四月に降る紙の雪 明野原朱美について その3
マナが死んでから3ヶ月後、ぼくは、宮本秋子ちゃんと同棲する為にワンルームマンションから安アパートのワンルームへと引っ越した。
引っ越し費用は、ヨヨギちゃんのアニメ映画の脚本の仕事をなんとか仕上げたので、そのギャラでどうにかなった。
「怪人童貞3号は、哀しい歌を唄う」というふざけたタイトルでふざけた内容の脚本だったが、ヨヨギちゃんは、満足そうにしていた。
初監督作品がこんな脚本で本当にいいのかとぼくが訊いたら、ヨヨギちゃんは、
「私は、先輩の作品の一番のファンですからね」
と言った。
初耳だった。
ヨヨギちゃんは、別途、映画の興行に合わせてパーセンテージも支払ってくれるそうなので、1年後か2年後には、ぼくは、ひょっとしたら、働かなくても、食っていけるのかもしれない。
それまでは、とりあえず生活費を削り、貧乏生活で我慢するしかない。
ムラサキAIカンパニーが潰れてから、紫四季子が新しく作った会社にも誘われたが、あんなブラックな人間と関わるのは、二度とごめんなので、丁重にお断りした。それからは、なんの恫喝も受けていない。
ぼくには、警察に真実を伝える度胸も良心もないと紫四季子は、ちゃんとわかってるのだ。
なので、今は、ぼくは、フリーター兼宮本秋子ちゃんのヒモをやって生活している。
ああ、ぼくは、マナとの約束を破った。
何故なら、ぼくは、薄情でとても弱い人間だからだ。
マナが死んでから、ぼくは、何度も自殺を考えた。何故、あの時、すぐにマナの後を追わなかったのだろうと――。
そんな失意のぼくの側にいつも寄り添い、支えてくれたのが、宮本秋子ちゃんだった。彼女は、ぼくが落ち込んでいる理由をAIドールの起こした殺人事件でたくさんの同僚を失ったからだと、未だに思っていて、真実を知らない。
ぼくにとって、それは、とても都合が良かった。理由を聞かずに、ただただぼくを無償で慰めてくれる女性がぼくには、必要だった。
彼女の優しさと豊満な胸をぼくは、過去を忘れる道具として、とことん利用した。
つまるところ、ぼくという人間は、そんなものなのだ。
自分を人間としておとしめる行為をあえて平然とやる。これは、ある種の自傷行為なのかもしれない。
「これ、なに?」
と宮本秋子ちゃんが安アパートで引っ越し用のダンボール箱から何かを取り出した時、ぼくは、アダルティーなぼくのコレクションのうちの一つでも見つかってしまったのかとヒヤリとした。
しかし、それは、別の意味でぼくの心臓を強く締めつけるものだった。
宮本秋子ちゃんがダンボール箱から取り出したもの。それは、明野原朱美作「四月に降る紙の雪」。
ぼくが昔、そこそこの高い値段を払い、電子書籍から逆自炊して紙の文庫本にしてもらった小説だった。
「懐かしいなぁ」
とぼくは、究めて平静をよそおい、宮本秋子ちゃんからその本を受け取ると、「四月に降る紙の雪」を読み始めてしまった。
一度、読み始めると止まらない。
あの日の記憶がぼくの中でまざまざと甦る。
ぼくは、高校を卒業してから一度だけ明野原朱美に会いに行った事があった。
それは、大学四回生の秋で、周りは、とっくに就職先が決まっているのに、ぼくだけが小説家を目指しているのを言い訳にして就職先が決まっていない 自分で自分をごまかそうとしている とても辛い時期だった。
「いらっしやいませ〜」
と彼女は、某古本屋チェーン店のレジカウンターに立ち、青いエプロン姿でぼくを出迎えた。
他に客は、レジカウンターから遠いエロ本コーナーにしかいない時間帯だった。
「やあ、久し振り」
と言うぼくに明野原朱美は、とても気まずそうにしていた。
そりゃそうだろ。ぼくも逆の立場だったら、そうだ。
「本当に古本屋でバイトしてるんだね。芸能人なのに。バレないの?」
「以外とメガネかけて、髪型、変えたら、バレないもんよ」
確かに、彼女は、赤い縁の眼鏡を掛け、髪型をポニーテールにしていた。前は、ロングヘアーのストレートだったから、明野原朱美には見えないが、5秒静止して見れば、賀来愛美子は、賀来愛美子にしか見えないように思えるのだが、それは、ぼくが最初から彼女の正体を知っているからで、世間様の目は、以外とそれだけでごまかせるものなのかもしれない。
「なんでバイトしてるの?お金なら、たくさん貰ってるでしょ?芸能人なんだし。奨学金、返し終わってないの?」
「それもあるけど。整形代。維持費、ばかになんないのよ。芸能人なんてピンキリだし。あんた、私を笑いに来たの?あんな、大見得きって、結局、女を売る商売で稼いでるから、笑いに来たんでしょ。暇人ね」
顔形は、賀来愛美子だが、声、喋り方、態度は、あの頃のまま、彼女は、間違いなく、明野原朱美だった。テレビ画面で見る彼女は、いつも人格まで整形してしまったかのような別人なので、変というか不思議な気分だった。
「ぼくが君を笑いに来るわけないだろ。どんなイメージなんだよ、ぼくは」
「じゃあ、何しに来たのよ?つか、誰にこの場所、聞いたの?」
「雪代先生」
「あのクソ教師」
彼女は、忌々しげに毒づいた。
「まだ、先生と連絡、取り合ってたんだね。意外だったよ」
この当時のぼくは、まだ知らなかったが、後になって、彼女が何故、雪代冬二と連絡を取り合っていたのかを知る。
「それで結局、あんた、何しに来たのよ。サインでも貰いに来たの?」
「いや、その……」
ぼくは、言いにくいどうこうの前に恥ずかしかった。ぼくが彼女と再会する時は、ぼくが彼女より立派な小説家になっている頃だろうとまた勝手に妄想を膨らませていたからだ。
でも、妄想と違い、現実は……。
「ぼくが最後に君に会った時、読んでもらった小説があるだろ?覚えているかな?ほら、Legっていうタイトルの足フェチが主人公の小説。あれ、大学一回生の時に書き直してさ。ライトノベルの賞に送ったら、一次通ったんだよ」
「よかったじゃない」
「でも、二次は、通らなくてさ」
「だろうね」
「次の年も別の小説で一次は、通ったんだけどさ。また、二次で落ちちゃって、去年は、一次も通らなくてさ。今年も一次で落ちちゃったんだ。それで、雪代先生に相談したんだ。そしたら、雪代先生がぼくのLegを書き直してくれて、これを純文学の新人賞に送ったら、どうかって言うんだ。でも、雪代先生との共著だと、過去の盗作問題があるから、落ちるだろうからって、雪代先生の替わりに君に名前を貸して貰ったら、どうかって提案されたんだ」
「は?」
「だって、今をときめく明野原朱美との共著ならデビューは、確実だろ?」
「なんで私がそんなことしなくちゃいけないわけ?私になんの得があるの?」
「いや、だって雪代先生の話じゃ君は、今、次回作が書けないスランプに陥っているから、そんな悪い話じゃないはずだって」
「あんた、そんな話、鵜呑みにして、わざわざここまで来たわけ?それで雪代は、いったい、どんな条件をあんたに出してきたのよ」
「え?」
「とぼけないでよ。雪代があんたに得しかない話をなんの条件もなしにするわけないでしょ」
「ああ、ぼくがデビューできたら、印税の半分がほしいって」
「やっぱり、あのクソ教師が考えそうなことだわ。あいつ、まだ、治ってなかったのね」
明野原朱美は、心底あきれたような顔をした。
「で、この話、受けてくれるのかい?」
ぼくは、かなり、おどおどしていたと思う。なんせ、彼女の返答次第で自分の人生が大きく変わってしまう。小説家という肩書きが手に入るのか、入らないのか。このまま、人生、凡で終わるのか、終わらないのか。
彼女は、怯えきった子犬のようなぼくに言い放った。
「受けるわけないじゃん、バーカ」と――。
「でも、きっ君も次回作が浮かばなくて、困ってるんじゃ」
「次回作なら、もう思いついたわよ。私は、明野原朱美よ。ナメんじゃないわよ」
「あっ、そうなの。へっ、へぇ~、そうなんだ。ちっ、ちなみにどんな小説を次は、書くの?」
ぼくは、究めて平静をよそおった。決して、明野原朱美の次回作をパクろうとは、していない。
「ふふっ、タイトルだけ教えてあげる。四月に降る紙の雪」
それから、半年後に小説「四月に降る紙の雪」は、電子文芸誌で発表される。
ぼくは、もちろん、発売日に即買いして、読んだ。
「四月に降る紙の雪」の主人公は、貧乏な家庭に生まれ育ちながらも、小説家を目指す女子高生・紙木 雫。
それだけで作者本人・明野原朱美をモデルにしていることは、彼女の過去を少しでも知る者ならば、明白で簡単に読み取れてしまう。
前半は、ギャンブル依存症で家庭にお金を入れない父親との確執や家庭内不和がメインで描かれ、まるで彼女の私小説を読んでいるかのようだった。
しかし、中盤からもう一人の主人公・雪代誠二が現れ、物語は、徐々にテイストが変わっていく。
雪代誠二は、盗作問題を起こし、文学界を追い出された元小説家の国語教師で雪代冬二をモデルにしていることは、明白である。その雪代誠二と紙木雫は、恋愛関係を結ぶ代わりに小説の構成やら何やらの基礎を教えてもらい、徐々に小説の才能の頭角を表していく。
そう中盤から物語は、紙木雫の成長譚と二人のラブロマンスが中心となっていくのである。
そして、終盤になって、家庭の金銭的理由で高校を退学して、時間的にも距離的にも雪代誠二と離れ離れになっていた紙木雫のもとに雪代誠二が書いた小説で小説家にならないかという誘いが来る。
その誘いを持ってくるモブキャラ元同級生・御影尾道は、ぼくがモデルになっているのは、明白である。
物語のラストシーン、主人公の紙木雫は、雪代誠二の誘いを受けるフリをして、雪代誠二を堤防近くの公園へ呼び出し、雪代誠二が書いた小説で彼をゴーストライターとし、小説家デビューする話を断り、彼との永遠の離別を告げる。
雪代誠二は、紙木雫が去った後、一人、四月の夜空を見上げ、何も降って来ていないのに、
「また降って来たな。偽物の雪が……」とつぶやく。
それで物語は、終わり。
紙木雫の紙と雪代誠二の雪を取って、おそらく「四月に降る紙の雪」というタイトルにしたのは、明白であるが、あの日、ぼくがあの話を持ってきた瞬間に、この物語を頭の中で完成させた明野原朱美に対して、ぼくが抱いた感情は、シンプルに
嫌な女 だった。
が、同時に強く思った。
やっぱ明野原朱美って、最高じゃん。と――。
自分の人生を売り物にして、ここまで作品に昇華させてしまう彼女を正直、怖いと思ったし、かっこいいとも思った。
クリエイターって、ここまで怪物じゃないとなれないもんなのかよ と人生で最初に彼女に思わされた。
彼女が本当に雪代と付き合っていたのかをぼくは、知らない。けれど、彼女の文章は、それが全て本当のことだったかのように感じさせる説得力があった。雪代にわざわざ事実だったかの確認をする必要は、ないだろう。答え合わせは、永遠にしなくていい。
寝る前になって、ようやく「四月に降る紙の雪」を読み終わったぼくに同じ掛け布団に入っている宮本秋子ちゃんが言う。
「あの時は、ごめんね」と――。
「なんのことだい?」
とぼくは、いい彼氏を演じて、尋ねた。
「あの島でみんなが殺された日、私、気が動転してて、世乃道くんを殺人犯扱いしちゃってたでしょ。たくさんの男の人が殺されてたから、私、犯人もきっと男の人なんだろうって、思い込んじゃってたんだよね。今から考えれば、バカバカしいんだけど。世乃道くんが殺人なんてするわけないのに。あの時は、本当にごめんね。ずっと謝りたかったの」
バカ正直に謝り、そんなことをずっと気にしていた彼女をぼくは、とてもいい人だなと思った。
だけど、幸せにしなければとは、全然、思わなかった。
「いいよ。そんなことは、気にしなくて。今日は、疲れた。もう、寝よう。」
「うん。おやすみ」
それがぼくが最後に見た生きている宮本秋子ちゃんだった。
翌朝、掛け布団の中に彼女の姿は、なかった。
ワンルームの狭い空間のどこにも宮本秋子ちゃんの姿は、見当たらない。
そこで異変に気づく。
昨日までは、なかったのに、コンロの上にでかい寸胴鍋が二つ置かれ、火が点けられていた。
こんなもの引っ越しで運んだ物の中にあったか?
彼女が料理の途中で出ていったのだろうか?
という当然の疑問が頭に浮かぶ。
が、寸胴鍋からの異臭でぼくのそんな疑問は吹き飛んだ。
この匂いは、以前、どこかで嗅いだことがある。
ぼくは、嫌な予感がして、寸胴鍋に駆け寄るようにして近づいた。
寸胴鍋の中では、女性の豊満な乳房が沸騰した水につけられ、浮いていた。
「あぁああぁあああ!!」
ぼくは、悲鳴を上げて、寸胴鍋をひっくり返す。
宮本秋子ちゃんの切断された頭部が寸胴鍋の中から畳の床に転がる。
「あぁああああああ!!おっおえぇええ!!」
誰がこんなことを? ぼくは、自らの体内から出た酸っぱい液体にえづきながら、必死に考えた。
容疑者は、一人しかいない。
こんな猟奇的な殺し方は、人間には、できない。
マナが生きていたのだ。
「約束を破ったら、僕は、君を殺す」
大変だ。自殺したはずのマナが生きていた。
ぼくは、彼女に対する愛情は、もはや、消し飛んでいた。
今は、恐怖しかない。
彼女は、マナは、どこから忍び寄り、ぼくを殺すつもりなのだろうか。




