君はやっぱり癒し系
楊は水野を撒くのが不可能だと思い知るや、すぐに覚悟を決めた。
「一緒に来るなら運転して。それじゃあ、君の支給車の方に行こうか。」
「やだ。かわさんの車に乗りたい。この車は凄いんでしょ。髙さんがこの車が無駄にパワーがあって運転し辛いってぼやいていたもの。」
楊は自分の支給車を振り向いた。
黒塗りのセダンは古臭い外見で、運転席のドアなどボコボコに凹んでもいる。
しかし、高速機動隊のお下がりのそれは、高速道路を流していただけあってエンジンはかなり手を入れられたものが乗っているのだ。
一方、水野と佐藤が乗っている支給車は軽のオートマである。
水野を知っている楊としては、例え免許証がマニュアルでも、確実に運転出来そうに無い彼女を運転席に乗せるつもりは無い。
警察官として市民の安全を守る義務があるのだ。
けれど、完璧が信条の佐藤に強請られたら、断る事が出来無いと楊は走って逃げるだろう。
佐藤ならば確実にマニュアルを運転できる。
楊がそのような行動を取る筈なのは男尊女卑ではなく、ただ単にこの車が左遷の選別として交通機動隊の伝説の大隊長から与えられた大事な物だからだ。
つまり、出来うる限り他人に運転させたく無いが正しい。
「この高速車でいつでも会いに来い。辛くても頑張れよ。」
楊を希望した交通部に入れてもくれなかった五百旗頭竜也警視は、本部から更迭される楊にそう言って微笑み、楊が本当に彼に会いに行ったら「楊の警察車両運転禁止令」を発動した。
運転席のドアの凹みはその男がその時に蹴ったものであり、整備の連中は伝説の男の足跡だと直してもくれない。
楊はゆっくりと大事な車から顔を上げると、水野の期待満面の顔に振り返った。
「運転したいの?」
水野は彼女の真の姿を知らない男性署員を虜にしている笑みを楊に返した。
大きなたれ目を持つ顔をにっこりと綻ばせれば、大体の男性は癒し系だと騙されて絆されるのだ。
楊も負けずに彼女ににっこりと微笑んだ。
彼を叱る女性教師や母親の口を閉じさせてきた、こちらも連戦連勝の微笑である。
しかし、当たり前だが楊の微笑みは水野に軽く流された。
「もう、かわさんたら。あたしはその車に乗りたいってだけ。あたしオートマ限定だもん。知っているでしょうが。あたしの支給車はさっちゃんと葉山さんが使っているから足が無いのも知っているでしょう。」
「あ、そうか。」
「もう!忘れていたの?もう!ほら、乗る。大体あたしは行き先が分かんないんだもの。さぁ、行きましょう。」
そこではがっくりと肩を落とした楊であるが、目的地において楊は水野の存在が助けになった事を内心で認めるしかなかった。
柴崎の母は生きているが死んでいるも同然の状態だった。
長袖カットソーににワイドパンツという姿ながら、骨と皮だけの体であることが誰にでもわかるほどの痩せ具合で、頭髪も地肌が透けて見える程に減って艶も失っているという有様だったのだ。
そんな彼女が警察である楊に反発するどころか水野の存在に安心し、柴崎の小学校時代のアルバムと一緒に武本と息子の過去を涙ながらに語ってくれたのである。
さらに、帰りの車の中、水野は楊の代わりに泣いてもくれたのだ。
「何だよ。可哀相。クロは何にも悪い事をした事無い奴じゃん。ただ、他の子よりずっと可愛かっただけで。それで、柴崎って子もクロを守ろうとしてって。林って奴、今も警察をやっていたら殴ってやりたいよ。自分の子供を諌めるどころか、他所様の真っ直ぐな子供を素行不良で更生施設に入れるなんてさ。」
徹は二年前から行方不明であった。
捜索願を出そうにも、戻ってきた時の息子が小学校時代の冤罪の過去を蒸し返されたらと出すに出せなかったと母親は語り、楊達はその場で捜索願いを彼の写真とともに受け付けた。
武本が輝いてた時代の写真も一緒に。
「クロがびくびくしている訳がわかったよ。そりゃあ、正義をないがしろにする大人ばかりだったら怯えるよ。あの子達が神奈川にいたら、あたしらが守ってやったのに。」
楊はそこで噴出してしまった。
「何、かわさん?」
「いや、その通りだなって。君達の側にいればちびもちびの同級生達も真っ直ぐにいられたかもしれないね。君は佐藤と一緒に俺達警察官を白髪にするほど県内で暴れまわっていたものねぇ。」
「悪い奴を殴って躾けるのが、どこが悪いよ。子供のやることは罪にならないってほざくからさ、あたしら子供が成敗していただけじゃん。」
「それ。俺は君達を警察官に勧誘した事を後悔しているの。放っておいた方が君達が世界の巨悪を全部退冶してくれていたかなぁって。あぁ、俺って器の小さな無能。」
「それで、平和になったら邪魔になったあたしら二人を逮捕していいトコ取りって?そんな汚い大人にならなくて良かったじゃん。」
楊は再び高らかに笑い声をあげた。
「いいやぁ、汚いかもよ。回転灯つけてドライブしようか。エンジンフルで署に戻るぞ。」
「やった!あたし、警察官になって良かった。」