深刻な問題
帝国と共和国の境界となるレーン山脈を越えるころ、俺は深刻な空腹に悩んでいた。
「寒いし、腹減るし、魔力の限界だ」
「お兄様がんばって!」
操縦室は寒いのでマトビアが体を寄せて温めてくれる。毛布を一緒に羽織り、俺の背中にくっついているので、なんとか寒さに耐えてレール山脈の頂を越えることができた。
「少しずつ下降するぞ」
早く気温を上げたい。
しかし山脈の共和国側は、なだらかな台地が続いていて、雪原になっていた。
これでは高度を下げれない。
「丘陵地帯か、まずいな……」
頭がくらくらする。空腹のせいだ。
浮揚に使う魔力をあまく見ていたせいだな……。
「マトビア、ここからホーンまでどれぐらいあると思う?」
「まだまだ、ここからだいぶん北のはずです」
だよな。
母の日記でも大体の位置が記されていた。とてもじゃないが、どこかで休息と食料などの調達が必要だ。
「どこかに町はないか? 不時着する」
「え! この雪の中に着陸ですか?」
「本気で言ってなかったが、俺の胃の中はすっからかんで、いつ飛行船が落下するか分からん状況だ」
「ええっ!」
「スピカに伝えて、客室の何かにつかまっていてくれ」
「暖炉の火も消しておきましょう! 火事になると大変です!」
マトビアが客室に戻るとスピカの素っ頓狂な声が聞こえた。
「もっと先を読んで、事前に準備しておくべきだったな……」
あたりは吹雪で、太陽の光は厚い雲で遮られている。飛行船は地表すれすれを飛び、着陸体勢に入った。
プロペラを逆回転させ、減速するとゴンドラが揺れる。
「「きゃああぁぁー!」」
雪面とゴンドラの底が接触する瞬間、前方の林の向こうに光が見えた。
上空からは見えなかったが、村のような集落がある。
タービンの逆回転で、一気に魔力切れを起こしてゴム袋の浮揚が完全に解かれる。
激しくゴンドラが地面に落ちて、ドアが衝撃で開き、雪が操縦室に入ってきた。
どうにか船は着陸したが魔力はすっからかんだ。頭が痛いし、空腹で目がまわる。何度か魔力切れを起こした経験はあるが、ここまで振り絞ったのは初めてだ。
「お兄様! 大丈夫ですか!」
体温が低くなった俺にマトビアが体を寄せて温めようとする。
「この先に明かりが見えた。町があるはずだ。そこで何か食べよう」
「はい。何か売れそうなものを持っていきます」
「スピカは動けるか?」
「いまは無理ですが、暖炉の火をつけれますか?」
「厳しいな……たぶん、気を失うだろう。スピカとマトビアはここにいろ。村に助けをもとめに行く」
火力を使うと意識が飛ぶ感覚がある。寒さのせいもあるが、油断すると眠ってしまいそうだ。
ゴンドラのドアを開けて出ようとしたとき、白い影が目の前を横切った。
「な、なんだ⁉」
雪ではなく、もっと大きな人影だ。
地面からどしどしと振動が伝わり、獣の咆哮が聞こえた。警戒して周囲を見回せば、威嚇している巨大なサルがいた。
「まさか、モンスターか!!」
「お兄様、あちらにも!」
すでに飛行船の周りは白い毛に覆われたサルたちに取り囲まれていた。
体は俺の五割り増しでデウロンを彷彿とさせる。
どうする⁉
もう一度上昇できるか⁉
「『浮揚』」
その瞬間に視界が狭窄して、ぐるぐると世界が回った。
完全な魔力切れだ。
倒れた俺をマトビアが受け止めたところまで意識はあったが、だんだんと暗くなり気を失った。
***
目を開けて起き上がると頭痛がした。視界がぼんやりする。
「マトビア……スピカ……」
体を動かすとベッドから落ちた。
ベッドにいるということは、なんとか助かったということか?
それよりもマトビアの声が聞こえないのが不安だ。
「フェア様……」
「スピカか! あのあと、どうなったんだ?」
俺が見えていないのを察して、スピカが手を握る。
「大丈夫ですよ! 姫様は外にいます」
「すぐに戻ってくるように言ってくれ、マトビアが心配だ」
声が聴けるまで安心できない。
あの異様な動物……モンスターたちに攻撃されて怪我していないか……。
スピカが外に出ていくと、寒風が部屋に入って、まだ雪原地帯にいることが分かった。
次第にピントが合い、周りが見えてくる。
暖炉の明かりがはっきりして、その上に立派な枝角のトナカイが飾られている。
家のつくりからして、防寒を徹底した雪国の家だ。熊の毛皮なんかも床に敷かれていた。
「お兄様! 大丈夫ですか?」
入口から吹き込む風と一緒に、マトビアが駆け付けた。
「おまえこそ大丈夫か? 怪我はしていないか?」
「大丈夫です。あのあと、サルたちはどこかへ逃げていきました」
「逃げた? ゴンドラに乗ってこようとしていたのに?」
「ええ、おそらく飛行船に驚いたのか、村と反対の方向に」
「そうか……」
普通は不時着した時点でびっくりして逃げていくと思うが、わざわざ中を確認してから逃げるなんて不思議だ。
まあモンスターについては詳しくないから、そういう習性のあるモンスターなのかもしれない。
すると、部屋に背の高い男が入ってきた。
フードを被り、マフラーを巻いているので目だけしか見えない。
「誰だ」
俺は手を広げて魔法を使うよう威嚇する。
「この方は、スピカとお兄様を運んでくれたビードルさんです。この家の持ち主なんですよ」
ビードルという男はフードとマフラーを取った。俺より年上で、初老といった感じの男だ。縮れた髪が肩まで伸びて、鼻から下が黒ひげで覆われている。
マトビアが全く警戒していないので、信頼できる男なのだろう。たしかに、のほほんとしてそうで一切の緊張がない男だ。
「すまない、急なことが起こりすぎて、気が高ぶっているんだ」
「気にするな。それより、でかい乗り物の持ち主はあんたか」
「そうだ。途中で魔力切れを起こしてしまって」
「奥さんに怪我がなくてよかったな」
ん? 奥さん?
顔をしかめると、マトビアが俺の袖を引いた。
それでなんとなく理解した。
兄妹で旅をしていると目立つから、夫婦という説明をしたのか。……召使いまでいるから、勘のいい奴は帝国の脱獄事件と結びつけるかもしれんしな。
「そうだな、妻に怪我はなさそうだ。……ビードルさんが助けてくれたのか」
「ああ、様子を見に行くだけだったんだが、あんたの奥さんに呼ばれてな。あと……俺のことはビードルでいい、年齢もそんなにはなれていないからな」
そうなのか?
髭があるから老けて見えただけか。
「本当に助かった。俺の名前は……クリスだ」
マトビアと目を合わせながら、俺の偽名はクリスに決定した。
「しばらくはここに泊まっていけ、吹雪はあと一日すればおさまるだろう」
「いいのか?」
「もちろん。ああ、クリスは知らないだろうが、あの不時着のおかげで村を襲っていた雪猿たちが山に戻ったんだ。おかげ様はお互い様といったところだ」
そういうこともあるのか。とにかく助かってよかった。
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