楊が溜息を吐く
葉山はどういう男だったか。
肉体馬鹿か?違うだろうよ。
「ならば、これからの力仕事は馬鹿な山口に任せればいい。お前の武器は頭だろう。どうも出来なかったら俺の所に来ればいい。そこの美人さんも一緒によ。奴隷は何人いてもいいものだからな。」
「ひどいですよ。百目鬼さん。」
葉山は酷いと言いながらも嬉しそうに笑い、なぜか隣のベッドの山口が寂しそうな目線を俺に流し、玄人はいつもの焼餅の目で葉山を睨んでいる。
俺は面倒くさいと山口達を見なかったことにして、葉山の姉に視線を転じた。
「私も奴隷にされるの?」
目尻の所だけまつ毛の毛先がカールしているからか、色っぽさがただ者でない美女が、その長いまつ毛を蝶々のようにパタパタとさせながら俺を見上げているのである。
俺の口にした「奴隷」という言葉に不快感を抱いているようであるが、期待も抱いているように頬を赤らめているという表情は、どんな男をも奮い立たせるものだろうと思わせた。
俺が彼女に弟へかけた言葉を言い換えねばいけないと焦ったのは、他人に不快感を与えてはいけないという良心であり、俊明和尚が「人の心をわからない鬼でいるな。」と俺を戒めているだろうと考えての事だ。
この女に誘惑されそうだと、身構えたからでは決してない。
「住むところと飯ぐらいは保証できるがな、まともな給料は出せそうもないからね。奴隷奉公って奴だ。」
存在するだけで男を誘惑できそうな美女は、あだっぽく口元を微笑ませた。
「ふふふ。それなら弟はあなたに奴隷に出して、私は弟と一緒に住まわせてもらって復帰するわ。私は看護師としてはそれなりですから、弟と自分の小遣いは賄えると思うの。」
「姉さん、ただ家賃の為だけに俺を奴隷に出すの?」
「そうよ。家賃がただって素敵じゃない。」
「まぁ、俺は結婚できないからいいけどね。」
「あら、私だって離婚できないんだから、これから一人者同士仲良くしましょう。」
「姉さん、あんたの弟にうちの山口が世話になっているようですね。困った事があるなら、俺達がなんとかしましょうか?」
姉弟で掛け合いをしていくうちに、葉山姉の横顔に生気が戻って美しさが際立ったからか、野田が姉弟の間に首を挟んできた。
彼はマカオで暴れ足りなかったようである。
俺達はマカオのシンジゲートを一つ潰してきたばかり。
正しくは暴れて金を盗んだ、か。
どんな組織も崩壊するのは金が尽きた時なのである。
俺を含めた戦闘部隊が暴れている間に、彼らの金は髙と樋口によって口座を空にされて行方知れずにされてしまっていた。俺はその作業にこそ加わりたかったが、作戦指揮者である髙は企業秘密だとそこは絶対に譲らなかった。
無理矢理連れて行った俺に大まかな戦略戦術を立てさせて、危険な肉体労働もさせておいて、要部分は隠すとは最悪な男だ。
また、彼らは日本の警察官だからか、誰も殺さなかった。
ただ、悪人を再起不能にしただけだ。
これから金を失った組織の幹部同士で殺し合いがドミノのようにあるかもしれないが、それはあいつらの事情だ。
人間「やめる」という決断はいつでも出来るものなのである。
人間であれば。
そして、今回の俺の戦友達であれば、暴力亭主の一人や二人は赤子の手を捻るぐらいの事のはずだ。
「大丈夫です。皆様。余計な事はやめて!。」
海千山千の魑魅魍魎を押し止めたのは楊だ。
昇進が決まってつまらない男になった。
「やってもらえば良いじゃないか。最速で解決してくれるぞ。」
「煽るのやめて。」
楊は片手で目元を覆って情けない声で呟く。もう一押しか?
「離婚届なんてこの方々にかかれば簡単だ。その後はきれーにそいつから身ぐるみを剥いで遠くに捨ててしまえばいいだろう。」
「お前は。警察官に向かって何を平気に犯罪的行為を煽ってんだよ。ちょっと来い。」
楊は俺を連れて病室を出ると、そのまま外階段の非常階段の方にまでずんずんと向かったのである。
春というのに日差しは強く、近くの看板か何かが日の光に色を付けて反射させているのか、外階段の踊り場の楊が立つそこだけが赤く染まっていた。
その赤と言う色味は、暴行を受けた玄人の姿や病院のベッドで傷まみれで横たわる葉山、そして、確実に死んだと胸から血を吹き出しながら倒れ落ちた山口の光景を俺に思い出させた。
「こんな所での話って、何だ?クロに聞かせたくないほどあいつの小学校の同級生はそんな屑だけだったか?」
楊は疲れたように階段に座り俺を隣に呼び、俺はため息を付いて隣に座った。
「悪かったよ。心配掛けてさ。俺だって行きたくて行ったわけじゃないよ。マカオのシンジゲートの一つくらい潰せる時に潰さないとってね、髙のお友達に引き摺られてさ。」
楊を安心させようとの俺の告白に、楊は俺の想定と違っていた。
彼は大きな目を一層大きく見開いて、固まってしまっただけだった。
「アレ、君達?マカオで商社ビル大火災の上に倒壊。日本でニュースになっている奴。アレハ、キミタチダッタンダ。」
腹話術人形みたいな挙動になってしまった楊に、余計な事言ってしまったようだと、俺は彼から顔を背けると大きくチッと舌打ちをした。
「なんだよ、お前。言いたい事があるなら早く言えよ。」
俺は楊にごまかそうと逆ギレするのが精一杯だった。
そんな俺に楊は落ち着いたのか、ようやく重い口を開いたのである。
「ちびの同級生、もう最低。それからまた死体が出た。十一月に今井達とお前の家を襲撃して武本と高校が一緒だったって騒いでた馬鹿。殺害方法が違うけれどね、外山真実が刺殺だ。十数か所も切り刻まれるように刺されていた。」
「違うってやはり連続殺人だったか。」
楊は彼らしくない暗い瞳で俺を見返した。
「連続殺人と連続に起きた殺人事件だったさ。」