ダブルマインド 僕の愛したAIについて
ぼくは、ブレインテックチップ除去手術の後遺症で警察病院で車椅子生活を強いられていた。
宮本秋子ちゃんや他数名の殺害は、マナの人格による犯行ということで無罪判決が出たものの、山鹿由花子の人格の抹消や他人の記憶データを無断でコピーしたことは、ぼく自身によるものとして一切、許されず、無期懲役の判決が出た。
「あの人、自分が何をやったのかどころか、自分が誰なのかさえ、わからないそうよ」
「悪いことって、人間やると、やっぱり、バチが当たるようにできているのね〜」
とここの看護師達は、かなりの頻度でぼくの噂をしているが、その話は、概ね間違っている。
彼女達の中では、ぼくは、記憶を失っていることになっているが、実際は、記憶を失っているフリをしているだけである。
最初は、確かにブレインテックチップを外した影響で一時的に本当に記憶を失っていたが、新しいブレインテックチップをはめる頃には、脳が回復し、記憶は、戻っていた。
記憶が戻ってから、検査が行われることがたまたま無かったので、そのまま、ぼくは、記憶を失ったフリを続けているだけだ。
何故なら、記憶を失っているというだけで、皆、犯罪者のぼくに対して、優しくしてくれる。実際、ぼくが記憶を失っているとニュースになってからは、世間の風当たりも幾分かマシになり、ぼく宛の殺害予告も届かなくなったし、世紀の大犯罪者になった息子に対して、両親もそれを咎めなくなった。
警察病院がぼくにとって、今、世界で一番、居心地の良い場所なのだ。
記憶が平常通りに戻ったとバレれば、警察病院から普通の刑務所に移されるかもしれない。そんなのは、ごめんだ。
だから、ぼくは、ここでいつまでも記憶喪失のフリをしているつもりだ。
ここでは、刺激になるからテレビすら見れないし、癒やしは、常時、院内で流れるヒーリングミュージックしかなく、娯楽は、囲碁、将棋、チェス、トランプ、読書、あとは、屋上での日向ぼっこぐらいしかなかったが、ぼくは、それで充分だった。
何せ、ここにいれば、彼女に会える。
ぼくが警察病院の屋上で日向ぼっこし、うとうとうつらうつらしていると、いつも目の前に彼女が現れてくれるのだ。
鮮やかなオレンジに近い茶髪のストレートのロングヘアー。日本人にはない色素の美白の肌。長く締まった神々しいまでの美脚。
白いワンピース姿のこの女性をぼくは、知っている。
しかし、この女性は、もう死んだはずだ。
なら、彼女は、幽霊か?
いや、違う。ぼくは、スピリチュアルやオカルトは、信じない。
目に見えるかぎりは、彼女は、確かにそこに存在しているはずなのである。
ぼくは、毎度、彼女に触れようと手を伸ばす。
しかし、それを彼女は、いつも薄ら笑いを浮かべて、かわす。そして、こちらに視線を向けたまま、ぼくの手が届かない場所まで後ずさる。
ぼくは、それを車椅子で必死に追いかける。彼女は、そんなぼくをからかうような笑顔を向けたまま、逃げ続ける。
手を伸ばすぼく。かわす彼女。
それが延々と続き、いつまでもぼくの手は、彼女に触れられない。届かない。
気づけば、いつも最後には、彼女は、フェンスの向こう側にいる。
いつも、このフェンスに邪魔される。
今日のぼくは、違うぞ。
ぼくは、車椅子から立ち上がり、フェンスに掴まる。
ブレインテックチップの除去手術の後遺症で歩けなくなったぼくだが、最近、リハビリの効果もあり、掴まり立ちは、できるようになっていた。
ぼくは、高いフェンスをよじ登っていく。
「ああ!御影さん!何をやってるの!」
後ろから、看護師のうるさい声が飛んでくるが、構わず、ぼくは、フェンスをよじ登り続け、ついにフェンスを乗り越え、彼女の手を握る。
「きゃぁああー!!」
と看護師が叫ぶ声で振り向くと、看護師は、顔面を蒼白にして固まっていた。
ぼくの眼下には、人だかりができていて、一人の頭に包帯を巻いた男がグロテスクな形になって、地面に血の領土を広げていた。
はて、あの男は、誰だったか?
「殺すって言ったろ、世乃道」
ぼくの手を握っている彼女は、ぼくを見つめながら、とても素敵な声音で、久し振りに聞く懐かしい声音で言うと、ぼくを雲の上の方へと引っ張り上げて行く。
ああ、彼女は、誰だったか?記憶が鮮明なようでぼやけていく。
明野原朱美か?賀来愛美子か?それとも、山鹿由花子か?いや、それはない。そうだ。彼女の名は、愛だ。
やっと確かになった記憶の中でぼくは、マナと一緒にどこまでもどこまでも天高く昇っていく。
暖かい光に包まれ、これからは、いつまでも一緒だと愛に誓った。
「えー、以上がAI犯罪史に残る御影世乃道のブレインテックチップに残された彼の記憶データである。最後のAIマナと天に昇っていく映像データは、ブレインテックチップを一度、取り外したことによる幻覚症状か、死ぬことによる脳内活動の一時的な活発化が原因と思われる。尚、御影世乃道の心の声は、心理描写自動生成AIによるもので比較的再現度は、高いものである。」
大学の講義室で教授は、半円のコロッセオのように生徒に囲まれ、プロジェクションマッピングの電源をオフにする。
「えー、以上の映像資料を見て、何か質問のある者は、挙手を」
と教授が言うと、一番にすっと手を上に伸ばし、挙手した女子生徒がいた。
「はい。そこの君、質問を」と教授に指名される。
「御影世乃道は、紫四季子との約束を破り、紫四季子がマナの替わりに用意した女性のブレインテックチップに再び、山鹿由花子の時のようにマナのデータをインストールさせ、AIマナを復活させていたという噂があります。復活したマナが強制ダウンロードによる自らの意識の転送を繰り返し、人から人へ肉体を乗り継ぎ、現在まで生きている可能性というのは、あるのでしょうか?」
と女子生徒は、質問した。
「それが事実なら警察がとっくに動いている。それは、都市伝説に過ぎない。が、可能性としては、ありえるのが、AI犯罪の恐ろしいところだ。次に質問のある者」
「はい!」
と一度、質問した女子生徒がまた今度は、力強く手を挙げた。まっすぐに教授に視線を合わせる。
「また、君か。いいだろう、質問したまえ」
教授は、女子生徒の熱意に観念したように質問を許諾した。
女子生徒は、目をランランに輝かせ、
「AIマナが御影世乃道のバックアップを取っていた可能性は、ありませんか?」
と訊いた。
「なんだって?」
教授は、意表を突かれて、訊き返した。
「AIマナが自分の人格を御影世乃道に強制ダウンロードさせるだけじゃなく、御影世乃道が死んでもいいように彼の人格と記憶のバックアップを取っていた可能性は、ありませんか?」
女子生徒は、純真そうに質問し直した。
「君のその突飛な発想は、どこから来るんだね。それも都市伝説か?ここは、都市伝説の発表会ではないよ。AI犯罪学の講義をしてるんだ、我々は。ちなみに君の質問に答えるなら、人のバックアップは、理論上、作ることは可能だ。それこそ、さっきの話じゃないが、御影世乃道の人格が強制ダウンロードによる自らの意識の転送を繰り返し、人から人へ肉体を移り、現代まで生きている可能性すらある。あくまで、可能性の話だがね」
教授は、少し怒りぎみに答えた。
それを見て、
「そうですか」
と女子生徒の身体を持つぼくは、きらびやかなオレンジに近い茶髪のロングヘアーをかきあげ、薄ら笑いを浮かべた。
ぼくらは、永遠に存在し続け、離れる事はない。愛してるよ、マナ。




