天の化石
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
杞憂の由来、みんなは知っているかな? ふむ、じゃあつぶらやくん。
――杞の国に天が落ちると、あり得ないことを憂える人がいたことから。
うん、要点はそこだな。
まず起こりえないことをあれこれ心配してしまい、貴重な時間を浪費してしまうこと。これが杞憂の恐ろしいところであり、戒めるべきことだと先生は考えている。
そりゃこの世の中、絶対なんてものはないだろうし、みんながいま頭の中で考えていることが、どれだけ突拍子もなかろうが、起こる可能性はゼロじゃない。
しかし、やるべきことも楽しいこともまだまだたくさんある。起こったら起こったで、そのとき対処をすればいいし、それまではもっとワイワイ、イチャイチャ楽しみたまえ。
心配、心配だけで終わる人生なんてもったいないじゃないか。想定はすれども、気は病まずという奴だよ。
――うん? 説教臭くって気に食わなかったかい?
そりゃ失礼。仕事柄、どうしてもね。
ふむ、じゃあ息抜きがてら、先生の昔話でもしようか。
先生は学生時代、身体を動かすことに力を入れていた。
ランニングなどで足腰を、筋トレで他の部分もできる限り鍛える。
いずれも災害などがあったときの備えだ。演出とはいえ、映画とかなら間一髪で助かるタイミングがほとんどだが、現実がそうとは限らない。
もし、もう少し足が速ければ。もし、もう少し馬力があったなら。自分のものを含めて、助けられた命があったかもしれない。そのような後悔を、少しでも減らしたいと思ってね。
家族や友達は、その心配こそ杞憂だという。だが当時の先生は、テレビ越しではあるが展開される生の災害の様子が、頭に残って仕方なかった。
いつ、自分たちがこのような目に遭うか分からない。そのためには、もっともっと身体を鍛えないと。
その強迫観念が雨の日も風の日も、先生を運動へ駆り立てていた。おかげでアスリートでもないのに、単純な量では運動部のそれを上回ることもしばしばだったよ。
ある休日のこと。
やはり先生にとっては遊びより勉強より、鍛錬だった。
朝に起きて必要な栄養を補充すると、ぱっと家を出て3時間はランニングだ。ご飯を食べたら、午後も同じくらいはやる。たとえ悪天候の日であってもだ。
コースは日によって変える。特にかっちり決めてはおらず、気の向くまま足を伸ばした。いまのように持っているスマホで、現在位置の確認とかできないから、戻るのにやたら時間を食ったこともあったよ。
それはそれで、運動量を意図せず増やせてラッキーと思う。幸か不幸か先生の骨などは丈夫だったらしく、疲労骨折などとは縁がなかった。
その日の午前も足を伸ばし放題で、またとある小山の上へ迷い込んでいたんだ。
やっとの思いで見つけた某学校の校舎と近辺の地図だが、ふとその足元に転がっているものが目に入る。
ぱッと見、地図のように思えたんだけど、材質は薄い石のように思えた。
ただそこには建物や地形を表わすものは見当たらず、8割は平面で、ところどころ雑な輪郭を浮かべる、丸とも四角ともつかない図形がいくつか。そして中央に、花びらのように咲き乱れてあちらこちらへ伸びる、細かな線の集まり……。
――学校の美術で作った作品だろうか。それにしては、何とも雑な扱いだな。
帰り道を確認し、家へ向かう先生だったけれど、その足は妙に重く感じられた。
最初こそ、余計に走った疲れが出たのかと思い、さほど気にはしていなかったんだ。
だが、帰宅して汗を流そうと風呂場へ直行したとき。
マッパになるや、がらんと音を立てて足元へ落ちる重い音。見下ろすと、あの地図下に転がっていた作品があるじゃないか。
理解が追い付かず、固まっちゃったよ。接触といえばせいぜいつま先で触れたくらい。あとは表面を眺めて、それっきりの縁しかなかったはずだ。
それが、こいつはくっついてきた。おそらく重さを感じた時から、何時間もずっと。先生の背中に、ね。
すぐさま外の適当なところへ捨てにいった。
その日は自分の背中はもちろん、家じゅうを何度も調べまわったな。午後の鍛錬を差し置いてさ。
めったに見られない先生の姿は家族もいぶかしがるほど。だが、こればかりはゆずれない。
また外へ出たとたん、背中へ張り付かれたりしたらろくに走れそうにないからね。
結局、その日は床に入るまであの板が姿を見せることはなかったよ。
それが翌日。奴は思わぬ形で姿を見せてきたんだ。
部屋の中に現れたとか、また先生の背中にくっついてきたとかじゃない。
空なんだ。見上げる空の景色が、あの板の中身そっくりなんだよ。
何もない平面は青空。いびつな形の図形は雲。あのとき見た配置そのままで、あいつらは空へ張り付いていた。
道行く人は、いつも通りの一日を迎えたと思っているのだろうか。そもそも、あの図面を見ている人など、先生以外にどれだけいるだろうか。誰もまともに空を見やることなく、それぞれの道を急いでいる。
先生はなお空を見上げ続け、気づいた。あの雲たちは先ほどから、これっぽっちも流れていかないことに。
散るどころか、かすかな形の乱れさえない。いまもこうして、先生のいる地上では木々を騒がすほどの風が吹いているんだ。なのに、雲が浮かぶほどの上空でまったく風が吹かないかのごとき様子など、これまで見たことがなかった。
――でも、まだ目にしていないものがあるぞ。あの図面だけにあって、こちらの空にないもの……。
その先生の考えに、空はすぐさま応えてくれやがった。
青の広がる空の中心。見ればにじむ、紅い点。
梅干しのごとき小ささだったそれは、みるみる大きさを増していく。けれども、まばゆさは感じない。
光じゃない。絵の具のようだ。
ぬるり、ぬるりと渦巻くような動きで輪郭を重ねて大きくなっていくそれが、あの板で見たのと同じくらいの大きさになったとき、その周りから噴水のごとく幾筋もの筋が伸びた。
あの花びらとそっくりだ。
線は互いに結われ、束ねられていくつもの花弁を作っていく。その十数秒のパノラマは、きっと先生以外にも目にした人はいるだろうに、二階から見下ろして確認できる人々は、やはりひとりも足を止めない。
――見えていないのか?
そう思う間に、空はなお変化を見せる。
先生が板で見たのは、あの咲き誇る赤のところのみ。その七枚の花弁を携えた中心が、いま徐々にだが盛り上がり……いや、この地上へ向かって突き出し始めていた。
柱頭のそれに、先生は思えた。裏から割りばしか何かを突っ込まれたかのように、赤はどんどんとこちらへはみ出し、地上目がけて伸びてくる。
その勢いはとどまらず、ついに近くのアパートの屋根へ届くかというところで。
ぱっと、それらは消えた。
花も、雲も、青空も。あるのは灰色を一面にたたえる、重苦しい曇り空のみだったんだ。
目をいくら凝らしても、また同じ空は見えてこない。そして例の板も、先生の部屋や家じゅうはおろか、昨日捨てた場所にも残っていなかったんだ。
不思議な思い出のひとつとなったそれだが、こうして教鞭をとる身になるより前、大学の教授のひとりから、話を聞いたんだ。
古代の生き物がミネラルを取り込んで硬化して化石となるように、過ぎ去りし空もまた化石となることがあるという。
見つかるのは生き物のそれよりずっと確率が低いが、もし人に見つけられることになったなら、そいつに自分をさらけ出すため、目覚めることがあるのだという。
あれは地球がいつか見た、空の断片だったのかもしれない。