藤くん、そう言った」

「言わないんだよ」

 答える俺の声も、それに引っ張られるように掠れた。

「言わないんだ」

 見慣れた顔の見知らぬ女を睨み、掠れた声できっぱりと、俺は言う。

「お前が本当に厳島だったら、お前が今言ってるようなことは、絶対に」

 厳島は、どこまでも人に優しい。

 他人の不幸がまるで自分の幸せであるかのように喜ぶ連中ばかりの中で、他人の幸せを自分の幸せのように喜ぶことができる。

 こんな子が、本当にいるのか。そう思ってしまうような、そんな女の子。

 俺が一生懸命くだらない話をする。それを聞くときの、彼女の目。彼女が俺に向ける眼差し。

 俺が厳島を好きな一番の理由は、そこにある。こいつには絶対にできない、あの眼差しにこそ。

「加藤くん、あなた」

 不意に、女が口元を歪めて笑った。

「いったい厳島可織を何だと思ってるの?」

「あ?」

「まさか厳島可織のことを、誰に対しても優しくて悪意なんかこれっぽっちもない、けがれなき天使か女神のような女の子だ、なんて思ってないよね」

「な……」

 こいつ、急に何を言い出すかと思えば。

「おい。厳島を侮辱するんじゃねえぞ」

「侮辱? そんなわけない」

 女はいやらしい笑顔のまま首を振る。

「侮辱してるのは、加藤くんの方でしょ」

「どうして俺が」

「私を、厳島可織を、加藤くんは勝手に理想化している。本当の私を見てくれない」

 そう言うと、女は俺に右手を差し出した。

「おい、加藤。私の言ってることが分かるか」

 突然の杉村の声。

「分かる?」

 今度は厳島の声。

「こんな子、私は知らない。その意味があなたに分かる?」

 何を言ってるんだ、こいつは。

 厳島が杉村を知らなかったことの意味? 意味なんてあるのか? 俺と厳島は、もしかしたら別々の世界線からここに来たのかもしれないって、そういうことじゃないのか?

「あ、その顔。やっぱり加藤くん、何にも分かってない」

 女が目を細めて笑う。

「そういうところが好き」

 ひどく艶めかしい言い方だった。不覚にも、どきりとしてしまった。

「でも大嫌い」

「え」

「大っ嫌い!!」

 突然、女が叫んだ。

「私は、厳島可織」

「やめろ」

「私、止まったよね。止まったのに、どうして信じてくれないの」

 女が髪を振り乱した。

「騙したのね。私を」

 やめろ。厳島の顔で、声で、そんなに醜い感情を剝き出しにするな。

 聞くのが、見るのがつらくて、目を、耳を覆ってしまいたくなる。

 月が翳って、その表情がはっきりと見えないのがまだ救いだった。あんな声を出す厳島の顔を見たら、俺の感情はどうなってしまうか分からない。

 そいつがまた、俺の方に一歩踏み出した。

「止まっても、信じてくれなかった」

 すねたような声。

「じゃあ、もう止まらないもん」

 そう言いながら、歩み寄ってくる。

 くそ。捕まったら、ダメだ。とりあえず、この教室から出ないと。

 そいつに背を向けた瞬間、俺は絶望とともに足を止めた。

 そこに、影がいたからだ。

 闇の中で、闇よりもさらに濃い影。光るナイフ。

 俺の背後に、ドアを遮るようにしていつの間にかあの人影が立っていた。

 前門の虎、後門の何とかだ。俺は厳島の偽者とナイフを持った人影に挟み撃ちにされていた。

 あの音楽室から、どこをどう追ってきたのか。ドアが開く音なんてしなかったのに。

 校庭で最初に見た時のこいつは、輪郭がぼんやりとして、ただナイフだけが異様に光って見えた。

 音楽室で見た時は、もっとずっと近くで見たのに、それでも靄がかかったようにその姿は曖昧で。

 だが、今その輪郭は、はっきりと、くっきりと浮かび上がっていた。

 夜の闇の中で、闇よりも濃く。

 それはまるで、太陽に照らされてアスファルトに伸びる影が、そのまま立ち上がったかのような、歪な姿だった。

 影がわずかに身じろぎした。

 立ち尽くす俺の背後で、厳島にそっくりの笑い声が上がる。

「ほら。逃げなくていいの、加藤くん。捕まえちゃうよ」

 感情を逆なでする、俺の大事なものを土足で踏みにじるような声。

 だけど、俺は影から目を離せなかった。

 影が、俺に向かってナイフをゆっくりと振り上げる。

 それでも、俺は動けなかった。

 自分の中に突然生まれた衝動に戸惑っていた。

 さっき音楽室で感じた、あの天から降ってきたひらめきみたいなものが、もっと具体的に形を取った。

 嘘だろ。

 自分でも、それが信じられなかった。

 でも深く考えるいとまはなかった。理由も、根拠も、何もない。だが、確信だけはあった。

 俺はその確信を、そのまま口にした。


「……お前、厳島か」


 人影がぴたりと動きを止める。

 それとともに、背後の笑い声も止んだ。振り向くと、女が厳島そっくりの顔を驚きで歪ませていた。

「どうして」

 小さく呟く。その声には、もう力がなかった。

 ああ、そうか。だから、つまり。

 そういうことなのか。

「ごめんな」

 俺は女に言った。


「お前も、厳島なんだな」


 そう呼びかけた瞬間。

 世界が、弾けた。




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