2.元王弟コンスタンティンの館
数日後、アルフォンスは公務を無理くり空けて、最小限の護衛と共に王宮を出た。
美貌に恵まれ、知性や品格に優れたジュスティーヌだったが、早くに将来の王太子妃と決まってしまったばかりに、立場に縛られた少女時代を過ごさざるを得なかった。
自分との婚約がなければ、天然自然に「めちゃくちゃにモテ」る人生を送っていたに違いない。
だが、うっかり王太子と婚約してしまったばかりに、舞踏会に出る機会は多くとも、品のある──つまりは高価で洗練されていても要は無難なドレスを着て、アルフォンスの隣で挨拶を受けるばかり。
ダンスも巧いし踊るのは好きなはずなのに、踊る相手はそこまで上手くはないアルフォンスに、家族、たまに国外からの賓客くらいだ。
別に、一曲踊るくらいなら他の者とも踊ってもよいのだが、ジュスティーヌはかたくなに避けていた。
美人すぎてデキが良すぎて、令嬢同士のお茶会でも、学院でも敬して遠ざけられがち。
ジュリエットが姫様姫様とゴリゴリ迫ってくるまでは、打ち解けた女性の友人すらいなかった。
自分の婚約者となり妃となったことで、ジュスティーヌになにか良いこと、楽しかったことがあったのかといえば、全然思い当たらない。
傍から見れば豪奢な生活とはいえ、ジュスティーヌに課せられた義務と責務の重さ、そして捨てなければならなかった諸々を考えると、引き合うものでは全然ないのではないか。
だから、「逆ハー」を楽しんでみたいというのが、ジュスティーヌの望みであるならば、アルフォンスとしてはせめて叶えてやりたいのである。
かなりもやっとはするが。
相当もやもやしているが。
それにしても、男性は苦手と言っていたのに「逆ハー」してみたいということは、男性全般が苦手なわけではなく、特定の男性──要はアルフォンスが苦手ということなのだろうか。
そこのところを考え始めると、固まって動けなくなってしまうので、深く考えないことにするとして……
父母や侍従に相談するわけにもいかないし、さすがのジュリエットも「仮面舞踏会に行っても、姫様と即バレですよね」と、良い知恵が出ない。
そこで思い出したのが、父国王の腹違いの弟、コンスタンティン。
女優と結婚して臣籍に下り、今は劇団を主宰している人物だ。
叔父の劇団は他国を回って上演していることの方が多いが、ちょうど新作の仕込みということで帰国している。
王宮に招くことはないが、叔父を勘当した先代国王が亡くなって以来、もともと兄弟仲が良かったこともあって親戚としてのつきあいは復活している。
遊び心が溢れすぎて王族の立場を捨てた叔父なら、なにか良い案を思いついてくれるのではないかと、藁にもすがるような気持ちで面会を願ったのだ。
叔父が暮らしている旧市街の外れにある小さな館に着くと、コンスタンティン本人と妻のマリア・リーリアが出迎えてくれた。
2人とも30代後半のはずなのだが、年齢よりだいぶ若く見える。
特にマリア・リーリアは、寄宿学校に通っている子供もいるのに、20代なかばにも見えるほど年齢不詳だ。
彼女の当たり役は、呪われた皇子と恋に落ちる16歳の村娘だったりするので、そのへんもあるのかもしれない。
1階は稽古場なので、2階の応接室に通された。
「というわけで……
どうにか叔父上叔母上にお知恵を拝借できないかと」
出された茶に手をつけるのも忘れて、アルフォンスはこれまでのことを洗いざらいをぶちまけた。
つかず離れず、さほど親しくない幼馴染という感覚でずっと来てしまったこと、一時期、劣等感からジュスティーヌを鬱陶しがってジュリエットに入れ込んでしまったりもしたこと、そのせいでいまだ白い結婚のままであることもコミでだ。
「これはまたひどく拗らせたなぁ……」
叔父夫婦もあっけに取られている。
「で、もうちょっと具体的にイメージを教えてほしいと、ジュリエットが聞き出したメモがこちらなんですが……」
「派手なドレスも一度くらい着てみたい」
「スキャンダルはごめんなので、一夜限りが良い」
等々、ジュリエットらしい表現で書いてあるのを読み上げる。
最後の行には、「いろんなタイプにちやほやされたい」とあり、
「王道イケメン貴公子(アル様以外で)」
「クール系貴公子(眼鏡歓迎)」
「ちょっと年上の大人な感じの貴公子(優しそう、包容力)」
「おねぇ系(口が悪くてちょいちょい突っ込んでくるけど結局甘やかしてくれる)」
「イケオジ」
「脳筋貴公子」
「小悪魔ショタっ子」
「わんこ系」
云々と余白ギリギリまで「タイプ」の例が書き込まれている。
ちなみに「チャラ男」「俺様系」は横棒で消されていた。
ジュスティーヌはチャラ男と俺様系は苦手らしい。
そして自分は「王道イケメン貴公子」という扱いらしい。
「……妃殿下は、仮面舞踏会のようなイメージでお考えなのかしら」
マリア・リーリアは、首を傾げた。
「の、ようだな。
しかし、普通の仮面舞踏会に紛れ込んでも難しいだろう。
髪は変えられるとしても、瞳や体型がな……
うまくごまかせたらごまかせたで、気づかずに不埒なことをする者でも出たら大変なことになる」
不埒なことをした側は、別の理由をつけて家ごと制裁、ジュスティーヌは病気にでもなったことにして離宮に幽閉、あたりがありそうな線か。
叔父は細く巻いた紙巻に火をつけ、しばし考え込んだ。
「ここに書かれたタイプに合わせられる若い役者を数人、用意することはできるな」
煙草の先で下を指す。
一階からは、発声練習らしい声が漏れ聞こえてくる。
コンスタンティンの元には、修行中の若手俳優がたくさんいる。
見た目が良い者が多いし、役を演じるのはお手の物だ。
「そうね。
舞踏会ではなく、音楽や演物のあるサロン、くらいの感じで……
最小編成で楽団も入れて、興が乗ったら妃殿下もイケメン貴公子?達と踊っていただけるようにしておけば、楽しく過ごせるでしょう。
場所はどこか、使われていない館でも借りられればなんとかなるんじゃないかしら」
「おおおお、さすがです叔父上叔母上!!!」
さっそくなんとかなりそうだ!
内心、叔父夫婦に相談することを思いついた自分を、アルフォンスは全力で褒めた。
「だがそれで君たちの問題が解決、というわけには、いかないだろうな」
叔父夫婦はまだ憂わしげだ。
「え。駄目ですか?」
ぶんぶんと夫婦は同じタイミングで同じ方向に首を横に振る。
「『逆ハー』を楽しむ、それが妃殿下の本当のお望みなのかしら」
え、とアルフォンスは挙動不審になった。
紫煙をくゆらせながら、コンスタンティンが考え込む。
「なんなんだろうな。
一晩こっきりでちやほやしてほしい。
でもそれ以上はいらない……
王太子妃の立場があるからそれ以上は無理だというのもあるだろうが、自分自身が誰かに望まれるのを諦めてしまっている感じもあるな」
「ああ……そうかもしれないわね。
お若いのになんてお気の毒な」
夫婦は勝手になにか納得している。
「そんなはずは……
ジュスティーヌは立派な王太子妃、王妃になれるだろうと、父上母上も公爵家も皆、期待しています。
私にしても、一番気持ちが離れていた時でも、正妃は彼女しかいないと伝えていました。
ジュリエットはジュスティーヌ大事で正直困っているくらいですし」
夫婦はそうじゃないとばかりに半眼になった。
「ジュリエット嬢はとにかく、他は皆、役割の話でしょう?
私達が心配しているのは、ジュスティーヌ様ご自身のこと、心と心のことなの」
少し苛立って言う叔母に、アルフォンスは「ココロとココロ……?」とオウム返しに呟く。
だめだこりゃ、と夫婦は視線を交わした。
「ではアルフォンス。
君は、ジュスティーヌを女として欲しているのか?」
え、とアルフォンスは固まる。
「……彼女と寝たいのか?」
コンスタンティンが問いを重ねる。
さらに固まったアルフォンスだったが、ややあって、ものすごい勢いで頷いた。
「そうか。その気はあるのか。
むしろ驚きだよ」
めちゃくちゃに生温い目でコンスタンティンは甥を見て立ち上がった。
「ついて来なさい。
君には自分の感情を受け止め、表現する訓練が必要だ」