蜘蛛とぼくと
僕は対等な友達でいるために君の囮になりたいと言ったのに、山口はふうと溜息を吐いただけでなく、表情を完全に曇らせてしまった。
僕は間違えてしまったのかな?
やっぱり守られるだけの人でいるべきだったのかな?
「君は頭がいいから気付くと思っていたけどね。せっかくだからお芝居じゃなくて楽しんで欲しいなって。僕と一緒の時間をね。」
山口の言葉に、僕の胸の奥でパタパタと鳥が羽ばたいた。
「楽しいですよ。淳平君と一緒は。だから、自分の出来る事はやりたいなって。淳平君が目も合わせてくれなかった日はとても悲しかったのです。」
猫の瞳のような透明感のある緑がかった褐色の瞳の中で瞳孔がぐっと大きく広がり、いつもと違う微笑を僕に見せた。
いつものスマイルマークのような笑顔じゃない、柔らかい自然の微笑みだ。
「君はただ楽しんでいて。俺が絶対君を守るから。信じて僕に付いて来てくれる?」
「付いて行きます。」
考えるまでもなく返事が出た。
すると僕の返事にハハっと温かい声で笑った彼は、左手を僕に差し出して、キラキラと輝く笑顔を僕に向けた。
「じゃあ、行こう。」
「はい!」
僕が右手で彼の手を掴むと、彼は先導するように一歩前に出た。
だが、その時、パシュっと栓の抜けた音が聞こえ、僕の手を掴んだまま山口が崩れ落ちたのである。
沈みゆく山口は僕も一緒に転ぶ前にするりと僕から手を放し、倒れてからごろりと仰向けになった。
彼の胸にはぽつりと赤い点が浮かんだ。
それがそんどんと広がって、どんどんと赤い血が溢れて、どんどんとどんどんと、まっかな血溜まりが広がっていく。
周囲のキャーというさざめきで、僕の体はようやく動き出した。
でも、僕は、僕はどうしていいかわからずに溢れる血の、血が出てくる場所を両手で押えることしかできなかった。
ひゅうひゅうと山口の口からは空気が抜ける音がする。
彼は苦しみの中にありながら、僕に逃げろと何度も何度も僕に口を動かす。
僕は両手から溢れている温かい血潮を感じながら、何度も何度も頭を振った。
「嫌だ!淳平君、淳平君。死なないで。誰か、誰か救急車、救急車を呼んで!誰か!。」
出したこともない大声で叫んでいた。
自分が大声を出しているのかわからないまま、とにかく声をあげていた。
お願いだ、誰か、誰か、彼を助けてと、何度も、何度も、だ。
「お願いだよ!淳平君を誰でもいいから助けてよ!」
僕の叫びによるものか、血溜まりから黒い蜘蛛が次々と溢れるように現れた。
空気は粗い粒子に変換されノイズのような世界になる。
その世界でも僕は叫び続ける。
「誰か!淳平君を助けて!いいよ!変異するから。変異してもいいから、お願いだから淳平君を助けて!」
人の声も周囲の喧騒なども完全に無くなり、そこにあるのにそこに無い空間。
蜘蛛達はそこの住人なのだ。
人に呪いとされた小動物の地獄。
人が存在しないから彼らは二度と虐められる事はない。
それならばここは天国か?
この世界に留まるのなら淳平は息絶えないのか?生きているだけの物体として?
「嫌だ!淳平君!君が動いて話さないと嫌だ!死なないで!」
時間が止まったような世界でも山口の傷口は動いている。
溢れ出す血が僕の手を押し出すほどだ。
絶望の中押し出された手を見ると、ひしゃげた金属の塊が僕の右手にあった。
「すごいや、クロト。」
息も絶え絶えの山口の声にノイズの世界は砂嵐のようにザッと消え去り、世界は通常の輝きと粒子に戻る。
山口は再びぐったりと力を抜いて、がくりと目まで閉じてしまった。
「じゅんぺいくん!」
「担架を担架、早く!」
救急隊員が僕を押しのけると、血塗れの山口を担架に乗せて持ち上げた。
「君もこの人の身内なら付いて来なさい。」
山口が乗った担架を運ぶ隊員達の後を僕は必死で追った。
何も考えずに追いかけて、目の前には救急車だ。
山口は救急車に乗せ上げられた。
「僕は彼の身内です!家族です!お願い!淳平君と一緒に乗せて!」
隊員に叫ぶと、いや、叫びながら僕も彼らに救急車に乗せ上げられ、何も考えられない僕は横になっている山口の傍に座る。
そして彼の手を握った時に、助手席に座る隊員がマスクを取って車内に振り返り、その途端に気がついた。
これが、罠だ、と。
僕達は平和な日本人だった。
まさか、公衆の面前で簡単に拳銃で人を撃ち、そして見せしめにその友人と一緒に攫う事を計画するなんて、そんな残虐な事を考えるとは計算外だ。
僕達を囲む偽隊員たちは、僕を見て下卑た声をあげて喜んでいる。
どうしよう。
でもでも、こいつらは下っ端だ。
逃げ切るためにはこいつらの頭を見つけて潰さないと。
潰せるかな?
僕に呪いは使えるだろうか。