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もう、自分を出していいよ

 高部家は姑の高部たかべ朋美ともみがまず癌であった。

 優秀な看護師で主任をもしている真砂子が家族になったと喜ぶよりも、自分の存在を脅かす魔物だと朋美は思い込んでいたのである。

 朋美の夫であり、真砂子には舅となる信利と大事な末息子の浩司が真砂子に劣情を抱いてしまった事も朋美の嫉妬に油を注いでいた。


 マウンティング、というのだろうか。

 朋美は夫と息子の前で真砂子をけなし、小突き、それに対して抵抗しない真砂子を自分の一段も二段も下だと男達に見せつけることで、高部家の歪んだカーストを作り上げたのである。


 家族であろうと我慢して尽くしていた真砂子の努力が、高部家の暴力を呼ぶという裏目に出てしまったというのは、真砂子には辛いことこの上ないであろう。


「トモの怪我は私のせいね。」


 宏信から離婚届を奪い、その足で提出と婚姻不受理届、そして住民票ロックをかける事までもした真砂子は、今や電池の切れた人形のようにタクシーの後部座席に埋まっていた。

 タクシーの助手席に良純和尚、後部座席が僕と真砂子と田辺という大所帯でぎゅうぎゅうなのは、何のことは無い、僕が高部家から撤収する時に良純和尚にしがみつき一緒が良いと駄々をこねたのである。

 よって楊は加賀と佐々木を連れて帰っていった。


 さて、高部家で真砂子が引き起こした活劇は公安組が簡単な検証をしたからか、警察官でも駆け出しでしかない浩司が口を挟めるわけは無く、単なる敷地内の自損事故で終わった。真砂子は高部家に弁償を要求されたら、それを逆手に彼らが出す気もない葉山への慰謝料や治療費を思い出させて第三者に案件を投げる気でもいたらしいことに驚きだ。

 だが、そこまで覚悟を決めて暴れたからか、気力を使い果たした彼女は、いまや弟への罪悪感で粉々に押しつぶされそうになっている。


「もっと早く自分で動いていれば、あの子は。」


 僕の左側に座る田辺は僕を超えて身を乗り出し、真砂子を慰めようと口を開いたが、良純和尚の言葉に目を丸くしてからさっと身を引いた。


「そうだな、お前のせいだな。わかったからよ、次はもうちょっと気の利いたセリフを言おうや。あら、タイ屋台にモヒートが売っているのね。呑みたいわ、良純さん、ってね。そこの美也子みやこなんて、山口が死んで辛いからって、あれだこれだと、俺に色々買わせたよ。ちょっと、止めてくれ。」


 彼はタクシーを降りるとタイ屋台目掛けて走っていき、パッタイや生春巻きの入ったボックスと飲料を買い込んで戻ってきたのである。氷とミントと炭酸が清涼感を醸し出している中身の入った透明なカップの蓋から突き出たストローに口をつけながら、片手にボックスと紙袋をぶら下げて、にやにやしながら、だ。

 なんて様になるいい男だろうと、車の中の人間全員がため息を吐いた事をこの鬼は知っているのだろうか。


「ほら、美也子、受け取れ。」


 後部座席の田辺に紙袋を押し付けると、彼はそのまま助手席にゆったりと身を沈めた。


「あなたは本気でモヒートが飲みたかったのね。」


「美也子はいらないのかよ。今のところは職務じゃないだろ。」


「もちろん飲むわよ。その生春巻きはくれないの?」


「タクシーって基本飲食禁止だろうが。病院で食え。」


「あら、そうね。じゃあ返そうかしら。」


 田辺は自分のカップだけを紙袋から取り出すと、紙袋ごと良純和尚に返そうとしたので、僕は慌ててその紙袋を奪おうと手を伸ばした。


「僕だって飲みます。モヒート下さい。」


「お前はアイスティーじゃないのか。」


「いじわるです。良純さんは意地悪です。」


 田辺は僕にモヒートを渡してくれたが、真砂子には紙袋ごと手渡した。そして、真砂子が紙袋を手にすると良純和尚はまたからかうような声をあげた。


「ほら、真砂子、お前はそこのお子様用のアイスティーだ。」


 僕はしまったと思ったが既にストローに口をつけてしまっており、しかし真砂子は抗議をすることも無く紙袋からプラスチックカップを取り出した。

 透明なソーダの中にミントが浮かぶ、モヒートのカップだ。


「あら、アイスティーなんて入っていないじゃない。」


「そりゃそうだ。この状況で違うものが欲しいって言える奴はいないだろ。そして、モヒートの数が足らなくても、優しいお前はクロの事を考えてアイスティーを喜んで飲んでいただろうな。この状況はお前のせいか?違うだろう。楊はよく言っているよ、集団は怖いってさ。俺もね、この怖いお姉さんに誘拐されてさ、散々自分の意見が通じない環境にいたからね。多勢に無勢の辛さや、自分を出せないもどかしさってやつがよくわかるよ。」


 田辺は身を乗り出して良純和尚の肩をばしりと叩いた。

 その気安そうな振る舞いをし合う二人を眺めながら、彼等は、いや良純和尚こそ、山口が死んだと、それが自分達のせいだと今日まで苦しんでいたに違いないと僕は思った。


 僕達は人の気持ちが分からないからこそ、同じ経験をした時には、その時の気持ちを相手に当てはめているのである。

 だから、僕は失敗することが多いのかもしれないけれど。

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