何もできない僕
僕だって変だと思うセリフを吐いてしまったからか、キキキとタイヤが道路にスタックした急ブレーキの音と衝撃が車内を襲った。後部座席に自主的に転がっていた僕は、能動的に転がって足置き場の方へとごろんと落ちた。
「きゃう。」
車は車道の端に止まったままで、僕はゆっくりと体を起こした。
床に転がったことで頭が冷えたのか、先程迄のうわ言の様に意味の解らない言葉を喋った自分がわからないと、自分自身を訝りながら運転席へと首を伸ばしたのである。
「着いたの?って。どうしたの、どうしちゃったの!」
呉羽はハンドルに顔を埋める様にして泣いており、僕は嗚咽をこらえるたびにびくりびくりと動く大きな背中にそっと手を当てた。
「あぁ、若さま。」
「帰ろうか。今日はもう帰ろう。友君には悪いけれど、僕は君をこれ以上巻き込めない。駄目だよ。二人とも駄目になってしまう。そうでしょう。」
「いいえ。参ります。自分はどこまでもお供します。」
呉羽はぐいっと身を起こし、左手もレバーをぎゅうっとつかみ、すると車は今度は飛ぶように車線に走り込んだ。
「ひゃあ。」
僕は後部座席に背中を押し付けられ、今度の呉羽は僕の様子など気にする風もなく、そのまま制限速度ギリギリで最初の僕達の目的地へと向かっている。
そして、その後は数分もしないで大きめの一戸建ての前に車は乗りつけた。
高部家の周囲には四軒ほど高部家よりも小さい家が建っているが、そこは住宅地と言うよりも、田んぼと田んぼの間に数件の家が建ってまた田んぼが広がるという、田舎の農村地のようである。
「ここが高部宏信の家なの。」
「実家ですね。仕事を移動した後に実家に戻っているのですよ。葉山刑事への事故によって謹慎中ですから、ここにいるはずです。」
「車でわざと轢いたんでしょう。殺人未遂じゃないの?牢屋じゃないの?」
「まだ起訴もしていませんが、危険運転致死傷罪で問いたいですね。刑法の傷害罪が十五年以下の懲役ですが、危険運転致死傷罪は二十年以下の懲役になります。刑法では殺意の有無が審議されますからね、殺人も傷害も故意が認められなければ単なる過失傷害です。告訴が無ければ公訴を提起することもできません。さっそく、高部は精神鑑定の請求と、葉山刑事に暴行を受けたという過去の診断書付きで被害届を出してきました。」
葉山の怪我を高部に移してしまおうと高部への怒りのまま考えていたが、高部が突然に半身麻痺となれば、それが葉山に過去に受けた暴行のせいだと高部家が騒ぎ立てる可能性もある。
真砂子だって、夫の介護をしてやらねばと、離婚を踏みとどまるかもしれない。
「そう。それではやっぱり戻ろう。僕が余計なことをしたら、友君が困る。それでは何の役にも立たない。」
「いいのですか。」
僕は高部の実家だという大きな古い家を見上げて、そこがそこかしこに真っ黒な染みをつけている事が見通せた。
「どうして嫁は殴るのに、妻は殴らないんだろう。」
「若?」
「ごめんなさい。帰りましょう。僕は今は何もできない。」
僕が何かを成せる事などあるのだろうか。




