一
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はじまり
千十星は学校裏の山の中腹から町を見渡した。少し開けた場所に一本の桜の古木。そこは静かで生徒も来ない彼女のお気に入りの場所だった。
満開を迎えた桜の古木からはひらひらと淡い紅色の花びらが時折降り注ぐ。風にあおられて千十星の黒髪のおさげも揺れた。
今日は私立桜山学園の入学式。最愛の妹七菜星が高等部へ入学してくる日。千十星は三年生に進級した。広大な敷地の東西に中等部、高等部の校舎が建っており正門に面した中央にはやや歴史を感じさせる講堂と新しい体育館がある。
「七菜星が十六歳になるまであと数か月!」
千十星はうーんとのびをした。
誰かが山道を上ってくる音。見ればひとりの少年がゆっくりと登ってくる。切りそろえた髪がさらさらと風に揺れている。
(タイの色が紺だ。二年生?わざわざここまで来る人も珍しい。うわっすっごい美少年!そういえば早紀と佳乃が去年中等部の美少年が入って来たって大騒ぎしてたっけ。たぶんこの子の事だわ)
今日の千十星は機嫌が良かった。割と人見知りな性格でいつもなら初めて会う人に声をかけたりはしない。
「おはよう!」
そう言ってその少年に微笑みかけて千十星は入れ違いに山道を下って行った。少年は言葉もなく、それを見送った。舞い散る桜の中で。
「桜の花の精霊?」
少年の呟きは桜色の風の中に消えた。
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「ちょっと!大変だよ!!千十星ちゃん!七菜星ちゃんが不良グループに連れてかれちゃった!」
新学期、最初の授業があった日、新しい三年生の教室で仲良しの佳乃が慌てたように伝えてきた。よほど急いで走って来たのか濃紺のブレザーのえんじ色のリボンが緩んでいる。
「不良グループって……。そんなのこの学校にあったっけ?」
千十星はスマホで七菜星に電話をかけてみる。不在で発信音が鳴るばかり。ラインも既読にすらならない。
「ここって電波が入らないとこも多いから仕方ないか……」
何故かここ私立桜山学園の校舎には電波が入らない所が多い。学校どころか町の中もそういう所が多いけれど、皆それに慣れてしまっていた。
友達の話によると、七菜星を連れて行ったのはこの学園の剣道部の少年達だったということだ。この学園の剣道部はそのほとんどの部員が市内のとある剣道場に所属する生徒で構成されており、全国大会の上位の成績を収めることで有名だった。何故か多少気性の荒い生徒も多く、その他の生徒達からは距離を置かれることがあった。
にしても、連れて行かれるとか……何してたの?トワ
仕方がなかろう?あいつは嫌がってなかった。嬉しそうについて行ったんだぞ
何ですって?どうしてそんな……
知らん。それに学校では騒ぎを起こすなと千十星が言ったのだろう?
そうれは、そうだけど。……もう、あの子一体何を考えてるのよ……
姿の見えない相手と心の声で会話して千十星はため息をついた。
「はあ、仕方ないわね。昨夜も大変だったのに」
千十星は一つ欠伸をして立ち上がった。
白上町。日本の某県に所在するこの地には未だ古い町並みが残る。町の北には白上山、南西には鉄道が走る。そんな町中の剣道場。神宮司剣道場と名前が書いてある大きな木の看板がかかっている。
「お茶どうぞ!!」
桜山学園中等部の制服である詰襟を着た少年が熱々のお茶を入れた湯呑を盆にのせてやってきた。
「わあ!ありがとう!!」
七菜星は猫舌だ。すぐには飲めないそのお茶に一度、口をつけると盆にもう一度置いた。明るい色のウエーブがかかった髪はブレザーの肩に届いている。
「もうすぐに帰って来るから!待っててくださいね」
別の男子が道場の板間に正座して七菜星》の前で両手をついた。忠犬のようだ。
「はーい」
七菜星は可愛いものを見るように軽く返事をした。
板の間の道場にふかふかツヤツヤな座布団。その上に座った七菜星は数人の男子に囲まれていた。みんな桜山学園の中等部の制服を着ている。
「七菜星?ここにいるの?!」
妹が連れて行かれたと聞いていた千十星は挨拶もせずに道場の扉を開けた。
「ちょっと!勝手に入っちゃ困るんですよ!!」
「あんた、誰だよ?!」
「そうだよ!俺らが怒られるんですから!」
口々に中等部の生徒達が千十星に文句を言い始めた。
「え?お姉ちゃん?どうして?」
あら、七菜星はびっくり目も可愛いわね。
うむ、同感だ
千十星の心の声に反応して脳内に声が響く。
「どうしてじゃないわよ!こんな所へ来て!さ、帰るわよ!」
千十星は座布団に座った七菜星の腕を掴もうとした。
「え、でも、せっかくお友達になりたいって言われたのに……」
不満そうな七菜星にイライラが募る千十星。
千十星はここで七菜星を囲んでいた男子達を睨んだ。
「お友達になるのなら学園でどうぞ。私達は帰らせてもらいます。お邪魔しました」
もちろんくれぐれも「お友達」にならないように後で七菜星に言い聞かせるつもりだった。
千十星はそう言うと七菜星の手を取って道場を出ようとした。
「ちょ、ちょっと待てよ!少し話をして欲しかっただけなんだよ!」
「そうだよ。もうちょっと待ってよ!」
男子達の一人が七菜星の腕を掴んだ。瞬間突風が道場内に吹き荒れた。
私の花嫁に気安く触れるな
千十星の頭の中に声が響く。彼はかなり怒っているようだ。
(ますいわね……。彼をこれ以上怒らせる訳にはいかない!)
「な、なんだ、今の風は?」
七菜星の周りの男の子達は戸惑ったように道場の中を見回している。
千十星は壁にかけてあった竹刀を手に取った。
「私の妹に触らないで!」
千十星は竹刀で七菜星を捕まえる手をはたき落とした。
「なんだよ!そこまですることはないだろう!?」
「大体、先輩の了解は得てるんだぞ」
そう言って叩かれた男子生徒も竹刀を取り、構えてみせた。
「関係ない癖にしゃしゃり出てくんな!……え?」
男子生徒には千十星の動きが見えなかった。気付けば竹刀は彼の手から叩き落されていた。
「怪我をしたくなかったら、私に武器を向けないで」
千十星は彼らに向かって竹刀を構えた。
「これは何の騒ぎだ?」
よく通る声が道場内に響いた。
道場の入り口から現れたのは高等部の制服を着た綺麗な少年だった。見覚えがある。入学式の朝に桜の古木の山道ですれ違った美少年だ。でも。
「あなたがここの責任者?」
千十星は竹刀を構えた。この子が彼らに命じたのかもしれないのだ。
「へえ」
少年は目を輝かせて竹刀を握った。数合打ち合う。
「すごいな……」
少年の口から感嘆の声が漏れる。
「そんな……」
「師範と互角?」
「まさか……透さんが手加減してるだけだ」
七菜星を連れてきた男子達が一様に驚いている。
「お姉ちゃんっ!もう止めて!七菜星が自分でついてきたの!心配かけたのは謝るから!」
七菜星が声を上げた。
「七菜星……」
「一体何が……」
先程まで千十星と打ち合っていた透と呼ばれた少年が困惑している。
その瞬間、壁に作り付けてあった棚が音を立てて落ちてきた。先程の突風で壊れていたらしかった。
「きゃあっ!!」
「七菜星っ!」
真下にいた七菜星を千十星が庇う。木切れが千十星達に降り注いだ。
「七菜星、無事?」
「ん、大丈夫。お姉ちゃんは平気?」
「うん、大丈夫」
(良かった。怪我をしてなくて。七菜星が傷付いたらここにいる全員危ないところだった……)
千十星は心底安心した。彼は七菜星に害を与えた者に容赦してくれないだろう。
「大丈夫ですか?」
透が慌てたように近づいて来た。
「きゃあ、神宮司先輩がこんなに近くにっ!」
七菜星が嬉しそうに叫んだ。
「え?七菜星、知り合いなの?」
「ううん。違うけど。え?お姉ちゃん。知らないの?剣道部の王子様だよ?」
(何で剣道部で王子様なの?)
そんな風に千十星が思った時、
「!?」
「こちらへ」
透は千十星を抱き上げると、道場の奥へ走り去っていった。
「「「「「え?」」」」」
その場に残された全員の声がハモった。
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