葉子のお願い
楊と松野葉子宅へ玄人を迎えに行くと、楊の部下二人の姿はとうに無く、その代わりにか、玄人の祖母咲子が松野の居間に寛いでいた。
どこから見ても玄人の祖母だとわかる、玄人の顔をした老齢の美女である。
彼女の偏愛ともいえる玄人への愛情は、彼女の娘達と息子が彼女の外見に全く似ていないからこその玄人への執着なのだろうか。
彼女は孫の回復を長女に聞き、喜び勇んで台湾から戻ってきたのだという。
情が深く気性の激しい人だ。
日本に留まれば孫の傍から離れられないが、それゆえに玄人の両親と衝突してしまうからと、常識的な娘の加奈子に諭されたようである。
加奈子とその夫で婿養子の洋は、玄人を自分の息子のように可愛がり心遣いをしてくれるという、玄人の両親である父の隼と継母の詩織とは大違いの人格者だ!
もともと隼と詩織は俺にとっては敵認定であるが、玄人の危篤を知るや喜び勇んでアメリカから帰国していたと聞いて俺は殺意までも湧いた。
今や、玄人の財産を吸いつくした隼達の所業によって、玄人名義のマンションなどのすべての面倒が玄人名義で俺にのしかかってもいるのである。
さて、あいつらをどうするべきか。
「ねぇ、玄人。それで、本当に私のお願いを聞いてくれないかしら。」
葉子の声は、俺の物思いを打ち破るほどの悲壮感を滲ませていた。
耐熱ガラスの中で美しく咲いている工芸茶に喜んで、咲子と楽しそうに歓談していた楊も、かなりの驚いた顔で葉子を見返しているのだ。
注目を浴びた彼らのうち、質問を受けた玄人が頭をがっくりと下げた。
「嫌です。あの、だって、怖いです。」
「怖いの?そりゃ、共同墓地の骨をより分けることになるけど。」
「葉子!君はちびに何をさせようとしているの!」
珍しく、驚きの中に怒りを含んだ声音を葉子に使ったのは楊だ。
玄人は立松に拷問を受けた後遺症であるのか、意識を取り戻した後の彼は楊に対して酷く脅えるようにもなっていたのだ。
昨夜にどうやら玄人はそれも解消したようなのだが、楊はその前に玄人が昏睡に陥った事故が自分の身代わりだった事も未だに気にしているので、玄人に対しての振る舞いは親鳥のようにもなっている。
いや、玄人の俺への絶対的な懐き具合をうらやむような口ぶりを昨夜していた所を見ると、玄人を俺へのように自分に懐かせるつもりなのだろうか。
あいつは俺の親友だと自称する癖に、俺に対抗意識を燃やす負けず嫌いな所もあるのである。
「夫の骨の一欠けらでも欲しいのよ。雅敏が亡くなった時の私は弱くて幼くて、身寄りの無い彼が共同墓地に埋葬されるのを指を咥えて泣くしか出来なかったわ。私はもう長くないでしょう。死んだ時に、せめて墓ぐらいは一緒に入りたいってね。」
こんな葉子は初めてだった。
楊もそんな女性に何か言えるわけもないが、玄人を促す事もしなかった。
楊は人の気持ちが判りすぎるのか、最後まで自分の気持ちを押し通せない。
そこを漬け込まれるのか、彼の周りはストーカーばかりだ。
「ねぇ、世話になっているんだから、それくらいやってあげなさいよ。」
大事な孫に無体な事を強要するのは、鬼と名高い実の祖母だった。
「ですが、玄人君の精神的な問題もありますし。」
楊はそんな祖母から玄人を守るつもりか、そんな気持ちが無意識に出たのか、玄人の上半身に腕を回して自分に軽く引き寄せた。
玄人は嫌がるどころかぬいぐるみ状態で楊に身を任せている。
葉子と咲子がため息混じりに、可愛いと、同時に呟く程の絵になる光景だった。
「あら、玄人はあなた方が思っているよりも強い子よ。偶には和尚様のように玄人を玄関から放り出す勢いが必要なのよ。」
咲子のセリフに俺は思わず大笑いまでもしてしまったが、気が付いたら斜め向いに座る楊が俺を唖然とした顔を俺に見せつけていた。