小部屋のざんていか長
この間の小会議室には「特定犯罪対策か」と手書きプレートが嵌っていた。
達筆なところを見ると楊の自筆だろう。
あいつは書道をやっていないが、幼少の頃から不動産を営む実家で宛名書きの奴隷奉公をしていたのだ。
道とつくもの全て白帯でありながら、道とつくものを人並み以上にこなせているという不思議な男だ。
この部屋は小会議室であったためか、ポツリと一台だけ置かれた楊のデスクと、デスクから人が通れるぐらいの間を開けて折り畳み長テーブル二台が置かれていた。狭い部屋なため、これだけで部屋がぎゅうぎゅうに占領されている。
また、私物らしき物が適当に長机の上に置いてある所を見ると、楊の部下はこんな狭い部屋に押し込められただけでなく、この長机を共有という可哀相な身の上になった模様である。
「どうした?仕事はいいのか?」
人の出払った部屋で一人書類仕事をしていた楊が、顔を上げて俺に声をかけてきた。書類仕事中であったからか、彼の顔には愛用の黒縁眼鏡だ。
俺の姿を認めた楊は笑いながら眼鏡を外した。
「乱視ぎみの遠視だって堂々としていればいいだろ。」
「うるさいよ。」
楊は顔を赤くしながら、外した眼鏡を胸ポケットに片付けた。
楊は書類を前にすると必ず眼鏡をかける。
そんな楊を玄人が「老眼」だと言い張ってから彼は眼鏡を直ぐ外すようになったが、その動作がより老眼の証明みたいになっている事を奴は気付いていない。
「お前の部下は可哀相だな。個人デスクも無くなっちゃったんだ。」
「彼らの個人デスクはまだ刑事課にあるの。ここはウチの課専用の会議室って感じ。」
「それじゃあ、お前だけこの部屋一人か?お前は人気者だと思っていたが、実は嫌われ者で刑事課から隔離されたのか?一人ぼっちなのか?部下の荷物番か?」
「課長室って受け取れよ。それより一般の部外者がフラフラ何しに来てんだよ。」
「今日はガイダンスだけらしいから、クロは直ぐに大学を上がるからね。仕事に行くよりもここで待とうかとね。今日のボディガード妖精は水野ちゃん?垂れ目の可愛い子だったね。それから、ほら、課長昇進おめでとう。」
楊に数万円分の商品券の入った封筒を手渡した。
彼はミルクを飲んだばかりの猫の様な顔を俺に向けて受け取ると、すっと封筒を上着の内ポケットに収め、それが入っている場所を嬉しそうにポンっと軽く叩いた。
「さんきゅーう。でもね、昇進と言ってもただのおべんちゃらだって。ちびを犯人扱いした本部が慌ててね。ちびが武本物産の跡取りで世界の橋場建設の親族だって知って蒼白な所に、海運王の島田正太郎までが大伯父だって出て来ただろ。橋場は特に本部長にまで苦言を呈したそうだからね。庇った俺を昇進させて、ちびに連なる者へのご機嫌伺いってだけだよ。昇進させるにも役がないからって、変な課を作って押し付けられて散々よ。」
玄人の言うとおり本気で楊は嫌そうだと笑いつつ、彼の側に椅子を引き寄せて腰掛けた。
書類だらけの机の上には「ざんていか長」とやはり手書きの白い三角プレートが乗っていた。こいつはくだらない悪戯にはマメな男だ。透明アクリルにヒビまでも入っている。
「橋場が苦情を入れているのか?」
「孝継って次男がね。凄い剣幕で本部長に苦情を入れたってね。動いたのが武本にとっての善之助おじいちゃんや叔父の孝彦じゃないから俺も吃驚だよ。」
孝継は武本の記憶喪失から彼と疎遠にせざる得ない環境に怒りを抱いている。
そのくせ、俺が執り行った橋場家での葬式では、孝継と玄人はお互いに近づきたい癖に挨拶程度の会話しかしなかったのだ。
あの馬鹿どもが。
さっさと邂逅して、俺を孝継の馬鹿メール攻撃から救って欲しいものだ。
「大学で怖い目にあわせてしまったようですまないね。」
「あぁ、忘れていた。クロは佐藤モエちゃん?が格好良かったって普通の若い男のように彼女の話をしているからね。」
「可哀相に山口。」
「そうだ山口。大学構内で狙われるって、山口の相手は形振り構っていないようだな。」
俺の言葉に楊は肩を竦め、嫌だ嫌だと呟いた。




