追わなくちゃ!!
何がどうなってどうしたのかわからないが、良純和尚が切れたのはわかった。
彼は真砂子に声をかけるや彼女の二の腕を掴み、そのまま病室を飛び出していったのである。
時間にして夕方の六時。
逢魔が時と言う時間に魔王がはしゃぎ出すなど、出来すぎではないだろうか。
「ク、ろ。」
僕も追いかけないと、と思ったと同時に葉山に呼ばれた。
「わかるよ、お姉さんが心配なんだよね。」
香港帰りの今の良純和尚は旅行中に一度も頭を剃っていなかったのか、短い毛に覆われた坊主頭で、おまけに無精ひげまである。
それで白スーツに派手なシャツ姿だと、ヤクザな人にしか絶対に見えないのだ。
そしてきっと外に出れば、色素が薄い目が痛むからと、丸型の黒眼鏡を彼はいつものように掛けるだろう。
そんな外見だけでも怖い人に、葉山の姉は何をされても逆らえないはずだ。
ベッドから動けない葉山はさぞ姉が心配な事だろうと、僕は葉山の所へと急いだ。
「クロ。百目鬼さんが何をする気か動画を撮って来て。後で見たい。」
少々不明瞭な喋り方にもかかわらず、物凄いワクワク感があることが葉山からは伝わった。
隣のベッドの山口は、そんな葉山の言葉に、ナイス友君!と、大爆笑だ。
僕は非常識班の彼らに、わかりましたと答え、良純和尚の後を急いで追い掛けた。
真砂子の暴力亭主、高部宏信の実家は病院から十数分位の距離のある場所である。
高部は横浜市の市役所から相模原の出張所に移動してまで真砂子をストーキングしていたと、僕を車に乗せてくれた楊が、同じく同乗者の公安三名にもわかるように教えてくれた。
髙と樋口と野田は病室に残り、後部座席の僕の両隣は佐々木と加賀で、助手席には田辺である。ヤクザの親玉のような佐々木と、皮肉そうに顔を歪める癖のある加賀が良純和尚の後ろに立てば、彼が僧侶だと言っても絶対に信じないだろう。
それにしても、普通の優しそうな中年女性の外見でしかない田辺だったが、普通なだけになぜかとっても怖い人という印象を僕に与えた。
だが、僕は車に乗り込んだ時点では、実は公安など何も気にしていなかった。
楊が病院のエントランスに回してきた車が、やはり鈍亀、だったのだ。
後部座席に押し込まれた僕は、後部座席の真ん中に落ち着くどころか、飛び出して運転席の窓を叩いて開けさせるや運転席の楊の頭を叩いていたのである。
「いた!こらちび。何をするの。」
「だってかわちゃんが鈍亀に乗っているから!」
「あの車は危ないから、人をぎゅうぎゅうに乗せて走らせられないでしょ。置いて行かれたくなかったら、黙って後ろに座っていなさい。」
僕は後部座席の公安のどちらかによって後部座席に引き摺り込まれ座らさせられたので車は発進したが、この話を終いにして黙っているわけにはいかない。
これは大事なことなのだ。
「うそつき。かわちゃんはあの黒セダンに乗ってよ!」
「うるさいな。人間願掛けって奴は大事なんだよ。」
僕は両手で顔を覆って泣き出していた。
楊の行為は願掛けではない。
左半身のマヒを負ってしまった葉山に対して負い目を感じているだろう楊が、自分への罰として自分自身に黒セダンを封印しただけなのだ。
彼は部下の怪我を自分のせいだと、深く深く傷ついて悩んでいるに違いない。
大昔に死んだ良純和尚の親友の死を、自分のせいだと思い込んで自殺を試みた時のように。
「可愛い子ちゃん。泣かないで。」
ぎゅうっと抱き寄せられて、僕は反射的に顔に当てていた手で加賀を押しのけたが、その右手は加賀に掴まれただけだった。
どうしようと、僕は背筋がきゅうっとした。
「あ、ずるい。僕も。」
佐々木にも左手を握られ、なんていうことだ、手の甲までも撫でられている。
こ、これはセクハラなのだろうか。
「ただの冗談だったけど、この子は本当に可愛いよ。固まっちゃった所も二重丸。あぁ、頬に涙が、それも雫で残っている。なんて反則的に可愛いんだ。」
ぷつっと、加賀に涙の所をつつかれた。
「だよねぇ。肌も白くてつるつるで、無駄毛どころか体臭もないよ。赤ちゃんみたいな肌で、本当に綺麗な子だよねぇ。」
佐々木は僕の手に頬ずりしそうな勢いだ。
僕は本気で両隣の男達に恐怖を感じていたのに、彼等の仲間であるはずの田辺は笑うだけで助けてはくれず、楊などは先ほどの僕への仕返しかのようにルームミラーを使って僕に厭らしい眼つきのウィンクまでしてきたのだ。