稼働率よりも設備利用率を考慮しよう
相棒どころか部下までも不在の刑事は、一人寂しく現場を監督していた。
彼の名前は楊勝利。
神奈川県警では島流れ署と名高い相模原東署の刑事課の警部補であり、相棒を含め三名の部下を持つ三十一歳になったばかりの若き係長だ。
しかし、三十代といっても実際の彼は二十代にしか見えない童顔でもあるが、印象的な目元に皺と既成感を浮かべた今や、年相応どころか疲れ切った老人の風情だ。
なぜならば、彼は今、池に浮かぶ三体の遺体をレスキュー隊が引き上げる様を空しい思いと共に眺めていたからである。
この現場は相模原市内であっても、厳密に言えば楊の所属する所轄の管轄外だ。
彼の目の前で広がる、放棄された広大な農地にポツリと存在するその池は、以前は周りを囲む農地のための溜池であった。
農地が放棄された理由は、十数年前、正確には十六年前に、とある農家が建てた建築物により土地が汚染されたからである。
楊は彼自身大嫌いな建築物に視線を向けた。
楊達の作業する現場まで錆びた機械音を響かせるそれは、農地と一緒に放棄された風力発電機である。
風力発電はクリーンと謳いながらも人の入る必要のない自然の中に発電機を建造して自然を壊し、その上プロペラに巻き込まれて野鳥が犠牲になるのだ。
鳥をこよなく愛する彼としては、風力発電機のプロペラが生命への処刑器具そのものにしか見えないのである。
あれはアメリカのように人も生き物もいない砂漠地帯の場所に立ち並べるべきもので、命で満ち溢れる自然豊かな日本には不要の産物だと彼は考えているのだ。
そして、この貯水池を囲む田畑の持ち主達の目にも、この錆びた機械が忌まわしい物と映っているはずだと楊は確信していた。
彼らはこの機械建造によって土地を汚染されて田畑を耕すことが出来なくなり、汚染されているがゆえに土地を手放して売り払うことも出来ないのである。
発端は、子や孫のために土地を活用したい、という欲とも言えない思いからだ。
年老いた夫妻がとある業者にその思いの実現と唆されて契約をして、風力発電機を休眠地に勧められるままに三基も建てた。
その夫妻の地獄はここからである。
風車に反対だった人物の訴えで地質調査が行われ、建設時に使用された地盤を固める薬品による土地の汚染が見つかる事となる。
彼らは仲間から責められ罵られ、その上、業者の口にしていた保障も利益も何もなく、莫大な建設費だけが彼らの負債として残ったのだ。
そういう詐欺だったのである。
風力発電機のような建造物を適当に建てて建設費用をせしめ、悪評が立ち始めた頃には会社を廃業させて地に潜り、後には汚れた土地と首を括った被害者の死体が残る。
「まさに処刑機械。」
楊が吐き捨てる様に呟いてしまったのは仕方が無いだろう。
彼らは最初にこの池に身を投げた遺体となり、彼らを追い詰めた者達への呪いとなったのである。
遺体に数箇所殴打の後が残ることから他殺も疑われ、肺や気管に残留する藻などを比較検討するためのこの池のサンプルが採取されたが、その過程により、この池が高濃度のカドミウムに汚染されていた事も発覚したのである。
「カドミウムが出たってんなら、それは地主が死ぬ前からの汚染じゃねぇか。土からの水銀と砒素だって、汚染濃度がここら一体全部一緒って、ありえねぇだろうが。それよりも田んぼを潰すまで作られて流通していた米はどうなったんだろうな。回収騒ぎが起こった記憶が無いんだよなぁ。知らずに俺も食っていたらやばいよ。」
楊は空に向かってぼやくいた後は何事も無い顔を作り、再び煌めく水面に目を戻した。
この池はそれ以降も何人もの自殺者を水面に浮かべ、近隣では「人食い池」とまで呼ばれている。
潰してしまえば良いと思うが、それを主張していた人物がそれを人前で演説している最中に脳溢血で倒れて亡くなったが為に、呪いだと周囲が騒ぎ、結果として池は障ってはいけないものだとされたのだという。
楊がなぜそこまで詳しいのかは、そもそもの管轄である担当刑事が楊を呼び出して、にこやかにその呪い話云々を彼に伝えてこの案件を楊に押し付けたからに過ぎない。
まず楊は担当刑事に呼び出され、担当刑事の要求通り首を傾げながらも数名の鑑識と制服巡査達を現場へと連れて来たのだが、そんな楊に労いの言葉をかけるどころか担当刑事の第一声は、あげる、だったのである。
そこで尋ね返すと、呪いだから、だと、担当刑事は溌溂と笑いながら答えたのだ。
状況に納得出来無い楊は、気がつけば新人のようにおどおどとしながら、自分よりも年上で確実に有能そうな警部に尋ねていた。
「呪いはわかりましたが、あの、呪いが係る事件には私がって、一体どうしてでしょうか。」
「今度昇進なさって、そのような課の課長になられると聞きましたよ。そちらの署長さんからも、不思議事件は楊へと、県警中に回覧が回っていますからね。」
「うそん。」
「良かったですよ。楊さんがいらして。近隣ではまた人食い池だって大騒ぎでしてね。人食い池の謎も解いていただけたらなぁってね。よろしくお願いしますよ。」
しかし楊は知っている。
爽やかに微笑んで立ち去った刑事が、池に浮かんだ被害者の人物特定と遺族への説明が「嫌」だと、「呪いの池」にかこつけて楊に押し付けただけだろう事を。
そうして貧乏くじを受け取ってしまった楊は、一人寂しく、現場を監督しているとそういう訳なのだ。
「服装から見ても十代後半から二十代前半だものねえ。子供が死んだって伝えを持って親御さんに向き合うのは辛いよ。」
目線を再び現場に戻せば、遺体は既に引き上げられており、わらわらと楊が連れて来た鑑識官達が遺体に纏わりつき始めた所だった。
ここで医師による簡単な検視と死亡確認をした後に現場と遺体の鑑識が行われ、その後は遺体は病院に運ばれて安置されて遺族を待つことになる。
楊は鑑識達が探り出した証拠を元に死者の身元を突き止めて、遺族に彼らの死を告げて回る死神となるのである。
ふぅと、楊が溜息をついたその時、遺体は彼の目の前で仰向けられた。
被害者である青年は口の周りを赤く火傷で爛れさせ、その爛れは首から胸元へも服を焦げ付かせて広がっていた。
これは法医学教室行きの司法解剖案件だと、楊は空を仰ぎ見た。
「楊係長!」
「わかっている。他殺だね。それからこの子も知っているよ。ねぇ、そっちの子は?」
楊の言葉に次々と遺体は仰向けにされ、三体に皆同じ拷問跡が残っている事を楊達は否が応にも思い知らされた。
彼は再び曇よりとした空を見上げると、大きく息を吐いた。
「またあの子が巻き込まれちゃうよ。」