表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

第一話


 気が付くと、知らない場所にいた。

 白い霧がかかったような空間。

 そこで俺は、横になっていた。


 頭の中に「?」を浮かべながら、上半身を起こした。周囲を見回してみた。


 何もない場所だ。地面はまるで、雲のような見た目だった。柔らかくて、弾力性がある。


「何だ、ここ」


 無意識のうちに、口から疑問が漏れた。頭を押さえて記憶を辿ってみた。どうしてこんなところにいるのか。


 俺は何をしていたのか――


「――!!」


 直前の記憶が頭の中に蘇って、俺は吐き気を覚えた。忌々しく、痛々しく、おぞましく、腹立たしく、悔しく、悲しく、辛い記憶。


 体が痛みを思い出した。思わず、左腕に触れた。骨折した左腕。


 でも、左腕には傷一つなかった。


「……あれ?」


 おかしい。何か変だ。


 俺は、体の色んな部分に触れてみた。左腕だけではなく、体中に怪我をしていたはずだ。顔は腫れ上がっていたし、そこら中に擦り傷もあった。


 ところが、俺は無傷だった。

 無傷だと気付いた途端に、体の痛みが消えた。


「どうなってるんだ?」


 自問する。考え込むと、頭の中がどんどん鮮明になっていった。


 俺は十一歳の小学校六年生。家から近い学校に通っている。学校のすぐ近くには、海まで続くような長い長い川がある。太股くらいまでの深さの川。あまりに汚いドブ川なので、子供達の遊び場にはならない。


 俺は母子家庭で育った。父親の顔は知らない。母さんは三十二歳。クラスの奴等の母親よりも若い。息子の贔屓目(ひいきめ)抜きにしても、美人だと思う。綺麗好きで、家の中はいつもピカピカだ。


 俺の頭の中に、どんどん記憶が流れ込んでゆく。六年生の現在から、過去に遡ってゆく。五年生、四年生、三年生、二年生……。


 一旦、記憶の逆流が止まった。小学校一年の頃を思い出した。


 あのとき母さんは、二十七歳だったはずだ。照れ臭そうな顔で、俺に、男の人を紹介してきた。ちょっとだけ恥ずかしそうに、俺に聞いてきた。


「この人がお父さんになったら、嫌?」


 胸が痛む、過去の記憶。


 そこからまた、記憶が逆流していった。


 五歳、四歳、三歳……。


 頭の中が真っ暗になった。光を失い、声だけが聞こえてきた。母さんの声。


「大丈夫。私一人でも、ちゃんと育てるから。大切にするんだから」


 現在よりも若い、母さんの声。


「一緒に頑張って、幸せに生きようね」


 腹の上から撫でられる感触。母さんの中にいた頃の記憶。


 また時間が逆流してゆく。前世の、昭和と呼ばれていた時代。死に物狂いで勉強して、死に物狂いで働いた。また真っ暗になって、前々世では戦地にいて。また真っ暗になって、今度は刀を手にして戦って……。


 一通り思い出して、俺の意識は現在に戻った。雲のような地面。霧がかかった空間。


 俺は理解した。現世の自分は死んだのだと。


 中川(なかがわ)正樹(まさき)、十一歳。小学校六年。前世や前々世よりも、はるかに平和な時代。それなのに、あんな死に方をした。死んだから、前世のことも前々世のことも思い出した。


 不思議な気分だった。中川正樹としての俺も、その前世も、前々世も、間違いなく俺なのだ。それなのに俺自身は、中川正樹としての意識が強い。前世や前々世が、まるで他人事のようだった。


「どう? 色々と思い出せたかい?」


 声を掛けられた。

 ほとんど条件反射で、俺は振り向いた。


 目の前には、母さんがいた。いつも綺麗にしていた母さん。同級生の母親の中でも、一番綺麗だった。俺の、唯一人の家族。叔母さんや爺ちゃんや婆ちゃんもいたけど、離れたところに住んでいて、滅多に会うことはなかった。


 俺は、母さんが大好きだった。母さんにとって俺は足枷(あしかせ)だったかも知れないけど、大好きだった。


 だから俺は、母さんを心配させたくなかった。


「……」


 目の間の、母さんの姿をした奴。でも、俺には分かる。こいつは母さんじゃない。声が違うし、何より、感じる雰囲気が違う。


「誰だ、あんた」


 母さんの偽物は、腕を広げて見せた。表情は穏やかだ。優しいと言っていい表情。そこにあるのは、表面上だけの優しさ。厳しさも強さもない、上辺だけの優しさ。


「これまでの人生を思い出したなら、もう分かるだろ? 僕は神様――って言うべきなのかな? 神様ってほど万能じゃないけど。命を失った魂を、新しい命に導くのが僕の仕事。そうやって君は、前回は中川正樹として生を受けたんだ」


 (うっす)らとだが思い出した。確かに俺は、前世で死んで転生した。こんな雰囲気の奴に導かれて、中川正樹に生まれ変わった。


「ってことは、また俺を転生させるのか?」

「そのつもり。まあ、君の意思次第だけど」


 俺は首を傾げた。


「転生を拒否もできるのか?」

「まぁね」


 母さんの姿で、神様は頷いた。


「っていうより、生きる意思のない人を転生させても、生きて誕生しないんだよ。流産したり、死産になったり。それでも転生させる神様もいるけどね。でも、最悪の場合、生きた状態で子供を産めなかった母親にも心の傷を残しちゃう。だから僕は、転生したくない人は転生させないようにしてる」

「ふーん」


 俺は再び、中川正樹としての人生を思い出した。


 母さん以外に、大切な人なんていなかった。ただ虚しいだけの人生。凄惨で、陰湿で、無慈悲な最後を迎えた人生。俺がいたことで、母さんの自由すら奪っていた。


 もしかしたら、またそんな人生を歩むかも知れない。

 それならもう、転生なんてしなくていい。


「じゃあ俺は、転生なんてしなくていいや。このまま死なせてくれ」

「本当に?」

「ああ」

「なんでまた?」


 俺は小さく溜め息をついた。


「なんかさ、生まれてもいいことなんてないかな、って思うからだよ」

「そんなふうに思うような人生だったのかい? 中川正樹としての人生は」

「そうだよ」


 俺の家は市営住宅だった。

 近所に住んでいたのは、たぶん、普通の家族達。

 それに加えて、仕事を退職して暇を持て余した老害共。


 俺の口から、自然に愚痴が漏れた。


「近所に住んでいた老害共は、母子家庭ってだけで俺達親子を蔑んだんだ。悪評を流して、俺達を貶めて、迫害しやがった」


 老害が吹聴した悪評のせいで、俺は、近所に友達がいなかった。どこの家の子供も、俺を避けた。一緒に遊んではいけない子供として。


 でも、それだけならまだマシだった。孤独なだけだった。危害を加えられなければ、傷付くことはない。怪我をすることも、命を落とすこともない。


 死んで怪我はなくなったのに、苦痛を覚えた。体と心の両方に。どうしようもない怒りと悔しさに、俺は舌打ちした。


 あまりに不快だったので、俺は別のことを考えた。母さんのこと。俺が唯一、幸せになってほしいと思う人。


 俺は神様に笑顔を向けた。


「とりあえず、俺は生まれ変わるつもりなんてないよ。それに、死んでよかった。俺がいなければ、母さんだって、もう少し幸せに生きられたはずだしな」


 母さんの姿で、神様は首をひねった。


「どうしてそう思うんだい?」


 俺の笑顔は、自然と苦笑に変わった。


「六歳の頃なんだけどさ。母さんには、彼氏がいたんだ。結婚も考えていたと思う。『この人がお父さんになったら、嫌?』って聞かれたし」

「お母さんは再婚しなかったのかい?」

「……」


 後悔しかない記憶。母さんの幸せを、壊してしまった記憶。


「俺が邪魔したんだよ。母さんの彼氏を徹底的に嫌ったんだ。たぶん、嫉妬してたんだろうな。彼氏に、母さんを取られる気がして」


 母さんの彼氏は、俺に歩み寄ろうとしていた。母さんと同じで、優しさも厳しさもある人だった。今さらながらに思う。あの人と結婚していたら、母さんは幸せになれていたのだろう。


 でも、俺のせいで二人は別れた。


 俺のせいで、母さんは苦労しかない人生を歩むことになった。


「だから、さ。母さんはまだ三十二歳だし、美人だし、今からでもいい男は見つけられるだろうからさ。結婚して、子供ができたら、俺と暮らしていたときよりも幸せになれるだろうな」


 ごめんな、母さん。声に出さずに呟いた。


 母さんの姿をした神様は、どこかあっけらかんとしている。俺に同情するわけでも、共感するわけでもない。下手に情を向けられるより気が楽だから、俺にとってはありがたい。


「そんなわけで、俺は死んだままでいいし、死んでよかったし、生まれ変わらなくてもいい。まあ、殺したいくらいムカつく奴等は大勢いるけど、もうどうでもいいかな」

「でも、生まれ変わらなかったら、ずっとここで暮らすことになるんだよ? 死んでるから何も食べないし、飲まないし、眠ることもない。死者同士が会うこともないから、孤独だし。何もない時間を送ることになるけど」

「いいんじゃないか。ただボーッとしたまま永久に生き続けるのも。あ、でも、死んでるのに『生き続ける』って言うのもおかしいな」


 ははっ、と俺は笑った。可笑しくもないのに出した、笑い声。


 神様は少し考え込むと、何かを思いついたように「そうだ」と声を出した。


「じゃあ、君に、いい物を貸してあげる」

「?」


 神様が、手の平を上に向けた。まるでCGのように、手の上に鏡が出現した。十五センチ四方ほどの鏡。


「鏡?」

「ただの鏡じゃないよ」


 ふふん、と神様は鼻を鳴らした。今さらだけど、やっぱりこいつは母さんじゃない。母さんは、こんな笑い方なんてしない。


「これはね、君が見たいものを映し出してくれる鏡なんだ。君が死んだ後の世界も見れるはずだよ」

「…………」

「うわ。興味なさそうな顔」

「うん、興味ない」

「そう言わないでよ。暇になったら使ってみるといいからさ」


 神様は、俺に無理矢理鏡を渡した。

 俺の手に持たされた、不思議な鏡。


「じゃあ、僕はしばらく姿を消すから。君以外にも、死人はたくさんいるからね。転生したい人は転生させてあげないと」

「ふーん。お疲れ」

「もし気が変わって転生したくなったら、僕を呼んでよ。君の声は、いつでも僕に届くから」

「はいはい。そんなことはないと思うけど、覚えておくよ」

「うん。それじゃあね」


 手を振って挨拶をすると、神様はフッと消えた。まるで幻だったかのように。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ