人として生きたいから
「身内の仕返しをしないと幹部になれない掟でもあるのかね。」
楊は本気で嫌そうに溜息をついた。
「山口が痛めつけた奴は児童虐待の罪もあって本国で極刑だったらしくてね。政府に仕返しはできないけど、平和な小島の警察官だったら仕返しできると考えたのかねぇ。捕まえた奴らは何も吐かないし、吐く前にロシア大使館から引渡し要求で即日釈放だったさ。最悪。」
「どうしてロシア大使館が犯罪者を守るんだ?」
「繋がっているからでしょ。ソビエトの崩壊以前も以降もずっとロシアは金欠じゃん。ソ連時代から密輸密売は公然の秘密で、奴等の外貨獲得手段でしょ。船が難破するーって港に来て、水と燃料をタダで入れさせた上に北海の珍味を日本に売りつけてたソ連時代の話はのどかだけどさ、崩壊後のロシアンマフィアの幹部の殆んどが元KGBやら特殊部隊出身者らしいじゃん。やばいよ。」
冗談めかして説明しながら、楊は情けない笑みを顔に浮かべた。
「なんかすまないね。お前にもちびにも面倒ばっかりかけてさ。俺は無能なのに持ち上げられただけの、何も出来ない奴だからね。」
「クロを庇ったのはお前の判断だろ。本部も本庁もクロを犯人扱いでお前への圧力が凄かったのに、お前は頑張ってくれたじゃないか。いい加減にお前自身に戻れよ。」
楊は俺の言葉に首を竦めておどけるだけだ。
拉致による玄人の後遺症までも自分の責任だと自分を責めているのだろうか。
まるで、ついこの間までの、山に干されていた俺のようだ。
俺は俊明和尚の言葉が「還俗しろ」だと思い込んだからこそ、「一般的な僧侶」のフリをし続け、疲れ、なりきれない自分を唾棄して日々呪い、どうしようもなくなっていたのだ。
家族も団欒も知らない俺を養子にして、俺の父親となって世界を与えてくれた男の言葉だからこそ俺には重く、俺は自分の世界同然の男の遺言に従う事が出来無いと苦しみ喘いでいたのである。
俺は僧であることも仏も理解していない癖に、どちらもなぜか捨て去ることが出来無かったのだ。
なぜか、ではないか。
俺は人を捨てて僧と有る事で、ようやく縋り続ける人との繋がりが出来たのだ。
その繋がりを必死でしがみ付いて雁字搦めにもなってしまってもいたが、今の俺はとても楽だ。
俺自身であればいいと気づいた時、俺から戒めは解かれたのである。
それは玄人が俊明和尚の言葉の本当の意味に気付かせてくれたからだ。
「人として生きなさい。」
僧侶にかけられた言葉として、これはどう考えても「坊主をやめて還俗しろ」という意味だろ?
だが、玄人という馬鹿は、俺達が人間じゃない「鬼」だと言い切った。
言い切ったその口で、意味が違うはずだと言い張ったのだ。
「言葉通り人として生きろ、人として振舞えではないでしょうか。言葉通りにしか人の言葉を受け取る事が出来ない鬼にかける言葉ならば、僕達はそのまま受け取るべきです。」
その言葉で俊明和尚との暮らしを思い出し、彼が俺のやりすぎに眉を顰めながらも楽しみ笑い転げていた事を思い出したのだ。
鬼とはよく言った。
俺は僧衣を纏うことで、山奥から人里に降りてこられた鬼そのものではないか。
他者への共感も無く、人としての柵も持たない身の上の俺は、何でも、どこまでもやろうと思えばやれるのだ。
そしてそんな俺を楊が時々窘めていたのだ。
「お前、人に戻ろうよ。」
俺の友人だと楊がいつも傍にいたからこそ、俺は曲解した言葉に潰されても生きていけたのだろう。
そして、俺が人であり続けようとするならば、俺は友人を助けるべきなのである。
「山口に長期休暇をやれ。」
俺の言葉に楊は目を見開き、驚いた顔で俺を見返した。
「俺にも仕事があるしな。いちいちクロの面倒を見るのも疲れるし、一人じゃ隙が出る。来週にはまた雨だ。山口を手ぶらにしてクロに貼り付かせとけば、俺達は楽じゃないか。」
ははっと乾いた笑いをしたあと楊は、俺を見通すようにじっと見つめた。
「山口が警察に戻れなかったらどうするつもりだ。」
「そんなのわかりきっているだろうに。ウチで奴隷奉公だ。」
ひでぇ、と、楊はひとしきり笑い、それから彼は真面目な顔に戻って俺に頭を下げた。
「あいつをよろしく頼むよ。」