いじめの舞台
「ここが武本君の通っていた小学校ですね。聞き込みの最初がここなのはなぜですか?」
車のキーをバックに片付けながら佐藤は葉山に尋ねた。
刑事になりたての佐藤は、ベテランの葉山に興味津々だ。
捜査方法も知りたいが、一緒に神奈川から世田谷まで移動した一時間で葉山の人柄に惹かれたのだ。
彼は博識ながらひけらかす事もなく、その上、常に相手を気遣う繊細さがあるが、それが全く押し付けがましくないのだ。
車の運転を佐藤に任せただけではなく、彼女の運転に一切口を出さなかった所も二重丸だ。
そして何よりも、道中であった煽り運転の若者に対しての彼の振る舞いが、佐藤が完璧と点を与えたぐらいなのである。
葉山は佐藤に車を止めさせると、警察手帳を出すこともなく、会話だけで間抜けな若者を更生させたのである。
「むち打ちって死ぬ時もある危険な怪我なんだ。そんなに体験してみたいのかな?」
殺気を漲らした笑顔の葉山に、三下程度の小物が太刀打ちできるであろうか。
武本が葉山を竹林に佇む武士と褒めたたえるが、佐藤はその時にその理由をようやく知ったような気がしていた。
清々しい人柄ながら、常に静かに控えている脅威。
「捜査は最初の現場からって言うでしょ。」
佐藤は自分の質問に葉山が答えてくれているじゃないかと、物思いにふけってしまった自分を叱りつけた。何を私は浮かれているの、と。そうして何事もない顔を作って葉山を見返した。
葉山は全部わかっている風な笑顔を佐藤に返すと、佐藤の質問の答えを続けた。
「彼が受けた仕打ちを現場を見ながら想像するのもだけど、まだ当時を知っている用務員の方がいたからね。かわさんから小島尚吾の死の状況を調べて来いって注文もあるし。」
佐藤の質問を馬鹿にすることなく軽く答えてくれたところも、佐藤には葉山の点数が高くついていたが、佐藤はそんな自分を一切表に出さずに、先輩に教えを乞う後輩でしかないように彼に答えていた。
「アナフィラキシーだったら、調べる必要はないのでは?」
「山さんが最近当時の子に聞いた事によると、小島君は給食は食べていない、だそうでね。」
「あら。」
佐藤と葉山が通された校長室の応接間には、既に用務員の栢山と教頭の比内が彼らを待っていた。
教頭の比内は鳥のような顔付きの中年女性で、用務員の栢山は既に定年退職後の現在は非常勤で働いているらしく、今日は休みにも関わらずわざわざ力になりたいと来てくれたと、葉山達に比内が紹介した。
栢山は尖った輪郭の痩せて年齢以上に老けた男であるが、笑顔が地蔵のようで、人を落ち着かせる雰囲気を持っている人であった。
「本日は急な事にお付き合い頂けて、ありがとうございます。」
葉山の深々としたお辞儀と丁寧な挨拶に比内も栢山も相好を崩し、葉山らは好意的に導かれて応接セットのソファに案内された。
「武本君の在学中のことと伺いまして。プール事件のことですね?」
栢山が開口一番に尋ねて来た事に、佐藤も葉山は驚き、葉山が栢山に尋ね返していた。
「覚えておいでですか?」
「忘れられませんよ。あれは酷い事件だった。六年生の子供が計画的に人殺しをしたのですからね。そして子供は誰も反省しないで、親はお互いを責め合うだけでした。あんなに酷い子達が集まったクラスはあの時だけですよ。」
ここまで言い切る栢山に、葉山も佐藤も驚いてしまった。
「そんなに酷い子って。普段は良い子ってわけではないのですか?大人にはわからないからこそ虐めが発覚しないって、よくありますよね。」
佐藤は恐る恐る聞いていた。
学校の虐めってそんなものでしょう?
「判ってましたよ、教師には。ですから担任も他の学年の教師も彼を守っていたのです。保健室登校や補助をつけて監視したり。ところが教師の目を盗んでの虐めです。かわいそうに、当時の担任は事件後に心を病んで教師を辞めてしまわれましたからね。」
「ですが、プール事件があった時は、担任教師一人でしたよね。」
葉山は山口から山口が見た現場を聞いているのだ。
山口は葉山に語った後、あれは虐殺だよ、と呟いた。
「保護者の一人が騒いだのですよ。ひいきだって。公平じゃないって。そこで保護者参観させての授業を開始したら皆いい子で、虐めが無くなってね。そして夏休み開けで皆が安心していた日に。」
「それで保護者もいなくなって補助がつかなくなった日に殺人と。」
佐藤が栢山の言葉を反復していたのは、十二歳の子供達がそこまで計画する事に信じられないどころか背筋が凍ったからである。
「虐めを視察しに教育委員会の人間が来る日も子供達は知っていましたよ。親に教育関係者がいて、自分の子供に伝えていたのですよ。子供を守るべき人間が、最悪です。」
「どうして彼はそんなに殺されるまでに憎まれたのでしょうか?」
佐藤は不思議でしかない。
武本と言う青年は、佐藤にとってこれほど大人しい男の子は初めと驚かせたほどで、人を傷つけるどころか、佐藤達の気を悪くしないように何でも「はいはい」と言うのである。
しかし、楊に頼まれて女装させた時には、自分達以上に美少女になった姿に少々嫉妬してしまったという事も思い出した。
嫉妬。
そう気づいた時、佐藤の口から勝手に言葉が出て来ていた。
「嫉妬で彼を憎んだのでしょうか。」
世の中には本当に信じられない人がいます。
「アレルギーの子は親が作る美味しい弁当ばかりで不公平だ。」
とあるPTAの総会で起きた発言。
酷いアレルギーの子は弁当持参だが、その弁当の中身は給食メニューと同じものが詰められている事が殆どという、めちゃくちゃに大変な作業ともいえる。
で、それじゃ無いと子供死ぬ。
でも、子供に給食じゃなく自分の作った弁当を食べさせたいという人なのかな。
そう思って耳を傾けた。
「アレルギーの子ばっかりずるいので、止めさせるか誰の目にも入らない場所でご飯を食べさせてください。」
全員の時間が止まったのは言うまでもない。