3.寵姫の館(1)
というわけで叔父に、感情を把握し表現する訓練──要は初心者向けの演技の練習と、感じたことを日々記録して自己分析をすること──を受けつつ、諸々の手配をして数週間後。
ジュスティーヌの誕生日を少し過ぎてしまったが、ようやく「8年分+これからよろしくね!」誕プレの用意が整った。
もちろん誕生日当日には、ジュリエットに相談して選んだ、アメジストで花をかたどったイヤリングを贈っている。
今夜は「私的な夜会」ということにしている。
朝食の時、衣装はあちらで選べるように用意してあるから、楽な格好ででかけてゆっくりしておいでと、いかにもアルフォンスは留守番している風に言って、公務のふりをして出る。
誕プレ会の場所は、コンスタンティンが生まれ育った、2階建ての小さな館にした。
コンスタンティンの母である先代国王の側妃のために建てられたもので、女主人が亡くなった後は、王家の所有のまま誰も住んでいない。
もともと歌手だった側妃の好みか瀟洒な造りで、サロンや、サロンとつなげて使えるホールも広く取られ、小さな舞台もある。
折々、手入れはされていたため、家具のカバーを外して掃除をし、用意したものを運び込むとあらかた準備は整った。
コンスタンティンは懐かしげに、初めて夫の生家を訪れることになったマリア・リーリアを案内していた。
午後早く、仮面をつけたジュスティーヌとジュリエットが着いた。
仮面をつけていないコンスタンティンが出迎え、マリア・リリーアが2階の休憩室に案内する。
コンスタンティンを知っているジュスティーヌは、少し驚いたものの、逆に安心したようだった。
衣装は、舞台衣装を馬車3台分持ち込んである。
村娘、歌姫、女海賊、男装の騎士、姫君、巫女、森の精に古代の女神となんでもありだ。
午後中、きゃっきゃとはしゃぐ声が2階から聞こえていた。
陽が落ちてしばらくしてから、ようやく衣装が決まったという知らせが来て、仮面をつけたイケメン貴公子役一同が、階段の下にずらっと並ぶ。
アルフォンスは扉の影からそっと覗いた。
裏方の人数が足りないので、アルフォンスは洗えば落ちる染め粉で金色の髪を焦げ茶に変え、仮面をつけて給仕役だ。
プラチナブロンドの髪を黒に変え、コテを使って波打たたせ、結わずに後ろへ流して耳元に赤いダリアを飾った姿で、ジュスティーヌは現れた。
色とりどりの鳥の羽をあしらった仮面で顔は隠しているが、唇は艷やかな赤で彩られている。
赤の地にビジューを散りばめた、スカートを膨らませていないサテンのドレスをまとっている。
どことなく南国を舞台にしたオペラの歌姫のようだ。
階段を降りる度にひらひらと裾が揺れた。
おそろいの仮面をつけたジュリエットの方は、ピンクブロンドの髪を深い青紫に変え、ワンショルダーの黄色のドレスを着ている。
ジュスティーヌがこちらをちらりと見たように見えて、アルフォンスは慌ててひっこんだ。
「ようこそ姫君方。
私は今宵の不思議な宴の司会兼、イケオジ担当のコンスタンティン。
お見知り置きください」
階段の中ほどで立ち止まった2人に、自身、舞台に立つこともあるコンスタンティンが朗々とした声で名乗り、お辞儀をした。
次いで、王道イケメン貴公子オーギュスト、眼鏡担当アルベルト、脳筋担当ミハイル、小悪魔ショタっ子担当エドアルド等々、コンスタンティンを真ん中にずらりと並んだイケメン役を真顔で紹介していく。
色々シュールな絵だが、豪奢な仮面をつけ、堂々とイケオジ担当と名乗るコンスタンティンに飲まれて、ジュリエットもいつものツッコミを忘れている。
「そちらは『黒の姫君』、こちらは『青の姫君』とお呼びしてよろしいでしょうか」
髪の色で呼び分けるようだ。
「どうぞ、そのように」
ジュスティーヌが頷くと、コンスタンティンとオーギュストが進み出て、2人をエスコートしてサロンへ向かう。
ジュスティーヌが赤を着るのは珍しいが、肩は出ているものの首元は詰まっている。
結局大人しいドレスを選んだのか、と思っていたアルフォンスは背が見えた瞬間、変な声を立てそうになった。
背中がウエストラインあたりまでがっつりと開き、素肌が見えている。
今、ジュスティーヌはコルセットをしていない。
スカートはそこまで身体にぴったりしたものではないが、シルエットからしてスカートをふくらませる「クリノリン」の類もつけていないはずだ。
これは実質、裸なのでは!?と、アルフォンスがジュスティーヌの後ろ姿を食い入るようには見つめていたところ、頭をぺしんと叩かれた。
果てしない着付けで、さすがに少し疲れた様子のマリア・リーリアだ。
こちらも仮面をつけ、背中ががっつり開いた黒のドレスに着替えている。
「ただの舞踏用衣装に、なにを興奮してるの」
「あッ、はい……」
そうだった。
思わず興奮してしまったが、舞台で演者が着ているのは見たことがあった。
それによく考えたらノーコルセット、ノークリノリンな寝間着姿だって毎日見ている。
見ているだけだが。
サロンの方では、音楽が奏でられはじめ、乾杯の声がする。
直接給仕するのは役者の一人で、アルフォンスは下げられたものをキッチンまで運び、次に出すものをサロンの脇まで持っていく係だ。
ちらりちらりと隙見をすると、大きな半月型のソファの真ん中に、ジュスティーヌとジュリエットが座り、それを囲んでイケメン貴公子達が2人をちやほやしているようだ。
王道担当オーギュストが「姫様、お召し上がりください」とジュスティーヌに口を開かせて鮭のテリーヌを食べさせ、「素敵な殿方に食べさせてもらうと、いつもの倍、美味しいのね」と笑うジュスティーヌの様子に、もやもやが超募って、アルフォンスはしばし廊下にうずくまってしまった。
そのうち、音楽が変わった。
市井で流行っている曲なのだろう。
聴くだけで気持ちが浮き立ってくるような曲だ。
ジュリエットが「この曲知ってる!」と立ち上がり、歌え歌えと囃し立てられて歌い始めた。
一目惚れした相手に愛を乞い、全力で口説く歌らしい。
「姫様踊りましょう!」とジュリエットは間奏の間にジュスティーヌの手をとって空いたスペースに出ると、さっと組んで2人してステップもなにもすっ飛ばしてくるくると回り始めた。
ジュリエットに先手を取られたイケメン貴公子達は、あっけに取られていたが、コンスタンティンが後に続けとすかさず手を振って、手近なイケメン貴公子同士で組んで踊り始める。
どういうツボに入ったのか、ジュスティーヌが珍しく声を立てて笑った。
ジュリエットがびっくりしているうちに、コンスタンティンがジュスティーヌを流れるようにさらい、あ、と伸ばしたジュリエットの手を眼鏡担当アルベルトが取り、それぞれ踊りはじめる。
次の曲は南国風のもの。
コンスタンティンからジュスティーヌを渡されたオーギュストが一度脚を止めて、ステップを簡単に教える。
少し練習しただけでジュスティーヌは飲み込み、2人は踊り始めた。
ここには王太子妃がほんの少しよろめいたからといって、扇の影でひそひそと囁くご婦人方はいない。
勢い余って他の組とぶつかっても、眼で謝ればそれで終わりだ。
ステップも裾をひるがえすターンも次第に大きくなり、もうサロンのスペースでは収まらなくなって、隣のホールも使って踊っている。
あまりに楽しげな様子に、給仕役が「俺も給仕系イケメン貴公子ということでここは1つ!」と電撃参戦し、小休止に入ろうとしていたジュスティーヌは笑いながら彼に手を預けてまた踊る。
いつも控えめに微笑んでいるジュスティーヌの瞳は、仮面越しでもわかるほど興奮にきらめいている。
大きな声で笑い、パートナーを思いのままに次々と替えながら、どんな曲が来ても華やかに舞うその姿は、普段のジュスティーヌとは別人といっても良かった。
相手に身を預け、大きくのけぞるポーズも堂々とキメている。
特にオーギュストと相性が良いらしく、複雑すぎてアルフォンスには眼で追いきれないようなステップを、競いあうように踏んでいた。
胸がキリキリと痛む。
ぎゅうぎゅうと心臓を握りしめられているような感覚だ。
急な病では……たぶんない。
アルフォンスがうなだれながら器を下げていると、踊りながら廊下を高速で駆け抜けるジュスティーヌとオーギュストに轢かれそうになって慌てて台所に逃げた。
1曲目
Can't Take My Eyes Off You - Frankie Valli - Stringspace String Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=mJ4VchYAfyc
2曲目「南国風の曲」
Copacabana - Barry Manilow (Orchestral version) | Arr. Emma Wieriks
https://www.youtube.com/watch?v=EnPAbYxl9Pg