クロトの家だったところ
楊は内線電話の受話器を取り、それが鑑識からだと知るや、被害者達のスマートフォンのメールから犯人の呼び出しか、あるいは人物特定できる何かが見つかったのかと考えた。
被害者に反道徳的不良行為が多過ぎるのだ。
彼らは様々な所でかなりの恨みを買っており、聞き込む度に容疑者が増え続けて、犯人の特定どころでは無いのである。
その上、百目鬼が笹原一家に武本が富豪一族の一員であると伝えたがために、楊の被害者家族への聴取では、彼らの口からは武本の名前ばかりが呪文のように唱えられたのだ。
彼らは確実に慰謝料を奪え、尚且つ息子の過去の罪業を無に出来ると思い込んでか、生贄に武本を選び出したかのようなのである。
被害者家族が口裏を合わせて来たと気づいて探ると、被害者遺族間で何度か集まり結束し、彼らが作り上げた武本犯人説を弔問客どころか近隣住人達にも流し始めていた。
そんな状況に楊が焦る中、武本と同じマンションに住んでいる今井翔の母親の今井楓は、楊に彼女独自の見解だけでなく興味深い事実を伝えたいと申し出て来たのである。楊は彼女に会いに行ったが、その時のことを苦い気持ちになりながら思い出していた。
武本の自宅は施工が橋場建設よる高級マンションであるが、近隣に立ち並ぶマンションと違う重厚な存在感により、集合住宅といよりも黒い要塞のように見える。
三棟が扇状に展開するように建てられたそれは、敷地周囲をぐるりと塀が完全にとり囲み、門扉にもエントランスにも警備員が立っている。
扇状の建物によって囲まれた中庭は公園のような遊具もあり、そこは外界から完全に遮断された子供の苑という、住人の子供達には安全で特権的な遊びの場となり得そうなものだった。
楊はその広場を眺めて、武本家が継母の言うがままにこのマンションを武本に与えた理由が手に取るようにわかったのだ。
安心して遊べる場所を大事な子供に与えたい、だ。
しかし近隣や住人達に聴取していく中で、その広場は今井家の子供と友人達によって占領され、成長するに従って「子供を近づけたくないタイプ」の友人を外から引き込んでのタバコや飲酒の迷惑行為が続いて頭を悩ませていたと知った。
塀が囲む私有地だからこそ、彼らはその塀の中で違法に近い迷惑行為を繰り返して来たのだというのだ。
さて、楊に応対した今井楓はほっそりとした体に上品な服装をしており、息子の砕けすぎた服装や不良的行為の数々からは想像できない女性であった。
今井の父は一流企業勤めで楓も学校教師との事で、その二馬力であるならばこの一等地の高級マンション暮らしも、彼女の息子達が二人とも私学であるのも頷ける。
しかし、彼女の着ている黒いニットのアンサンブルが毛羽立っている安物の品である事や、マンションの価格の割には室内の調度品が大量生産の廉価品であることから、内情は厳しいのだろうと楊には思わせた。
同じマンションで、一方は特権階級的な裕福な家の子で、一方は普通よりは恵まれているが比べ物にならない経済状況では、親同士子同士に妬みや歪みがでるものか、と。
だが、彼女は楊の考えの及ばない言葉を、楊を居間に通した途端に発したのだ。
「貧乏だった一家が、言いがかりで奪ったお金でいい暮らしをしているなんてね。それをごまかす為に武本物産の一族だ何て嘘までついて。きっとその嘘で息子は呼び出されて殺されたのよ。」
「……貧乏、なのですか?」
「私は理事会も参加していましたから、あの迷惑な家の事はよく存じています。管理費や修繕積立金の滞納が多くて困りもののお宅なんですのよ。」
マンションの名義は武本であり、武本の個人財産が継母の詩織に抜き取られている事を知っている楊は、それで滞納が多いのだと知っている。
滞納が続けば退去させられるが、払う意思が見られる程度に支払っている限り管理組合は強く出れないものなのだ。
しかし、マンションの警備会社だった立松の不祥事の被害者のはずの武本が、詩織の滞納行為によってマンションから追い出されようとしているという事情までも楊は思い出して、彼は憤懣やるかたない気持ちに陥っていた。
実父と継母に精神的虐待を受けている武本にはマンションなど何の価値もなく、自分の財産とも思ったことも無く、失ったとしても何の感慨も湧かないだろうと知っているからこそ、楊は武本が哀れだと憤慨してしまうのである。