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東の果て、雨の降る国で

作者: 神谷アユム

「店長さん、今日なんか食べたいもんある?」

「食べたいもの、ねえ」

 オウム返しにつぶやいて、柑野紫苑は目の前の居候を見た。この居候には名前がない。ネットで調べると、かろうじて「シロ」という芸名を発見することはできるが、それ以上のことは本人も言わないので何もわからない。昔飼っていた猫にちなんで、「マオ」と呼んでいる。一方彼は、元々店の客なので、自分のことは「店長さん」と呼ぶ。名前は言ったが彼は頑なに呼び方を変えないので、そういう主義なのだろう。

「レパートリー、割と広めだからだいたい何言われても作れるよ」

「一体君みたいな子がどこでそんなん覚えてくるんだか」

「えー、俺みたいなタイプは万が一の時のためにヒモ力上げとくに越したことないし」

 そんなことを言って笑うマオは、確かに整った顔をしている。どちらかというと女顔で、今は髪を長く伸ばしているので、本当に背の高い女の子に見える。ただ、いかにもチャラ男、という雰囲気なので、とても料理ができそうには見えないが。

「それに、今までそんなの聞いたことなかったでしょ? どういう風の吹き回しなの」

「えー? 餌付け? 店長さんの胃袋ある程度掴んどけば、なんかあってもここに置いてくれるでしょ?」

「今更追い出す気もないんだけどな……」

 店で、帰る場所がないと言い出したマオを連れ帰ってからはや三週間。彼は、家に置いておけば料理も掃除も洗濯もしておいてくれるし、それに。

「まあそうだよねー。オレのことここに置いとけば、いちいち後腐れない相手探さなくていいもんね」

「マーオ。それだけが理由みたいな言い方しないでくれる?」

「でも、いいんでしょ、オレ」

 それは君も一緒でしょうが、と言い返すと、マオはいたずらっぽく微笑んだ。昨夜爪を立てられた背中が、少しだけひりつく。

『てんちょ、さ』

『手、あんまり握り込むと痛いでしょ。背中、爪立てていいから』

 マオの爪は、ギターを弾くために短く切りそろえられており、立てられたところでさほどの傷にはならなかった。それを残念に思ってしまう自分に、紫苑は少しだけ戸惑う。そんなつもりはないはずだ。

「で? なんか食べたいものある? 店長さん、割と気に入ってるでしょ、オレの飯」

「まあね。そうだな……唐揚げ、食べたいかも」

「意外とがっつりー。太るよー。店長さん、地味にオッサンなんだからさ」

「都合良くオッサン扱いしないでくれる? まあ、めんどくさいならなんでもいいけど」

 いいよ、と言って、マオが笑う。やはりどこか憎めない、可愛い顔の男。確かに、今年二十四歳の彼は、恋人にするには少々、年下過ぎる気がしている。そんな風に言うと、多分彼は笑うのだろうが。

「ちょっと頑張っちゃうから楽しみにしてて」

 ありがとう、と返して、紫苑は出かける支度を始める。今日の天気は雨だ。雨が降ると、バーはあきらかに客の動きが鈍るので売り上げとしてはおいしくないが、紫苑は雨が嫌いではなかった。 マオは窓の外を見ている。彼は雨が降ると、よく今のように窓の外をぼんやり眺めていた。その横顔はいつもどこか悲しそうに見えて。雨に嫌な思い出でもあるのだろうか。

「マオ」

「何?」

「雨は嫌い?」

 そういうわけでもないよ、という返事が来たが、それでいてその表情は、そういうわけでもない、という顔ではなかった。

「だいたいさ店長さん。この東の果ての国じゃ、毎年雨ばっかりの梅雨なんて時期があるんだよ? 雨嫌いだったらその間ずっと憂鬱でいなきゃいけないじゃん」

「まあ、それはそうなんだけどね」

 着替えをして鞄を抱えたところで、マオがそばへ寄ってきて、店長さん、と自分を呼んだ。何、と返事をして振り返ると、不意打ちでキスをされた。

「……マオ」

「行ってらっしゃいのちゅー。知ってる? 行ってらっしゃいのチューする夫婦の方が、旦那が無事で帰ってくる確率が高いんだって」

「……俺たちは、夫婦どころか恋人ですらないでしょ」

「まあね。でも、オレは店長さんが帰ってきてくれる方が嬉しいからさ」

 たまに、思う。割り切った関係、だの、セフレだのと言うくせに。マオはときおり、こんな風に自分のことが好きなのではないかと疑わせるようなことを言う。もしかして、楽しんでいるのかもしれない。

「第一ここ俺んちだし、ちゃんと帰ってくるよ。唐揚げなんでしょ」

「あはは、唐揚げ目的なんだ」

 返事をせず、そういうことにしておいて紫苑は家を出る。結局、何かはっきりした名前のつく関係になることなく、こんな風にだらだらとマオを住まわせている時点で、自分も相当楽しんでいるのだからおあいこだ。

「餌付け、ねえ」

 店に向かいながら、紫苑は思い出す。そういえば、オスがメスにえさを運ぶ求愛行動をする鳥が、この世にはいるらしい。ただ、自分たちはどちらも、オスだ。

「まあいっか」

 帰りに、ケーキでも買って帰ろう。自分もマオも、甘い物が好きだ。

 水辺のクイナのように。お互い餌付けし合って、甘やかしあって。たどり着く場所など、今はいらなかった。今は、まだ。

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