甘酒を飲んだ日
魔の者トニカ・ク・ヒエテールは人間の男性アオイに拾われた。
それからというもの、彼女はずっとアオイを密かに想っている。
しかしそんなことにはまったくもって気がついていないアオイは、自然な感じでやたらとトニカに触れるのだ。
そのたびにトニカは赤くなっている、が、元々の肌が黄緑がかった色であることもあって紅潮に気づかれないことも少なくない――良くも悪くも。
そんなある日のこと、トニカが掃除を終えて宿の一階へ戻ると、アオイが甘酒を飲みつつ寛いでいた。
「お! トニカちゃん、もう終わったん?」
ほうきを手にしたトニカが接近してきていることに気づいたアオイはカップから唇を離して振り返る。
「……ぅ、ん、そう、終わった」
こくこくと頭を小さく動かすトニカ。
「ほんま! ほんなら良かったわ。これさぁ、めっちゃ美味しいねん」
「……のみ、もの?」
「そうそう! 甘酒て言うんやけど」
「ぁ、ま……ざ、け……?」
初めて聞く言葉に彼女は戸惑っていた。
視線が定まらなくなっている。
「おいしい……?」
「そうそう! あ、ちょっとだけ飲まへん?」
言って、アオイはカップを差し出す。
しかしトニカは頬を赤く染めるだけ。
――恥ずかしいのだ、アオイが飲んでいたカップから直接飲むというのは。
「ぁ、ぅ……ぅ、うん……いらない……」
「ええっ」
「あ……ご、ぉ、めんなさ……」
「ほらほらちょっとだけ! あ、これ、酒ちゃうで」
しかしトニカは折れた。
「……ぅ、ん、ぇと……ちょ、っと、だけ……」
飲んでみることにした。
トニカはカップをミトンをはめた手で受け取ると両手で大事そうに持つ。それから恐る恐る口もとをカップの端へと近づけていく。そして、数秒間があって、ついに勢いよく唇をカップへとつけた。それからカップを僅かに傾けて、その後、トニカの喉が動いた。
「おいしい……!」
輝くトニカの目。
今はその液体の美味さに恥じらいなど忘れ去っている。
「もっと飲んでもええよ?」
言われれば、トニカは激しく数回頷いて――甘酒を一気に飲み干した。
それから少しして、正気に戻ったトニカは恥じらいを思い出す。面を僅かに赤くさせたが、その程度の照れには誰も気づかなくて。彼女の中で小さく燃えた恥じらいの炎は誰にも知られないまま消え去った。
「気に入ってくれたん?」
「……ぅ、ん……おい、しくて……の、また……のみた、い、くらい……かも」
「おお! 結構本格的に気に入ってるやん! ほんならまた今度買ってきとくわ」
これもまた、トニカの人生における一つの小さな、それでいて幸せな――そんな出来事であった。
◆終わり◆
2023.3.4 に書いた作品です。