男だけのドライブ
楊は心身ともに疲れきっていた。
連日の世田谷と相模原の往復もそうであるが、山口の案件に巻き込んでしまった親友と、案件から楊を完全に締め出して連絡もつかなくなった相棒の身を案じながら、楊は裏と表で昼夜動き回っているのである。
そんな楊に鞭打つように、本日などは相模原から世田谷の往復の、行きも帰りも、隣に座る葉山が五月蝿くて仕方がなかったのだ。
葉山は楊が彼の支給車の黒塗りセダンを使わずに、新しく納入された中古車を使用した事が許せないと騒ぐのである。
別の所轄から流れてきたそれは、以前は可愛らしいミニパトだったのを相模原東署において黒塗りにされていた。
「俺はかわさんに可愛がられていませんよね。」
「どうしてそんな事を言うの。」
「山さんには愛車まで貸すのに、俺にはこれ、ですか。水野との高速ドライブを聞きましたよ。それなのに、俺にはこれ、ですか。」
「君はだって自家用車を持っているし、それに、マニュアルしか運転しないってゆうじゃんか。君のためにマニュアル車をわざわざ申請したんだからね。」
「よりにもよって、これ、ですか。いりませんよ。軽でも色々とあるでしょうに、どうして俺にはだっさい黒塗りの鈍重の亀ですか。軽のくせに車体が重くて燃費が悪いだけの粗大ゴミ。ターボの無意味感が凄いですよ。」
「支給車の車種に文句をつけないでよ。今時の車はオートマばっかじゃん。マニュアルで空いた車がそれしかなかったの。もうわかったから、黙って運転して。君の上司でお疲れさんの俺は、運転できる有様じゃないんだからさ。」
「だからこそ、俺はかわさんの代りにあの黒セダンを運転したかったのに!」
「あれは危険な車だから駄目だって。山口にも運転させた事ないよ。黒セダンは、パワーがあり過ぎて下手が運転するとコーナリングで車体が浮いちゃうぐらいの暴れ馬なの。」
葉山はそれを聞いて鳥の声のような叫びをあげると、片手をハンドルにバンバンと打ちつけた。そのために彼らが乗る車は少々どころかかなり軌道がぶれた。
「あれを運転したいならちゃんと運転してよ。君の運転技術も見ているんだからね。」
「アイマスクをしてですか?」
「ケツが受けた振動でわかるよ。いいかな?俺は眠いの。毎晩徹夜状態の無能な上司を哀れんで頂戴よ。」
「その裏家業に俺も一枚咬ませてくださいよ!いっつも俺ばかり仲間外れで!」
「いやーだよ。俺だって関りたくないのにまっさらな部下まで引き込んだら、俺が二度と真っ当に戻れ無いじゃん。俺のために我慢してよ!ぜんっぜん、面白くないって。」
「面白さよりも、俺は髙さんに扱いてもらいたいのに!」
「はっきり俺をお飾りだと叫びやがって!」
そんなくだらない言い合いを往復して、楊は結局寝れなかったのだ。
十六号線を降りきった所で葉山の携帯が鳴り、彼は姉からのSOSだと楊に断ると署に戻らずに自分の寮へと車を走らせた。
彼の姉はDVの夫から逃げて来たは良いが、夫が彼女を追いかけて来たらしく、今度は外に出れない状況にあるそうなのだ。
「すいません。姉が自宅の周りにそいつがいるからって。」
「いいよ。」
その「いいよ。」が葉山には聞こえたのか、彼は楊に断るとそのまま飛び出して自宅へと駆け抜けて行ったのであった。
葉山が自宅のエントランスに入るとすぐに慌てて飛び出してきた男がおり、その男は楊の目の前を横切って駆けて行ったが大通りへと向かったようである。
「今のが暴力亭主か。」
自分のスマートフォンを玩びながら楊は呟いた。
「もう仕事を辞めたい。相棒は緊急連絡先にかけても無視するしさぁ。部下はぜーんぜん俺の言う事聞かないしさぁ。ちびをからかって遊ぼうかなぁ。」
真っ黒く丸い小さな車に一人で寄りかかり呟く楊は、世田谷での事を思い出していた。
警官を振り切って自殺したと思われていた奥田勇は、書類を見直せば完全に他殺であった。
貯水池に浮かんだ遺体と同じく、アルコール度数の高い酒を含まされた上に火をつけられるという拷問を受けていたのである。
午前中に楊は葉山とともに事件が処理された世田谷の警察署に赴き、当時の事件について説明を受けていた。
説明をするのは当時の担当官ではない。
当時の担当は林裕一の父の林警部補であったからだ。