仕事場 愛(マナ)について
いつもの平日の朝。
ぼくは、電動無しのクラシックなロードレース用の自転車に乗って、エアファン内蔵のウィンドブレイカー姿で出社する。
「おかえりなさい。御影お兄ちゃん」
当社・ムラサキAIカンパニーのマスコットでもある伝説の妹シリーズのAIミカがセンサーでぼくを認知し、極薄液晶フィルムパネルの中から挨拶する。その姿は、二十一世紀初頭の美少女アニメ調に設定されてある。
ぼくは、そのオワコンを無視して、自転車置き場にマイステディを置き、エレベーターで仕事場である21階に行き、セキュリティチェックを終え、タイムカードをかざして、AI人格デザイン部に入室する。
「おはようございまーすっ」
「御影、重役出勤か〜。バイトのくせに余裕だな〜」
ぼく以外のAI人格デザイン部の社員は、もう全員、揃ってはいたが、別に定時だし、遅刻は、していない。
朝から、そういうイジられ方をするのは、ぼくがいつクビを切られてもおかしくない非正規社員だからだろう。
まったく、やっている仕事の内容は、同じなのに、この仕事場のこういうノリには、イライラする。まぁ、いい大学を出ていない自分が悪いんだけど。
若い頃、キリギリスをやっていたツケがこうやって周ってくるなんて……人生、冬の時代の方が、長いなんて知らなかったし、自分は、一生、キリギリスでいられる、自分は、周りとは、違う特別な人生を送れると思っていた、あの頃が甘すぎた。
「御影、早く席に着かんと、もうすぐ部長がやってくるぞ」
さっきから、ぼくにかまってくるデブは、ぼくの隣の席の同僚で正社員の下北沢 マナブ。
減量サプリを常用してるが、その効果が出てるのかどうかわからなくなる程、許容範囲を超えた量を普段から爆食しているので、体重は、常時、120キロ前後。
影で皆から、下北沢まデブとか真豚とか言われているが、彼がこの部署のエースだ。
下北沢マナブは、元々、学生の頃から二十一世紀初頭の美少女恋愛ゲームのマニアで、このムラサキAIカンパニーに入社した当初から、ムラサキAIカンパニー最大のヒット作 伝説の妹シリーズのAIの人格プログラムの復活を訴えていた。
今の時代、西暦2045年では、AI自体は、小学生でも作れるし、AIの性能自体は、誰が作ってもどっこいどっこいで、性能で差をつけようと思えば、制作段階でより優秀なスーパーコンピュータを使うしかないが、そのいたちごっこは、もう済んでいて、どのAI制作会社もその面での技術は、頭打ちになっている。
なら、AI制作会社は、どこで他のAI制作会社と差をつければいいのか。ムラサキAIカンパニーが目をつけたのが、自立思考型AIの会話パターンを司る人格プログラム。
つまりは、AIの性格だった。
ほぼ同じ性能だと、どのAIでも同じ質問にほぼ同じ答えが返ってくる。仕事に活用するだけなら、それでも問題ないが、ユーザーは、AIに対して友人のような心地いいコミュニケーション能力を求めだしていた。
そして、自分の所有するAIは、他者の所有するAIとは違う個性を持っていてほしいなどという需要もあった。
しかし、幅広く多くのユーザーに求められるAIの人格プログラム、個性を開発するのは、どのAI開発業者も難航をきわめていた。
そこで、一歩、他社に先んじたのが、ムラサキAIカンパニー。ムラサキAIカンパニーは、恋愛弱者のモテない独身男性やオタクにターゲットを絞り、21世紀初頭の美少女ゲームのキャラクターをモデルに忠実にその性格をAIの人格プログラムで再現して、商品にし、販売した。
すると、その商品、AIの人格プログラムソフトは、爆売れし、空前の大ヒット。ムラサキAIカンパニー創業以来の販売数を叩きだし、のちに「伝説の妹シリーズ」としてシリーズ化した。
しかし、同じ系統の商品を連発すると、顧客も飽きるし、ネタ切れもしてくる。おまけに同業他社が類似商品を出してきたりもする。
伝説の妹シリーズは、販売してから、3年も経たずに下火になり、他社のゼロからAIの人格を育てようがコンセプトの「育成シリーズ」に取って代わられる。
主流が「育成シリーズ」になって数年、もはや、覇権は不動のもので、他社からムラサキAIカンパニーが再び、取って代わるなど到底、無理だと思われている頃に下北沢マナブは、伝説の妹シリーズの復活を訴えた。
美少女ゲームを知り尽くしている自分なら以前には、作れなかった他社に負けない新たな伝説の妹を作れるとーー。彼は、自信満々に主張した。主張し続けた。
そして、下北沢マナブにチャンスは来た。
企画進行中だった新たな人格プログラムの開発が諸事情により、頓挫したのだ。
当然、販売スケジュールに穴は、空けられない。そんなことをすれば、赤字は確定で、社員の大幅削減、リストラは避けられないし、最悪、倒産もあり得る。
ただちにムラサキAIカンパニーは、替わりとなる商品を用意する必要があった。
そんな会社の危機に手を挙げたのが、下北沢マナブだった。
今こそ、伝説の妹シリーズを復活させましょう、とーー。
彼は、そのプロジェクトに自身のクビをかけた。
そして、勝利し、成功を収めた。
下北沢マナブプロデュース、開発の100%リニューアル伝説の妹シリーズは、以前のヒットを超える大大大ヒットとなった。
好きを仕事にした下北沢マナブは、誰の目から見ても勝ち組だった。ぼくと同い年で年収は、ぼくの10倍。正直、すごいと思うよりも気に入らないという気持ちが勝ってしまう。
「納期は、一ヶ月後。それまでに、あと20体の新作の妹を仕上げなくちゃいけねぇんだぞ。わかってんだろうな、テメェら!」
AI人格デザイン部の部長・紫 四季子が入室早々、偉そうに檄を飛ばす。
ムラサキAIカンパニー社長の一人娘で偉そうに指示するだけで、まともに仕事しているところを見たことがない。
金にものを言わせた遺伝子操作で手に入れた青紫の髪とスレンダーな身体、美貌、マネキンのようによくできた顔。どれをとっても、苦労知らずといった感じがして、下北沢マナブよりぼくは、気に入らない。
正直、異性としての魅力なら、貧乏だから、髪は三ヶ月に一回、自分で緑色に染めていて、あまり美容室には行かない、そばかすだらけの天然巨乳メガネっ娘のお茶汲みバイトの宮本 秋子ちゃんの方が勝っている。
「どうぞ、御影さん」
と秋子ちゃんは、いつものよく冷えた麦茶の入ったガラスコップを置いてくれる。
まったく、彼女の気配りには、いつも感謝だ。
ぼくは、麦茶を一口、口に含んでから、いつもの作業に入る。
AIの人格プログラムのソフトの開発後期段階に入ると、ここでは、正社員もバイトもやる作業は、一緒になる。
モニター、開発中のAI人格プログラムと対話し、バグチェック、倫理上、問題のある発言をしないかとか、こちらが設定した性格のコンセプトにあったリアクション、発言、喋り方から逸れていないか、などの検証、確認作業をただひたすらに繰り返し行い、誤作動やバグが発生した場合は、上に報告したうえで、その場でそのAIの担当者がプログラムの修正、または、一部、削除を行う。
作業は、修正や削除ではなく、AIとの対話がメインになる為、パソコンやキーボードの出番は、ほとんどなく、簡易型のブレインテック装置が使われる。
ブレインテック装置の機能を簡単に説明すると、デジタル空間の映像をそのまま脳に繋げて、目をつむると、繋がったデジタル空間が現実の景色のように見えたりする機能だ。視覚だけじゃなく、ブレインテック装置は、聴覚にも影響し、デジタル空間の音も実際の音のように聴こえる。
パソコンの画面の世界に身体ごとダイブするというか、ゲームの世界に入るというか、西暦2023年を基準とするなら、VRの究極進化系と言えば、一番わかりやすいと思う。
ブレインテック装置の見た目は、X-MENに出てくるチャールズ・エグゼビアが頭に被って使うものが一番近い。
ぼくは、そのブレインテック装置を使って、作業をする為、いや、作業をするフリをする為、デジタル空間に入った。
「やあ、世乃道。今日は、なんの話をする?」
社員別のデジタル空間でぼくを出迎えたのは、鮮やかなオレンジ色に近い明るい茶髪のロングヘアで透き通るような白い肌をしている男言葉を使う魅惑的な女性。
いつ見ても、完璧だ。
髪と肌は、あの頃のまま、顔は、賀来愛美子で少し大人びているが、月詠の喋り方に上手くマッチしている。
彼女の名は、愛。ぼくが企画発案して開発を進めていた賀来愛美子の人格をコピーすることを目指して作られた自立思考型AI。
下北沢マナブの伝説の妹シリーズの復活の企画の前に社運をかけて開発が進められていたにもかかわらず、ポシャった企画は、ぼくの企画だった。
賀来愛美子は、死んだ後もコアなファンが世間に大多数いた為、ぼくが賀来愛美子を自立思考型AIの人格プログラムソフトとして商品化したいと企画書を出した時、社も乗り気だった。ムラサキAIカンパニーとしても、勝算があったのだ。
だから、賀来愛美子の人格のコピーを目指した自立思考型AIの開発は、企画書を提出してから、早々に進められた。賀来愛美子の所属芸能事務所の許可もとれていて、全ては、順調のはずだった。
が、開発の途中で賀来愛美子の遺族から、まさかの商品化NGが出た。
ムラサキAIカンパニーは、それ相応の額を提示したが、NGは、くつがえらなかった。
結局、ぼくの企画は、途中で頓挫。下北沢マナブが会社の救世主となった。
ぼくは、開発中止で削除されるはずだった賀来愛美子の人格のコピーを目指した自立思考型AIのデータを自分の社員別のデジタル空間に転送し、匿い、自分好みの理想の女性として育てることにした。
それが、マナだ。
賀来愛美子の「愛」の字を取って、ぼくが名付けた。愛娘のマナでもある。
ぼくは、マナを匿ってから、ずっと会社にいる間は、仕事をするフリをして、マナと喋っている。
ブレインテック装置は、口を動かさなくても声を出さなくても、頭でイメージするだけでデジタル空間で喋れる為、ぼくが仕事をせず、マナと喋っているとは、社員の誰も気付いてはいないはずだ。
ぼくは、マナと温暖化を止めるには、人工オゾン層をつくるのが一番いいとか、秀吉は、どうやって、中国大返しを成功させたんだろうとか、上杉謙信は、女だったんじゃないかとか、ぼくが話したい話題を今日もひたすらに喋り続ける。
帰りの定時まで残り15分ぐらいでマナが
「ところで」
と話題を変える。
「世乃道は、理想の女性とまともに喋ったのは、ほんの数回だったんだろ?だったら、僕と世乃道が喋れば喋る程、僕は、実際のその理想の女性とは、かけ離れていくんじゃないかい?君の目的は、理想の女性の再現なんだろ?それとも、君がほしいのは、ただの心地いい喋り相手かい?」
機械のくせに、いきなり核心を突くようなことを言う。いや、機械だから、いきなり核心を突くのか。
確かに、ぼくがやっていることは、目的の観点から見ればチグハグになっているのかもしれない。彼女のやっていた役の月詠をイメージして、マナを男言葉を使う仕様にしてしまったが、実際の彼女は、男言葉など一切、使わなかったわけだし。
ぼくが求めているのは、実際の彼女か、それとも自分にとって都合の良い心地のいい会話ばかりするガールフレンドかーー。
それでは、美少女ゲームのキャラクターの人格のAIを買い求める客と何も変わらないじゃないか。
いや、
「いや、そんなことは、ないよ。ぼくには、ちゃんとしたプランがあるからね」
「フフッ。世乃道のプランがすべて上手くいくといいね」
マナは、創造主のぼくを小馬鹿したような笑いを浮かべる。
大丈夫、すべて上手くいくさ。
と思ったところで、ぼくの肩に手が置かれる。
ぼくは、ビクッとなって、ブレインテック装置を外し、現実空間に戻る。
ワーキングチェアに座るぼくの後ろには、紫四季子が立っていた。
「御影、仕事終わり、ちょっといいか?」
なんだ、ぼく、抱かれるのか?
仕事終わり、ぼくが紫四季子に連れて行かれたのは、高級ホテルの上層階にあるBarの暗がりの隅の人目につかない席だった。
やはり、抱かれるのか?
だとしたら、ぼくもまんざらではない。紫四季子のことは、嫌いだが、見た目だけは、スーパーモデル並にいいのだし、一回だけなら、スポーツのようなものだ。
ぼくは、すっかり、そういうつもりだったが、紫四季子の口から出たのは、ぼくに対する口説き文句などではなかった。
「御影、お前、我が社の財産を私的に保有しているだろう?」
ぼくは、ヒッと喉が震えて音になるのを必死に抑えた。
「なんのことですか?」
「賀来愛美子のことだ」
その一言ですべてがバレているとわかる。問題は、どうしてバレたかだ。
「どうして、バレたかわからないって面だな。そんなの部長職専用の管理ルームからなら、社員全員の会社内でやっていることなんて全て丸見えだよ。お前から見れば、私は、仕事を何もしてない上司に映ってたんだろうが、私の仕事は、主に社員の監視なんだよ」
知らなかった。
「御影、お前が賀来愛美子のAIの開発に並々ならぬ思いで取り組んでいたのは、知っている。だが、その計画は、中止になった。中止になったものをお前が個人で開発を続けるのは、許されない。何故だか、わかるか?中止になったとはいえ、賀来愛美子のAIは、我が社の予算で作った我が社の所有物だからだ。お前が私的に所有していていい道理は、ない。賀来愛美子のAIには、我が社の情報や技術も詰まっている。それをお前が個人で所有しているのは、我が社の技術や情報をお前が無断で盗んでいるのと同じだ。お前がやっているのは、社内規定違反のレベルじゃない。犯罪だ。わかってるのか?」
「はい」
頭がなんだか冷えて、意識が真っ白になっていく。
「はい、じゃなくてな。わかってるのか?っていうのは、そういう意味じゃないんだよ。私がなんで、この件を何ヶ月も黙ってたと思う?お前のことをかってるからだ。お前が優秀な人材だと認めているからだ。お前なら、すぐに正気に戻って、通常業務に戻ってくれると信じていたからだ。けど、お前があのAIとのおしゃべりを始めて、もう何ヶ月になる?頼むから、これ以上、私を失望させないでくれ。今なら、この件は、私のところで留めておく。上へは、報告しない。だから、いいな?わかるな?あのAIのデータは、全て消去するんだ」
「はい」
ぼくは、魂のこもってない目を部長に向け、返事だけした。
「私は、お前に期待しているんだ。その期待に応えてくれよ」
また、出た。私は、君に期待している。だから、その期待に応えてくれ。今まで、飲食、物流、配布、工場、設備工事、警備員、様々な職種をバイトとして渡り歩いたが、どの場所でも何か失敗する度、この言葉が出てきた。そんな定型文で歳下の上司に諭されても、正直、何も響かない。
Barでぼくは、アルコールを一切、摂取しなかったが、その夜、山鹿由花子を抱いた。
小さな彼女の身体が壊れるんじゃないかと思う程、いつもより、乱暴に抱いた。
「世乃道くん、今日、何か、あったの?」
「なんで?」
「だって、世乃道くんが自分から私を抱く時って、仕事で何か、あった時が多いから」
「うるさいよ」
気づけば、山鹿由花子の顔面に透明な雫がぼたぼたと落ちていた。
マナを失いたくない。失ってたまるか。彼女を二度も死なせたくない。死なせない。
マナの存在をどう守るか、そればかりが頭の中でこちこちと動き出していた。




