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武本の呪い

「ですから、いい加減にその死ぬって思い込む根拠を教えてくださいよ。人間はそう簡単には死にませんよ。どうして思い出したら死ぬのですか。」


 ハハハハと隼は面白くもなさそうな声をあげて笑った。


「武本先生?」


「信じられなくても約束してください。玄人に伝わったら彼が死ぬ。」


 楊は頑固な迷信深い男に溜息をつくと、宣誓のように右手を軽く上げた。


「わかりました。誰にも話さないと約束しましょう。」


 隼はほうっと息を吐き、自分の持つ缶に目線を落すとようやく話し出した。


「父は五十の年に倒れ、その年は越せないと医者に宣告されました。そこで玄人です。母が親族の娘を連れて来たのです。白波は多産で長寿の加護があると言いますからね、僕は有無を言わさず彼女と結婚させられました。ただの結婚ではありません。目的は一日でも早く子供を作ること。」


 一度口を閉じた隼が目線を楊にむけ、楊は相槌を軽く眉を動かしただけに留め、隼にその先を続けるように目線だけで促した。


「新しい当主です。次の当主が決まれば当主が二人いる分呪いが弱まります。けれど、指名された人間はどんなにも健康でも五十年です。五十年しか生きれません。父のように寿命があれば六十年を越せる可能性もありますけれどね。玄人が殺されかけ、生還しても記憶喪失で当主になりえない存在となったその日から父は床につき、その三ヵ月後にこの世を去ったのは事実です。」


「まさか。」


「当主には人の字を当てます。僕の名前が隼一文字で武本家本来の人をつけた隼人にしなかったのも、甥が和人かずとになるはずが、父が人の字に手を加えて久にして和久かずひさとしたのも、単純な呪い避けです。父は息子と孫に五十年の呪いをかけたくないからと、敢えて当主に指名しなかった。しかし、自分の命が呪いで尽きる処で、自らの死で僕か和久が自動的に当主に成り代わってしまう事に気がついてしまった。そこで、新しい命、生贄の存在です。」


 楊は笑い飛ばすことも相槌を打つ事も出来ずに、目の前の男の顔だけを見つめ続けた。

 目の前の男は自嘲するように笑い、そして、楊に止めを刺した。


「僕達は生まれたての赤ん坊が二十歳まで生きられないと聞いて、悲しむ処か浅ましくも大喜びをしたのですよ。五十年の呪いでこの子の寿命を五十年に伸ばせてあげられたと。思い出させたら死ぬの意味がお分かりになりましたでしょう。無理に思い出させて玄人が呪いに対処出来なければ、五十と言わずに既に寿命の無い玄人はその時点で死ぬのです。当主でありながら当主では無いという不安定な状態が、あの子を守る呪い除けにもなっているのです。」


「……あなた方は。武本の人間は、…………誰一人あいつを愛していないのですか。あの祖母の咲子が愛しているのはあなたと、もう一人の孫の和久だけだと?」


「愛していますよ!愛しているからこそ僕達はあの子を思い出させないように囲んでいたのです。孝継や白波にどんなに責められてもね。あの子が生きていればいい。」


「生きていればあなたや和久君は安泰ですものね。あぁ、そうだ。あの子の財産を奪うのも簡単にできますものね。」


 楊の挑発に隼は皮肉そうに鼻で笑った。

 皮肉そうにクククっと笑いながらぎゅっと瞑った目頭から涙を零し、涙を拭くでもなく両手で顔を覆ってしまったのである。


「隼さん?」


「あなたにはわかりませんよ。抱きしめたいのに、彼の姿を目にする度に罪悪感で体が硬直する親の気持ちなんて。あの子は奇形です。普通の幸せなど手にすることも出来ない。これがお前の罪業そのものだと、自らの良心に責められる辛さを。僕があの子を生贄にする為だけに生み出したのです。愛される資格など無いならば、それならば、僕はあの子に憎みきって欲しい。」


 両手で顔を埋めて泣く男を前にして、楊は憐憫よりも怒りだけが湧いていた。

 武本の不幸な身の上に怒りを抱いたのではない。

 五十年は親として武本を幸せに出来た人間が、自分可愛さから武本を切り捨てた上に、自分を嘆いて悦に入っているだけだからだ。


「玄人君はあなたを決して恨みませんよ。えぇ、恨みませんとも。僕が恨ませませんよ。愛していない人間を恨むことは無いでしょう。彼にはあなたの事を血を分けただけの唯の他人でしかないと思い切らせます。彼の事はご心配なく。それから、僕は自分の疑問が解けましたので帰ります。どうも、お忙しい時間をお借りしてすいませんでした。」


 すっとソファから立ち上がり、楊が室外へ出ようと体の向きを変えた途端に、楊の怒りの対象である卑怯者が楊の腕に手をかけた。


「何か?」


 ところが楊が彼の腕を跳ね除ける前に、隼が彼の隣に置いていたカチーナを抱き上げて楊に差し出したのである。

 殆んど楊の体に押し付けるように、だ。


「これは玄人が一番好きなカチーナです。レース中に人々にパンを配ってしまっていつもレースに負けるコオロギの精霊です。あの子に、せめてこれだけを。あの子が死んだ時には、これをあの子の棺に入れてあげて下さい。」


「自分で入れてやればいいだろう!」


 楊は押し付けられたカチーナを受け取るまいと隼に押し返したが、隼がカチーナから手をぱっと離してしまったがために、落ちると慌てて反射的に抱き締めてしまっていた。

 そして、顔を上げた時には隼の姿は無く、楊は無人の研究室に一人で佇んでいた。


「え?」


 カーテンを揺らした風が楊をくすぐり、楊は開いていた窓辺へとそろりと進むと、恐る恐る窓の下を眺め、そこに何も無いことにホッとしながら窓を閉じた。

 それから部屋に視線を戻すと、彼らが座っていた応接セットのテーブルには紅茶の缶が二本転がってる。

 楊は無意識に自分の触った缶を取り上げて、そのままスーツのポケットに滑り込ませた。


「どこに行っちゃったの、ちびのパパは。ちびと違って彼は運動能力が高いの?」


 内ポケットのスマートフォンが振動し、相棒からだと確認した楊はチッと舌打ちをすると、カチーナを抱き直しながら電話に出た。


「はい?すぐに帰るから。でも、僕は今日お休みだったでしょうよ。」


「……武本隼が亡くなりました。マンション近くの歩道橋から落ちたそうです。目撃者によると若い男に突き落とされたそうで。黒い……黒尽くめの男だそうで。」


「……わかった。自宅近くなら、管轄は世田谷警察だね。寄ってから帰るわ。」


 楊は相棒の電話を切ると、カチーナを赤ん坊のように両手で横抱きしながら研究室を後にした。あの卑怯者はこのカチーナを抱けない息子代わりにこのように抱きしめていたのだろうかと、楊は彼の代わりに抱きしめて、無人で暗い大学構内の廊下を歩き続けた。(終)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 改訂を追い掛けながら読ませて頂きました! 今回の話は精神的にこう、じわじわと来る感じの胸糞で、とても楽しませて頂きました。 ああ、そうそう、こういう奴の思考とか、こういう親ってこんなだよね…
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