1 厳島可織は可愛い
厳島可織は、可愛い。
それは、なにも俺だけの意見ってわけじゃない。このクラスの、というか厳島可織という尊い存在を認知しているすべての人類の総意と言ってもいいだろう。
嘘だと思うなら、聞いてみればいい。
さすがにあらゆる人類に聞いて回るわけにはいかないから、試しにこのクラスの男全員からアンケートをとってみればいい。
あなたの今の気持ちとして、最も適切な(最も近い)ものを選んでください。
厳島可織は可愛い。
A 非常にそう思う。
B まあそう思う。
C あまりそう思わない。
D そう思わない。
こんな形式のアンケートで。
それで、もちろん無記名ね。
記名式にすると、いきがったり照れたりして、心にもない答を書くやつがいるから、やるときは絶対に無記名。
俺だって、記名式でやるから名前もちゃんとでっかく書いてねって言われたら、ちょっとどう答えようかって考えるからな。
人間ってそういうもんだよね。
本音をさらけ出すのは、やっぱり勇気が要るんですよ。
そうじゃなきゃ、匿名のネット社会が実社会よりもあんなに治安が悪いわけないもんな。
まあ、それはいいや。とにかく、そういうアンケートを取るわけですよ。男子全員から。
そうすると、どうなるか。
このクラスの二十五人の男の中で、Aを選ぶやつはそんなにいない。まあせいぜい四、五人ってところだ。
だけど、残りは全員がBを選ぶだろう。
CやDを選ぶやつはいない。記名式ならすかしてそんなのを選ぶやつもいるかもしれないが、無記名ならまずいない。
これはもう、確信を持って言える。
男子みんなが、厳島ってクラスのナンバーワンってわけじゃないけど、なんか可愛いよな。俺ちょっと好きかも。そんな風に思っている女子。
厳島可織っていうのは、そういう子だ。
俺、加藤智之は、その厳島と割と仲がいい。いえい。
どれくらい仲がいいかというと。
自分ではっきりと言うのも照れるから、これもアンケート形式で表してみようか。
あなたと厳島可織との親密さを示す具体例として、最も適切な(最も近い)ものを選びなさい。
A 恋人同士である。
B 週末、二人でよく一緒に買い物に行く。
C 毎日、一緒に帰る。
D その他( )
こんな感じでいいか。
えー、まず、A。「恋人同士である」。
うん、これは違うね。
恋人同士だったら、こんな風に頭の中でぶつぶつ「厳島可愛い」とか言ってないで、直接本人に言うよね。
未来のことはどうなるのか分かりませんが、今のところは、恋人ではありません。ということで残念ですが、これは違います。
次、B。「週末、二人でよく一緒に買い物に行く」。
……え、それってもう恋人同士なんじゃないの。
恋人でもない異性と、そんなに頻繁に学校以外のところで会ったりしますか。するんですか。しませんよね。
……するのかな。東京あたりのすげえ進んでる高校生なら、そういうこともあり得るんだろうか。
まあここは東京じゃなくて、田舎とも都会とも言えない中途半端な地方都市の、進学校かと言われればちょっと答えに迷う程度のレベルの普通の高校なので。
恋人同士でもないのに、週末に二人っきりで一緒に買い物に行っちゃうようなおしゃれな人たちはいません。多分。いてくれるな。
そうすると、次辺りが俺の答えになるってわけだ。
C。「毎日、一緒に帰る」……。
……。
ちょっと、答えのハードルが全部高くないですか。
だって毎日一緒に帰ってたら、それってもう恋人同士なんじゃn(以下略)
そもそも俺は自転車通学で、厳島は電車通学だから、帰る道からして違うからね。誰もが同じルートで学校に通ってると思うなよ。
えー、ちょっと答えの選択肢に明らかな偏りが見られましたので、このアンケートは無効といたします。
というわけにもいかないので、仕方ないからDの「その他」を選びます。
自由回答ということで、たとえばそうだな。
たまたま厳島が通学途中に、何か面白い光景を見かけて、誰かに話してこの面白さを共有したい! と思ったとする。
でも教室に来てみたらまだ女子が誰もいなくて、いるのが俺を含めたクラスの男子十人だけだったとしたら。
その時に、厳島が真っ先に話しかけてくるのは、俺だ。
これは、自信がある。
俺と厳島は、まあそのくらいの仲の良さだ。
え? 全然大したことないじゃんって?
普通の友達じゃないかって?
そんなことを言うやつには胸を張ってこう言ってやりたいね。
その通りです! もっと仲良くなりたいです!
ってね。
そう。俺は厳島のことが好きだ。
どれくらい好きかと言うと、さっきの「厳島可織は可愛い」っていうアンケートが本当に実施されれば、Aにぐりぐりと何重にも丸を書いてしまうくらい好きだ。
別に一目惚れってわけじゃない。
高校の入学式で、俺のすぐ前に並んでいたのが厳島だったけど、その時の俺は、ちょっと可愛い子がいるなー、くらいに考えて、実のところ、弓原とか桐野とかもっと派手で目立つ可愛い子に目を奪われていた。
うわー、やっぱ高校になると女子も急に大人っぽくなるわ、とか考えてた。
でも、厳島と席が近くなって、毎日他愛もない話をしているうちに、どんどん惹かれていった。
なんていうか、厳島はちゃんとしているのだ。
堅物とかくそ真面目とかそういうのじゃないんだけど、何て言うんだろう。考え方が、地に足が着いてるというか。その上で押し付けがましくないというか。
話していて、ものすごくほっとするのだ。
親しくなってくると、えっ、お前そんなこと言っちゃうわけ? って思うようなとんでもないこと言い出す子が多い中で、厳島の存在は癒しだった。
桐野とか、いつも何かにムカついてるもんね。あんな可愛い顔して。
なんか世間のあらゆることに怒ってる。しかもその世間っていうのが自分の半径五十メートルくらいで完結してる。
可愛い子がぷんぷん怒ってたらまあそれはそれで可愛いので、俺も話を合わせはするけどね。内容だけ見れば、半分以上は同意できない怒りだし。
それってどっちかっていうとお前の方が悪くね? 的な話とか。
そんなどうでもいいことによくそんなに真剣にムカつけるね、的な話とか。
それ、もはや自分からムカつきを拾いに行ってるよね、的な話とか。
聞いててほんとに疲れる。
あんまり会話になってないこともあるしね。自分の喋りたいことだけ喋ってるっていうのかな。俺はアレクサじゃないのよ。
それに比べて、厳島との会話に流れるゆったりとした空気よ。きちんと言葉の通じることのありがたさよ。
そして、ある日の出来事を境に、俺の中で厳島は単なる癒しの存在から特別な存在になった。
今では、俺が学校に通うモチベーションの大半を、厳島の存在が占めていると言っても過言じゃない。
というわけで、その厳島が登校してくるのを、俺はこうして隣の席で今か今かと待ち構えているわけなんですが。
「何を朝からニヤニヤしてんだ、加藤」
声をかけてきたのは残念ながら厳島ではない。厳島は俺にこんなこと言わない。
こいつは、俺と同じ陸上部の梶川陽斗だ。
「いいえ、別に僕はニヤニヤなんかしてませんけどね」
「それをニヤニヤと呼ばないで、何をニヤニヤと呼ぶんだってくらい、ニヤニヤしてたぞ、お前」
そう言われて、とっさに緩んでいた頬を引き締める。
「いまさら真面目な顔したって遅えんだよ」
梶川が、くくく、と笑う。
仕方ねえだろ、厳島のことを考えたら自然と顔がにやけちまうんだから。とは言えなかった。
梶川はこの学校で初めて知り合った友人だが、同じクラス、同じ部活で、まあ親友みたいなポジションの男だ、と俺は本人の許可も得ずに勝手に思っている。
ちょっと背がすらっとして高くて、ちょっと顔が整っていて、ちょっと女子にモテることを除けば、俺と大差ない人間だ。
口は悪いが、軽くはない。秘密や内緒話をしても、人間SNSみたいに拡散させることはないだろう。
でも、こいつにすら、俺は自分の恋心を打ち明けてはいない。
隣の席の厳島との心休まる会話は、俺の高校生活のオアシスだ。うかつに他の人間に喋ってしまったら、この素敵な時間にかかってる魔法が解けてしまうような気がする。たとえ、梶川であっても。
「そういえば、厳島さんまだ来てねえな」
梶川が、俺の隣の空席に目をやって、そう言った。
そうなのだ。
いつもならとっくに、俺のオアシスタイムは始まっているはずなのに。
厳島がちょっと遠慮がちに、昨日見たかわいい猫動画の話とかをしてくれている時間のはずなのに。先生、今日のオアシスタイムは自習ですか。
まさか、欠席だろうか。
まだ九月だが、ちょっと涼しくなってきてるから風邪でも引いたのだろうか。
そんな心配をしていたら、ようやく当の厳島が教室に姿を見せた。