僕の車を御する人
「どちらに向かわれるのですか。」
これは僕を制止しようとする言葉ではない。
彼は僕の意思に従って何でもするという心持であり、僕がどこに行きたいのかと言う希望を聞きたいだけなのだ。
どうして僕のすることを全部受け入れてくれるのかわからないが、僕が彼に交代後の退勤の時間を尋ねると簡単に答えてくれ、さらに僕が彼に掛けた言葉通りに松野葉子の警備員が立たない裏門にて僕を待っていたのである。
彼は呉羽大吾という僕が当てた通りの名前で驚きだが、さらに驚くことは、本部から相模原東署に移動してきたばかりなのに僕の全てを信じようとするところだ。
そして僕も、なぜかは知らないが彼の全てを信じている気がする。
「真砂子さんの旦那で、友君を車で轢いた悪い人に会いたい。僕はその人の居場所を知らない。呉羽さん、あなたは知っていますか?」
「ダイゴ、と。」
「はい?」
「こういう内緒行動ですから、ダイゴ、と。」
「わかりました。それでは僕に対しては敬語も使わず、えと。」
「若、とお呼びします。」
ばか、と言い返したいが言い返せない僕は口を閉じ、案内しますと僕の半歩先を歩き出した呉羽を追いかけることにした。
彼は僕に対して低姿勢で、案内する姿も時代がかった番頭が主人を案内しているような振る舞いであるのだ。
そこで僕は呉羽の遊びなのだと理解することにして、果たそうと考える目的に意識を集中させることにした。
そうでないと、彼の後ろ姿が矢筒を持たない右大臣の後ろ姿のイメージと重なるのだ。まるで、昔にこのような事が何度かあったのかと思ってしまうくらいに。
もしかして、前世、の記憶?
僕の足はピタリと止まり、前を歩く呉羽の足も止まった。
「若?」
「何でも無いです。行きましょう。」
僕は再び歩き出した。
現在の時間は夜の十時。
人を訪ねるには遅すぎるが、僕のような気味が悪い上に間の悪い人間が尋ねるにはいい時間帯であろう。
呉羽が案内した先には白いセダンが停まっていた。
あからさまな黒塗りという警察車両じゃない所を見ると自家用車なのかと思うが、今どき趣味もない真っ白なカラーと言うにはやはり警察車両なのかと、これから向かう先で起こす僕の行動にいいのかと一瞬どころか僕は考えてしまったが、呉羽は素知らぬ顔で後部座席のドアを開けた。
「乗って下さい。レンタカーです。」
「ありがとう。」
僕は気兼ねなく乗り込んだ。
車はすうっと動き出し、僕は後部座席の背もたれに背中をもたれさせて、呉羽はどうして僕に何も尋ねず、それどころか、僕の言うことを何でも聞くのだろうかと考えていた。
良純和尚は僕の言うことを聞いてくれるようでも、相談役として必ずの駄目出しは必ずする。
その上で、僕が好きなように、僕に良いように、彼が調整するのだ。
彼は僕が彼のコバンザメとなって彼にくっついて生きる事を許したのだから、彼から僕が勝手に剥がれて僕が沈むのは許さない。
そして僕は、ホオジロザメの彼が沈むときには一緒に沈むつもりである。
それがコバンザメの矜持だ。
では、呉羽は?
僕のコバンザメになるつもりなの?
「不安じゃないの?」
「何がです?」
「僕がしたことであなたが咎を受けることになったらって、あなたは考えないの?」
呉羽は僕に答えずにウインカーを出して車線を変更した。
僕が再びシートに、今度は後頭部も乗せ上げる様にだらしなく深く座り直すと、呉羽の深い含み笑いが運転席から聞こえた。
「どうしたの。」
「あなただって聞かないじゃないですか。自分がどこに向かっているのか。もしかしたら、自分があなたを罠に嵌めるかもしれないと、ちらりとも考えていないじゃないですか。そんなにもだらしなくシートに座って。」
僕は呉羽の言葉に呼応するようにぽすっと体を横に倒し、そして呉羽に合わせてふふふと声を出して笑った。
この最後の旅路は、最後だから楽しばねばと言う気になっている。
全てのしがらみもなく、僕達は破滅するだけなのだから、後先を考えずに笑ってふざけていてもいいだろうと。
「どうしてでしょう。ふふ。お行儀が悪いね、僕は。でもね、君が格好良く車を御している限り、僕のみっともなさは誰にも分らない。頼むよ、ダイゴ。」
あれ、僕は何を言っているの?




