転院
ヘリコプターだったら横浜市から相模原市まで一瞬の筈だった。
でも、僕達は楊の車で相模原まで帰ることになったので、その恩恵が受けれない。
軽自動車の車内は狭く、ぎゅうぎゅうだ。
「こんな、こんな遅くになるのなら、ヘリの一台ぐらい飛ばせば良かったのに!」
「ばか。暗くなってからのヘリ飛行はとても危険だろ。これでいいんだよ。」
山口が無理矢理退院するにあたって、転院用のカルテなどの書類を忙しい病院に作成させたため、彼の退院は夕方の五時過ぎまで伸びる事となったのである。
日が伸びてきたと言えども六時を過ぎれば外は暗く、車の窓は鏡状態となって車内の間抜けな僕達を映していた。
後部座席に僕の膝に頭を乗せて上半身を横にして眠る山口と、運転席でハンドルを握る楊である。
膝の上の山口の寝顔が安らかなのは、それは車が軽とも思えない安定した走りをしているからに違いない。
程よい振動に、僕だってうとうととまどろみ始めてもいるのである。
ダダダンダンダンダー、ダンダダダ、ダンダダ。
なんということか、楊が急に一人歌合戦を始めるつもりなのである。
あの彼が口ずさみ始めたダダダは彼の大好きなCDのオープニングだ。
目の覚めた僕が見守る中、僕の想像通りに彼はいつもの適当な耳で聞いただけの言語で歌い出したのだ。
楊のテノールは素晴らしいものでもあるが、やけっぱちに歌うメタルロックは煩く演歌の様で、僕は楊の歌を止めるために話しかける事にした。
「ねぇ、どうして淳平君はヘリコプターを嫌がったの。」
「――許していないから。そして、裕也にも同情もしているからさ。裕也に仕返しなんてできない代わりにね、ちび、お前にもう裕也に近づいて欲しくないんだよ。」
「でも、裕也君が悪いわけでも。」
「悪いよ。あいつが南部という親友について警察か百目鬼にさっさと話していればね、お前はあんな目に遭わなくても良かったんだよ。死ななかったのはお前のオカルトのお陰だろ。あいつのせいでお前が死んでいたんだよ!」
最後の一言は叫ぶようで、僕は少々楊の声にびくりとした。
すると、僕の左手は山口にぎゅうと握られたのである。
脅えるなと言う風に僕に微笑む山口の顔は、車内の暗さだけではない翳りをも帯びていた。
そして僕が彼に具合を尋ねる間もなく、場を和ませるためにか、楊にいつものはすっぱな物言いをしているのである。
「ねぇ、かわさん。ヘリコプターに乗れなくて残念そうですけどね、ヘリコプターを呼び寄せたとしてもかわさんはこの鈍亀があるから乗れなかったでしょう。もしかして、負傷している僕に、ヘリが嫌ならお前が車を運転して帰れって言うつもりでした?」
「いいやぁ。お前は警察官のくせにモグリかよ。警察車両には自動操縦プログラムが備わっているじゃないか。お掃除ロボットみたいにさ、何時の間にやら自分の定位置に移動しちゃうだろ。気兼ねなく、俺はこいつを病院の駐車場に置き捨てて来たね。」
「ひどい。かわちゃんて酷い人だ。」
「いいじゃないか。鈍亀は誰も乗りたがらない可哀相な車だろ。ウチの署にさ、戻って来なくてもそれはコイツの人生だと、俺は祝福してやるさ。島流れ署の一台でいるよりも、本部の車になった方が幸せかもしれないじゃないか。」
「そんなことばっかりしているから、かわちゃんに警察車両を運転させるなって本部の偉い人にお触れを出されるんですって。」
僕達が相模原第一病院に着いたのは夕方の七時に近く、それでも横浜市の病院から持ってきた転院ファイルを受け取って山口の入院手続きをしてくれたが、山口が看護師に連れ去られて消えた後は、うんざりしている相模原第一病院の事務の人や看護師は物凄い顔で僕と楊を睨みつけたのである。
僕はいつものように楊の後ろに隠れ、病院スタッフの怒りは全て楊に押し付けた。
「ほんっとにお前は黒いよな。」
「かわちゃんだって。」
「俺が黒いって?優しいかわちゃんじゃあないのか?」
冗談めかした声音であるが、僕には険があるように聞こえた。
楊は僕が立松に拷問を受けてから、しばらく楊に対して脅えていたことを気にしているのである。
僕は楊の後ろ見ごろの腰部分を両手でぎゅうっと自分に引き寄せ、それで少々反り返った楊の背に自分の額を擦り付けた。かわちゃんはやさしいよと、伝える気持ちで。
「あ、くさい。かわちゃんが久しぶりに臭い。」
僕は手をパッと放して後ろに下がろうとしたが、やはり楊に首に腕を回されてしまい、彼に強く引き寄せられてしまった。
「このちびが。俺はこの三日、署に缶詰だったんだよ。せっかくの休みはこれでおじゃんだし。あぁ、ゆっくり風呂に入りたい。俺も五つ星ホテルに泊まりたいよ。ほら、黒いもの同士、葉山の病室に行くぞ。」
ロシアバンドのCatharsis「kрылья (Wings) 」は至高です。




