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閉ざされた夜の校舎、君と二人きりで  作者: やまだのぼる@アルマーク4巻9/25発売!


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20/29

20 なあに?


 夜の音楽室。

 そいつはゆっくりと立ち上がった。

 その手に握られたナイフが、月の光に反射してぎらりと光る。

 いやいやいや。

 待って待って。

 逃げ出すという選択肢を放棄した直後だったものだから、完全にこいつから背を向けるタイミングを失ってしまった。

 平常心「え、あの、だってさっき人形だって」

 もう完全に自分の立ち位置を見失ってしまった平常心が哀れにうろたえている。

 何だよこいつ、さっきまでぴくりとも動かなかったくせしやがって。

 完全に人形みたいだったじゃねえかよ。最初に警戒させておいて、それから油断させて、で、結局やっぱりヤバいやつかよ。人の心を弄びやがって!

 完全に意表を突かれた俺の方に、そいつがピアノを回り込むようにして向かってくる。

 これはやばい。

 そう分かってるのに、身体が動かない。

 やばい。やばい。

 ナイフが光る。

 そいつの細い身体は、なんでか知らないが靄がかかったように焦点を結ばない。ただ、そのナイフだけが妙に艶かしくて。

 ああ、マジでやばい。死ぬ。俺は、死ぬ。

 こんなにはっきりと、自分が死ぬって意識することがあるだろうか。

 俺、まだ十代よ?

 そいつが眼前に迫る。なのに、やっぱりそいつの身体は靄がかかってるみたいによく見えなくて。

 なんでだよ、おかしいだろうがって思った。

 そのとき、俺はふと気付いてしまったんだ。

 ……あれ?

 あれ、こいつって。


「加藤くん!」


 ばあん、というド派手な音。俺の背後のドアが開いて、誰かが飛び込んできた。

 聞き慣れた声で、自分の名前を叫ばれた。

 それにびくっとした拍子に、自分の身体が動くことに気付く。

「厳島!」

 そう叫んで身を翻す。

「こっち!」

 厳島の声。

 俺の目が捉えることができたのは、その後ろ姿だけだった。制服のスカートが翻り、たちまち廊下へと続くドアの向こうの闇へと消える。

 背後のピアノの方から、がたっと音がした。

「うおお」

 振り返る勇気も余裕もなかった。

 我に返った途端に襲ってきた、実感を伴う恐怖で、情けない叫び声が勝手に漏れた。

 後ろからそいつが追いかけてくる気がして、今にも肩を掴まれそうな気がして、全身に鳥肌が立った。

 本当に追いかけてきてるのかどうかは、振り返れないので分からない。ただとにかく、怖かった。それでも、足は何とか動いた。

 恐怖にもつれる足を必死で動かして音楽室を飛び出すと、その直後にまた、ばあん、という音。音楽室のドアが思い切り閉まったのだ。

 閉めたのは、制服姿の女子だった。

「加藤くん、大丈夫?」

「厳島、お前」

 声がかすれた。

 今までどこにいたんだよ。心配したじゃねえか、ばかやろう。

 その言葉は、まっすぐに俺を見る厳島の瞳に吸い込まれるように消えた。

 厳島は、さっき消えてしまったときのままだった。どこも怪我をしたりしているようには見えなかった。

「お前こそ、大丈夫なのか」

「うん」

 厳島が頷く。それだけで、膝から力が抜けるほどほっとした。

 とにかく、よかった。また出会えた。厳島は、ちゃんとまだ生きてた。元気だった。

「行こう、加藤くん」

 厳島が俺の手を取った。柔らかい、手の感触。

「え、あ」

 へどもどしているうちに、厳島は力いっぱいドアを閉めた勢いそのままに走り出した。廊下を走って、その先の階段へ。

 厳島に手を引かれながら振り返るが、音楽室のドアは閉ざされたままで、さっきのやつが出てくる気配はなかった。

 よかった。

 でも、あれって。

「こっちだよ、加藤くん」

 厳島が、二段飛ばしで階段を駆け下りる。

「うお、ちょっと待て」

 そのすごい勢いに、手を繋いだままじゃ二人で転んでしまいそうになる。こんなところで転んだら、大怪我をする。

「危ないって、厳島」

 俺はとっさに手を離した。

「どこに行くんだよ」

「教室」

 足を止めることなく、厳島は言った。

「教室に戻ろう」

「でもよ」

「早く早く」

 無邪気な少女みたいな声で、厳島は言う。不可解で恐ろしいことばかりが立て続けに起きている夜の校舎で、その声はすごく場違いな感じがした。

「早く教室に戻ろう」

 まるで、音楽の授業を終えて教室に戻るときのような、普通のテンションだった。こっちはこんなにビビってるっていうのに。

「あ、ああ」

 訊きたいことは山ほどあった。

 でも、すっかり元気になった厳島が、また俺の手を取る。その手は、温かかった。

「加藤くん、早く」

 訊くことなんて、全部後でいいや、と思った。厳島が帰ってきてくれたのなら。

 それでも俺は、もう一度階段の上の闇に目を凝らした。

 静まり返った暗がりの中からあの人影が下りてくることはなかった。


 がらり、と教室のドアはいつも通りの音を立てた。それがなんだか妙におかしかった。

 俺たちは、どちらからともなくまた自分たちの席に座った。

 そこに座りさえすれば、またいつもの空気が戻ってくる。消えてしまった日常と繋がれる。そうであってくれ、と思った。

 椅子に座って、思い切り伸びをして、恐怖と緊張で固まってしまった身体をほぐしてから。

「厳島」

 俺は改めて厳島に向き直った。

「心配したぜ、急に消えちまったから」

「うん」

 厳島が神妙な顔で頷く。

「俺、わけわかんなくなっちまったよ。お前、本当に厳島なんだよな」

「本当だよ」

 厳島は鼻に皺を寄せてくしゃりと笑った。

「厳島可織です」

「一体どこに行ってたんだよ」

 俺の言葉に、厳島は申し訳なさそうに首を振る。

「分からないの。でも、戻ってこれたみたい」

「戻ってこれたみたいって……」

 今までどこにいたのか、自分でも分からないっていうことか?

 俺は立ち上がると、厳島の机の前に膝をついてその顔を覗き込んだ。

「ん?」

 厳島が俺の目をまっすぐに見返してくる。

 隣同士になってからいつも会話は交わしていたけど、こんなに近くで厳島の顔をしっかりと見ることはなかった。

 ……厳島だ。さっきまでと違って、まるで憑き物が落ちたみたいにさっぱりした顔をしているけど、この子は厳島可織だ。

「大丈夫みたいだな」

 何が大丈夫か分からないけど、俺はそう言った。

「うん」

 厳島は頷く。

「大丈夫」

「でも、ちゃんと教えてくれよ。俺たち一緒に自販機に飲み物買いに行って、それでお前が消えちまってさ」

「うん」

 俺の言葉に厳島がまた頷く。

「それで、音楽室の方からお前の悲鳴が聞こえて、行ってみたらあのナイフ人間がいてさ。襲われそうになったところにお前が助けに来てくれて」

「うん」

 自分で言いながら目が潤んできた。素直に頷く厳島を見ていたら、安堵と愛おしい気持ちが同時に押し寄せてきた。

 だめだ。ここで泣いたりしたら。俺がしっかりしなきゃ。

 首を振って、気持ちを立て直す。

「何があったんだよ」

「分からないの」

 もう一度、厳島は言った。

「気付いたら、こうなってたの」

 こうなってた?

 意味が分からない。

 二階の廊下で姿を消してから、音楽室に現れるまでの間、厳島はどこで何をしてたんだ。

 それが分からないって、どういうことなんだ。

「でも、無事だったんだな」

「うん」

 厳島が、同じトーンで頷く。

「心配かけて、ごめんね」

 厳島はそう言って微笑む。

「でも、こうして戻ってこれたから」

「そうだよな」

 俺は頷く。

「とにかく、もうどこにも行かないでくれよ。心配でおかしくなっちまうぜ」

「ありがとう。もうどこにも行かないね」

「ああ」

 俺は頷いて、それから立ち上がる。

「喉、乾いてないか? さっき買った水、廊下に置きっぱなしだ」

「あ、大丈夫。今、喉は別に」

「そっか」

 そんな会話をしながら、俺はゆっくりとドアの近くに立った。ここからいつでも出られるように。

「厳島」

 呼びかけると、厳島が俺を見た。

「なあに?」

 その表情は、もう窓を背にしているせいでよく見えない。

 俺の声は上擦った。


「……お前、誰だ」




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