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フミコ

作者: 阿久根想一

朝、出社すると、いつものように右手一本でパソコンを起動させたリリーさんこと鬼塚百合子さんが、部下で後輩で雑用係でもある村上椿さんが運んできてくれたコーヒーにケチをつけながら、デパ地下で買ったという高級チョコレートを告知に運んでいるところだった。

その横でスーパーの特売のチョコレートを口に運びながら椿さんがニッコリと笑って声をかけた。

 「おはようカナちゃん、ホワイトデーはどうだった?」

 「えー、まあぼちぼちっていうところで...」

 「ということは、少しは収穫あったんでしょう。よかったわね」

 私と椿さんの切り揃えた前髪と鼻筋の通った横顔を世御目で眺めていた。正直言ってかなりの美人である。最もリリーさんに言わせると、黙ってさえいれば、というただし書きがすくのだが―――。

 「椿さんはどうでした?」

 「私はダメ。相変わらず」

 「またカラオケ行って飲めない酒を飲みながらアニソン歌っていたのにね」

とリリーさんと椿さんが下戸で音痴でカラオケではアニソンしか歌わないということは、社内では知られている。

 「リリーさんと一緒に一人ぼっちでした」

あっ言っちゃった―――と思った時にはもう遅かった。リリーさんのピンヒールの踵が眼にも止まらぬ早さで、正確に椿さんのローヒールのパンプスを履いた足を捕えていた。椿さんが足を引きずりながら自分の席に戻った後、皆何事も無かったような顔で仕事に取り掛かった。

 私は沢口かなえ。通称カナちゃん。

会社に勤めて二年目の新人OLである。


 その日も椿さんが立てとなってリリーさんの小言を引き受けてくれたおかげで、私は無事に一日の仕事を終えることが出来た。

 「お先に失礼します」

 挨拶を終えると地下鉄とバスを乗り継いで自分のアパートに帰る。

小さな台所と和室を隔てているガラス戸を開けると、蛍光灯の明かりの下、鏡台と姿見の間に置かれた、この部屋のもう一人の感情のない目が私を迎えた。

 「ただいま、フミコ」

と私は物言わぬルームメイトに挨拶した。


 フミコは以前、私が通勤途中に買い求めた週刊誌の通販のページに乗っていた商品である。“お部屋にあなたの分身を!”と言うキャッチコピーに魅せられて、申し込み用紙に自分の写真と、その他必要事項をかいて送ったら、数日経ってフミコが送られてきた。

 身長は8センチくらい。日本人形とフランス人形を足して2で割ったような顔をしていてなかなか可愛い。アパートで一人暮らしの私にはうってつけのパートナーといえた。

 それに――――

 「フミ、今日は何する?」

私が物言わぬはずのフミコに話しかけると、

(ピンクのブラウスとスミレのブローチ)

と囁くような声が私の頭の中に響いてきた。

私はフミコに言われるままに身だしなみを整えると、アパートを出て仕事に出かけた。

 出社すると、いつもとは逆に椿さんがリリーさんに淹れてもらったコーヒーを飲んでいるところだった。

 「わぁ、リリーさんにコーヒーを淹れてもらえるなんて」

と喜んだ椿さんだったが、コーヒーを一口飲むと妙な顔になった。

 「あのう...。これに砂糖は何杯...?」

と尋ねる椿さんにリリーさんは

 「みりんを少々」

とすました顔で答えると、足早に自分の机に向かっていった。




 その日、帰りがけにたれパンダと異名をとる課長が

 「なぁ、今夜誰かボクと一緒にカラオケにでも行かない?」

 と声をかけたが応ずる者はいない。課長のカラオケに付き合ったが最後、延々と演歌を聴かされることになるというのが社内のお約束だったからだ。

 が―――

 「はいはいはい、喜んで!」

と勢いよく手を挙げてたのはリリーさんだった。

 「課長、焼き肉ご馳走様です。今夜は二人で心行くまでデュエット愉しみましょう」

と私に向かって投げキッス。何だか見てはいけない物を見てしまったようなきがした。

 「そうだ、カナちゃんと椿も一緒に来なさいよ。今晩はアニソン歌っても許してあげるから―――。ちょっとかなチャン素敵なブローチしているわねぇ」

朝、フミコのアドバイスに従って身に付けてきたものだが、そんな事をここで言うわけにはいかない。

 「ええ、ちょっと駅前の路上で売っていたものですから」

とその場を何とか胡麻化して会社を後にした。

 その夜、自分の世界に入り、はなしの課長と、お立ち台クィーンよろしく女王様モードに入ったリリーさん。ちょっと外れた音程でアニソンを唄う椿さんを横目に、一人セッセと普段滅多に口にできぬ焼肉と口運び続けた。


 「ただいま」

やっと解放されてアパートにたどり着き、引き戸を開けた私の足はそこで止まった。

朝と変わらぬ顔で私を迎えたフミコの胸に輝くブローチは、まぎれもなく今朝私が身につけていたものだったのだ―――。


 翌日、いつものように椿さんのミスをほじくり返すリリーさんの小言で午前は過ぎ、昼時になった。

 「ねぇ、カナちゃん。一緒にお昼に行きましょう。」

 リリーさんにねっとりした口調で言われて首を横に振る度胸はない。椿さんが見つけて来た数日前に開店したばかりのオシャレなレストランのドアを三人でくぐった。

 「お子様ランチ1つ」

初めて入ったレストランでお子様ランチを注文した椿さんに一瞬目が点になった私。

 「あ椿さんはね、どこへ行ってもお子様ランチなの。季節感がないっていうか、ワンパターンというか―――。進歩がないっていうか」

 「だって好きなんですもの」

リリーさんに言われても、椿さんはどこ吹く風だ。

 「ところで、カナちゃん」

 「はい、なんでしょう?」

 「素敵な腕時計とリングしているけど、それも駅前の店でかったわけ?」

 「ええ—―。まあ」

 「それにしてもカナちゃん。なのになんで2つとも右手につけているの?」

 「何だって―――」

私の身体は一瞬にして固まった。腕時計もリングも今朝、フミコのアドバイスに従って身に付けてきたものなどと誰が言えようか。

 「ええ――嫌だなぁ、どうしちゃったんだろう―――」

 しどろもどろになる私を尻目に、椿さんがウサちゃんリンゴとタコさんウインナーを美味しそうに口に運んでいた。





 「カナちゃんどうしたの?何か元気ないわよ」

 オフィスでリリーさんに声をかけられた

 「ええ、まあ―――」

 私は笑って胡麻化した。フミコが恐いなんて本当の事が社内の人間に言えるわけがない!

 夜、アパートに帰ってから、朝身支度を整えてアパートを出るまで、物言わぬフミコの二つの眼が、私の一部始終を見つめ続ける―――。掃除している時から食事をしている姿から、布団にもぐり込む時まで

おかげで私の神経は限界に近づいていた。しかし、こんなことを人に話しても誰も信じてくれないだろう。

 その時だった。

オフィスのドアが開き、五十を過ぎてなおトロピカルな衣装がお気に入りの経理課の松倉女史が、上機嫌でオフィスに何か大きな包みを抱えて入ってきた。

 「ねえ、これ今年大学に入った甥っ子から誕生日にプレゼントしてもらったの」

 そう言いながら包みから取り出したのはフミコそっくりの人形だった。

 「ね、可愛いでしょ?」

 女史がその人形と受付のカウンターの上に置いた途端、私の中で何かが切れた。声にならない声を上げて廊下に飛び出し、行き場もないまま佇んでいると、ポンと肩を叩かれた。振り向くとリリーさんがこれまで見せた事のない優しい顔をして立っていた。そしてリリーさんの後には椿さん

 「話してくれるわね、全部」

 私は泣き出したくなるのをこらえてコクリと頷いた。


 会社の側の喫茶店ですべてを話し、三人でアパートへと向かう。キーを差し込みノブを回す。灯を点けると、朝と変わらぬ姿でフミコが立っていた。

 「これがフミコか、結構可愛いじゃない」

とリリーさん

 「カナちゃん、ちょっとこれを見て欲しいんだけど」

 そうやって乳母希さん聞いたページには

“あなたの部屋に分身を”のキャッチコピーと共にフミコの写真が、何故か隣にもう一枚のフミコ写真が。

そして、“双子の姉妹、スミコ”のキャッチコピー

 「これは―――。」

 「つまり、フミコ=スミコっていうこと」

 そう言って乳母希さんは美子頭に手を手クルっとフミコを回転させた。

 「ひっ」

 悲鳴が喉元で止まった。フミコの後頭部は、フミコと同じ顔があり、動かない眼で私と見つめていたのだ。

 ドシンと後ろで音がした。振り向くと、リリーさんが尻もちをついていた。

スカートがめくれ、形のいい脚が付け根までむき出し、スカートの奥まで丸見えである。

「ち、ちょっと椿。そ、それなんとかしてぇ」

 「大丈夫ですよ、ほら」

椿さんがフミコを床に置くと、なんとフミコはトコトコと歩き出し、開いた窓から外に出て行ってしまった。




 「フミコ!」

と駆け寄ろうとする私を椿さんがやんわり押し止めた。

 「カナちゃん、もうフミコはこことは別の世界へ行ったのよ。もうそっとしてあげましょう」

 と、椿さん。そこで急に上目遣いになっていて、

 「リリーさん、数日前に新しいカラオケ店がオープンしたそうですから、どうです?これから」

それを聞いたリリーさんの眼が吊り上がり、

 「TPOを考えろっていつも言っているわよね!」

と足にピンヒールの一撃を喰らっていた。

 数日後—――。そのカラオケ店で、アニソンを唄いながら、どっぷりと自分の世界にハマってしまっている椿さんを横目で見ながら私はリリーさんに尋ねた。

 「リリーさんにとって、椿さんとはどんな存在ですか?」

 リリーさんはしばらく考えてから

 「下戸で音痴な後輩で雑用係よ」

と言った。

その後、またしばらく考えると

 「でも、頼りになるかも、ね」

と恥ずかしそうに付け加えた。


 翌日

昼食を終えた私とリリーさん、それに椿さんの三人が大通りを歩いていると、新婚と思わしき二人連れがベビーカーを押して三人の横を通り過ぎて行った。

 「いいわねぇ、私もその内―――」

 と柄にもないセリフと共に、リリーさんが足を止めた。

すると昨夜、カラオケで飲めないお酒を飲み過ぎとアニソンの歌いすぎで宿酔い気味の椿さんの

 「ま、二人にはどのみち縁のない事ですから」

 と言わなくてもいい一言。

 「ああ、言っちゃった―――」

案の定、その一言が終わらない内に

 「椿、口は災いのもとって日頃から言ってるでしょ」

 と、狙いすましたピンヒールの一撃を椿さんの足に見舞い、口元を思いっきりつねり上げた。

 その時、ベビーカーに乗せられていた赤ん坊が振り返った。

 「ふ、フミコ!」

 振り返ったその顔は、あのフミコにそっくりだったのである!

 「なんであなたがここに―――」

 その場に立ちすくんだ私をそのまま、ベビーカーはそのまま雑踏に消えていった。

 ベビーカーのフミコがもう一度、私に振り返ったように―――見えた―――。


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