4.寵姫の館(2)
台所ではコンスタンティンが器用に果物を飾り切りして、皿に盛り付けていた。
「しかし凄まじいな『黒の姫君』は。
今の私じゃ、彼女の相手は15分で限界だ」
そばでテーブルに頬杖を突いているマリア・リリーアがぱかりと口を開き、果物の切れ端をコンスタンティンが入れてやる。
マリア・リリーアは「そんなに保つかしら」とからかうように笑った。
コンスタンティンは考え直して「頑張って10分かな!」と笑う。
「ところでお2人は踊らないんですか?」
コンスタンティンは、ジュスティーヌともジュリエットとも少し踊っているが、マリア・リーリアは、せっかくドレスを着ているのに、裏方だ。
「んん……
踊ろうかな、どうしようかなというところなのだけど」
マリア・リーリアはちらりと夫を見る。
「というか、アルフォンス。
君は嫉妬しないのか?」
アルフォンスは叔父から受けた訓練を思い出した。
この苦しさが──嫉妬なのだろう。
「……これまでの人生にかつてないほど嫉妬していますが、なによりも申し訳なさが……」
アルフォンスはかくりとうなだれた。
やはり、ジュスティーヌは王太子妃にならない方が幸せだったのではないか。
あのいきいきときらめく瞳を見、楽しげな笑い声を聞いてしまったら、それしか言葉が出てこない。
叔父夫婦は深々とため息をつき、互いに顔を見合わせて頷きあった。
「……あなた達、優しすぎるのよ」
マリア・リリーアはぶっきらぼうに言うと、口紅を出して化粧を直し始めた。
あなた「達」?と首を傾げたアルフォンスに、コンスタンティンが盛り付けが終わった皿を押し付けた。
「とりあえず最後の皿を持っていってくれ。
私達も踊るから、そのへんで見ていなさい」
サロンに戻ってみると、ジュリエットは少々疲れて中休みという雰囲気だった。
ジュスティーヌはホールで相変わらず踊っている。
眼鏡担当と話し込んでいるジュリエットに見つからないよう、できる限り気配を消して皿を置き、空いたグラス類を下げる。
ジュリエットは話に夢中で、アルフォンスに気づかなかった。
そのままカーテンと一体化する気持ちですみっこに立つ。
果物の皿があらかた空になった頃、ようやく入ってきたコンスタンティンが楽団員になにか言い、切りの良いところで音楽が止まる。
コンスタンティンはジャケットを脱ぎ、黒のシャツ姿になっていた。
ジュスティーヌがなにごとかと筋肉担当にエスコートされて戻ってくる。
「さて、姫君方、秘密の宴は楽しんでいただいたでしょうか」
コンスタンティンが司会モードで2人に話しかけた。
「「楽しんでまーす!」」
元気よく2人が片手を突き上げる。
「それはようございました。
が。残念なことに、楽しい時間はもう残りわずか。
最後の曲の前に、お若い姫君方にお目にかけたいものがあるのですが、よろしいでしょうか」
あら、とジュスティーヌとジュリエットは顔を見合わせ、「見てみたいでーす!」とジュリエットが声を上げた。
「ありがとうございます」
大仰にコンスタンティンがお辞儀をする。
「今宵、姫君方は、ダンスを楽しまれました。
ダンスにはさまざまな意味があります。
一つは娯楽、もう一つは社交。
一種のスポーツとして嗜まれる方もいらっしゃるでしょう。
そしてもう一つ、とてもとても大事な意味があります」
タン、タ、タン、タン、タ、タン、とコンスタンティンは足でリズムを刻み始めた。
イケメン貴公子共が合わせて手を叩き始め、ピアノが続く。
「……求愛行動です。
雄の孔雀が羽を広げて雌の気を惹くように。
白頭鷲が互いにかぎ爪を絡ませ、地上すれすれまで落下して、つがいとなる相手の勇気を試すように。
我々人間は踊るのです」
口上が終わると同時に、マリア・リリーアがすっと入ってきて2人が向かい合う。
互いに憎み合っているとしか思えないような強い目で睨み合った2人は、曲が始まると同時に手をつなぎ、ぱっと反発するように離す。
またつないでは離し、泣くようなヴァイオリンが短調の激しいメロディを奏ではじめた。
南方の暗く激しい舞曲だ。
それから数分間続いた、ダンス──というより生死を賭けた闘争──を語る言葉をアルフォンスは知らない。
ジュリエットであれば、「エロい」という言葉を使うのではないかと思うが、同時に「エロい」という言葉では到底足りないとも言いそうだ。
宮中の儀礼に必要だからとダンスを覚えさせられたアルフォンスにとって、ダンスは「王族らしさを人に見せるためのもの」である。
2人のダンスはまったく違っていた。
マリア・リリーアがコンスタンティンの頬を両手で包もうとし、コンスタンティンがはねのける。
マリア・リリーアが逃げ、コンスタンティンが追う。
組んで翔ぶように奔り、同時に視線を合わせ、同時に顔をそむける。
見つめあいすぎて、恋に溺れて自分を失ってしまうのを恐れているように。
怖い。
でも相手が欲しい。
欲しいから挑発し、もっと深く欲望されるために拒む。
自分から離れて、こっちに来いとばかり足を踏み鳴らす。
踊る2人は、もはやアルフォンスの叔父でも叔母でもない。
剥き出しの、「男」と「女」がそこにいた。
再び2人が組み、互いに絡みつきあいながら部屋いっぱいに大きなステップを踏んで舞い、「男」が「女」をほとんど床に横たえるようなポーズを取った時は、そのまま深いキスをするのではないかとヒヤッとした。
普段は飄々とした叔父夫婦だが、マリア・リリーアのためにコンスタンティンは王族の地位を捨て、勘当されている。
アルフォンス自身、王族だからこそわかるが、並大抵のことではない。
それでも2人で生きる決断をした情熱は、20年近く経った今も2人の間に生きているのだろう。
イケメン貴公子達も、2人の表情、時に激しく、時に繊細な動きを食い入るように見つめている。
ぽーんと肩の上まで高く上げた「女」の脚を「男」が受け止めて、曲は終わった。
コンスタンティンがマリア・リリーアの脚に茶目っ気たっぷりな表情で軽くキスをして下ろし、2人で手をつないで、深々とお辞儀をする。
アルフォンスもジュリエットもイケメン貴公子達も楽団員まで立ち上がって、全力で拍手を送り、口笛を吹き、足を踏み鳴らす。
ふと見ると、ジュスティーヌは、拍手も忘れて呆然と座っていた。
コンスタンティンとマリア・リーリアの曲
A. Piazzolla. Libertango
https://www.youtube.com/watch?v=kdhTodxH7Gw