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大工の言葉

 あの日以来、玄人は自分を責め続けているようなのだ。

 記憶を失っていても柴崎に連絡の一つでもしておけば柴崎は死なず、もしかしたら早川家の悲劇も防げたはずだと。


「クロはここで連れて帰るよ。お前達は家族で過ごしたいだろ。」


 俺は泣く玄人の側に行って、子供にするように彼を引っ張り上げて立たせた。


「じゃあ俺も。」


「馬鹿。婚約者の側にいろ。俺達にも用事があるんだよ。」


 楊に言い捨てると、俺は楊がいつも玄人にするように玄人の肩に自分の腕をかけたまま駐車場へと進んだ。

 駐車場には、俺の古ぼけた白いトラックが、いつもの様に俺達を待っていた。


「車に乗ったら橋場の孝継に電話をしろ。俺は腹が減った。四の五の言わずに奴にランチを強請れ。良純和尚様がフレンチを御所望で困っているの、助けてってな。」


 玄人は泣き顔を不思議そうに驚く顔に変えて俺を見上げたが、直ぐ様再び顔をクシャっと歪めて俯いて呟いた。


「孝継さんは、今の僕が嫌いです。会うと顔を歪めます。」


 くどくどしさに堪え性のない俺は、楊のようにパシっと玄人の背中を叩いた。


「あの非常識な善之助や孝彦と同族だろ、あいつは。風の噂でな、お前に会いたい会いたいと気持ちが先走って、孝継はお前に会うと泣きそうになるんだってさ。お前が孝継の事を好きなら気軽に会ってやれよ。飯ぐらい奢らせてやれ。もう遅かったって後悔したくはないんだろ。ほら、早く乗れ。」


 信じられないと俺を見上げる玄人の背中をもう一度叩いてから車のドアを開け、子供を抱きかかえるようにして彼を助手席に乗せ上げた。

 助手席に納まった彼は、事態がわからないと目を丸くしたままボケっと俺を見返している。


「俺が信じられないのか?」


 言い捨てるや、バンっと大きく音を立ててドアを閉めた。

 俺は運転席へとゆっくりと時間をかけて歩きながら、玄人を送って来た後の髙の言葉を思い出していた。



「あの子はあえて思い出さないでいようとしていたのですよ。思い出したら、自分が変わってしまったら、自分が暗黒の世界に取り残されると思い込んでいる。わかっているのですよ、無意識でも実の母親が死んでしまった事実を。自分をホラー小説の主人公になぞらえて生きるあの子が可哀相で。どうして事実を伝えてあげれないのでしょうね。」


「俺ももどかしいよ。」


 俺は髙にそう答えるしかなかった。

 楊に聞かされた武本の実情を俺は見逃していたが、武本の身の危険と不幸を知らせるべきだと咲子に直談判はした。

 しかし、愛情深いはずの祖母は首を振るだけだ。


「何もなさらないと?」


「しますよ。白波に連絡してあちらの玄人の口座も凍結させて会計士を入れます。玄人は和尚様の所ですから、あの女も馬鹿息子も手が出せませんでしょう。これならあの子は安全ではないですか。後はこのままあの子に何も気づかせないようにしてお願いします。」


「なぜですか?」


「あの子が死んでしまうからです。」



「またそれだよ。だから何で死ぬんだよ!」


 呟きながら運転席を開けて乗り込んで隣を見ると、玄人は内臓が潰れるぐらい二つ折りになって泣いていた。


 俺は玄人に世界を戻してやる事に決めたのだ。

 白波や武本の思惑など知るものか。

 その最初が孝継であるが、孝継に関しても俺は見誤っていたのだろうか。


 玄人に会いたいと孝継はあんなにも騒いでおいて、迷信深さに負けて玄人の手を振り解いたのであろうか。

 泣き続ける玄人が哀れでそっと背中を撫でてやると、ありがとうございますと彼は静に呟いた。


「お前の金持ちの親族に集って旨い飯を喰らってやろうと思ったが仕方がない。ランクは落ちるが飯を作るのが面倒だから外食するぞ。」


 二つ折りの馬鹿はゆっくりと上体を上げた。

 顔が涙でぐしゃぐしゃなのは当たり前だが、指に泥でもついていたのか、涙を拭ったところが茶色く小汚く汚れてもいるではないか。


「ハンカチくらい持ちなさいよ。」


 まるで幼児だと溜息をつきながら自分のタオルハンカチで彼の顔を拭いてやると、彼はタオルを持つ俺の手にそっと両手を添えて、自分の顔をそのタオルに更に押し付けた。

 俺は片手を玄人に取られたまま、空いたもう一方の手で、気がつけば彼の後頭部を我が子のように撫でていた。


 成人男性とは思えない、幼い子供のような丸くて温かい小さな頭。




「大体、長く生きられないって何です?」


 感情を見せない男の筈が、そう俺に言った髙の声はかなり憤っていたものであった。


「俺だって意味不明ですよ。武本の祖父の思い出したら死ぬって遺言をどこかで漏れ聞いたのではないですか?」


 どうして無理に記憶を取り戻したら死ぬんだ?




「古い家には色々あるのよ。」

 咲子はそれしか答えなかった。



「古い家だったら新しくすればいいって。」


 俺の手の中で馬鹿が呟いた。


「なんだそれは?」


「孝継おじさんが、これから新しく付き合おうって。僕が、突然の僕の電話に嫌な声も出さずに喜んでくれて。今まで連絡しなかった事を謝ったら、家は建て直すものだって。雨漏りしたり古くなったら、思い切って建て直してしまおうって。だから僕達も新しく付き合い直せばいいからって。新しいパパと子供だって。」


 俺は自分の力が抜けた事を感じた。


「良かったな、それで飯はどうなったんだ?」


 手の中の玄人は震える。

 これは笑って震えているのだ。


「今日は急だからフレンチは無理だって。寿司屋で待っているって。」


「それはどこだ?」


 玄人からパッと手を離すと、俺はエンジンをふかして取り合えず車を発進させた。

 すると隣の玄人からは楽しそうな笑い声が弾け、俺が交通法規を犯しそうな魅力的な店名を告げるでないか。


「いい伯父さんだな。大事にしろよ。」


 玄人は俺の言葉に助手席で一層笑い転げ、俺は一層深くアクセルを踏んだ。

 この笑い声が聞けるなら、俺は玄人(俺のこども)に何だってしてやろうと思いながら。

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