良純による過去話
「どうしたって。どうしてお前が謝る。所轄違いだろうが。」
俺の言葉を聞くや否や、楊はがばっと顔を上げた。
「ちげーよ、馬鹿。お前に辛い事を語らせてごめんって事だよ。辛かった時に気づいてあげれなくてごめんねってのも。」
「あぁ。確かに辛かったよ。借金塗れの店を俺に譲渡しやがって。拒否してぇが、ババアのガキがちぃママやってただろ。後始末が大変だったよ。」
「ちがーう。」
楊は再び突っ伏した。
ゴンっといい音がしたが、わざとでなく思いがけずに額を机にぶつけてしまったようだ。「いたい。」と呟く声も聞こえたから正解だろう。
「この世界は狂っているよ。」
突っ伏したままの楊が俺に当て付けて来た。
それは最近の俺の口癖だ。
「失礼だな、褒めろよ。借金塗れの店をそれなりの店にして言値で売り飛ばしたんだからよ。ガキには借金どころか小金を渡して追い払ったし、見事な腕前だろうが。」
楊はむくりと起き上がったが、彼の目がなぜか据わっていた。
「何だその目は。」
「……そのガキは君の実の妹ではないの?」
「あ、そうか。ババァの亭主にそっくりな顔で俺に色目を使って来るしで、うんざりで考えもしなかったよ。そうだね、種違いの二つ下の妹になるか。すすきので車の事故で死んじゃってさぁ。北海道まで行っての後始末が大変だったけど、妹なら仕方がないか。」
「それ、いつ?もしかして昨年の二月?」
「そう、昨年の二月だね。」
ゴツンと先程よりも大きい音を立てて楊が机に頭を打ち付けた。
今度は確実にわざとだ。
「何やってんの。大丈夫か?」
「……ごめん。」
「仕方ないよ。かわちゃんはライブだったんだからさ。」
額を真っ赤にさせた男は、耳まで真っ赤にさせて俺を睨んだ。
「悪かったよ、ほんっとに悪かったよ。でもさぁ、言わせて貰えば、明日から一週間ほど北海道に行かない?なんて軽く言われて行ける訳無いじゃん。あん時にさぁ、桂子が死んだって言ってくれれば俺は付いて行ったよ。言ってよ。今度からそういう大事な事は。」
「あ、お前、ガキの名前まで知っていたのか?凄い情報網だな。」
「俺達の学校の隣の女子高だったじゃんか。凄い可愛い子がいるって有名だったの。何度かうちの学祭にもあの子は顔出ししていたじゃん。もしかして、知らなかったの?」
「クロぐらい個性ある顔じゃ無いからねぇ、気付きもしなかった。それよりもかわちゃんが節操なくて残念だよ。あのぐらいで凄く可愛いって言われたら、同列にされたクロが可哀相じゃないか。」
「もうイヤだ!この男には愛は無いの?この世界には情は不要なの?今井の家族も田中の家族も被害者に何の憐憫の情も無いしさぁ。もう信じられない!」
「それでいつもと違う、自滅させろ、か。笹原もそうだったよ。」
楊は驚きもしない顔で、目線だけで俺にその先を促した。
「笹原は小学生時代の行為を全く反省していなかった。あのガキが心配していたのは自分の安全だけだ。山口に殴られたとしてもクロを恨むだけで、奴の心には絶対に響かない。そこで俺の出番だ。俺は人を導く立場にあるお坊様だろ?」
「破壊を導く破戒僧じゃなかったのか?」
「煩いよ。」
俺は笹原を自宅に送って行った。
山口と玄人を二人きりにするのは不安だったが、笹原を我が家に泊めることなど問題外だ。
笹原の家は、我が家から数百メートル離れた場所に似たような外観の一戸建てが数件が建てられているが、そのうちの一軒であった。
深夜ながら笹原夫妻は俺を追い返すわけでもなく、好意的とは言い難いがリビングに俺を招いた。
恐らく、息子の様子と俺の出で立ちに、着替えるのも面倒で綿入りの丹前を上に羽織っただけなのだが、そんな姿の俺に恐れ慄いていたのであろう。
自宅を出る直前に、警察に職質されるから着替えて!と玄人が叫んだ程なのだ。
そして俺の姿は笹原家に威圧感と恐怖しか与えていないと後悔するほどに、彼らは人形のように俺の前に座っているか、俺の為に自動人形のように茶を淹れているか、でくの坊のようにリビングの端に立ち尽くしているかであった。
俺はため息を吐き出すと、世界を動かすためにと自分から動いた。
つまり、俺の来訪の理由を正面に座る笹原の父に告げたのである。
「彼は昔のいじめ行為を後悔して我が家に相談に来られたのですけれどね、今更無理だと思うのですよ。何しろ武本物産と橋場グループを敵にしてしまったのですからね。就職はこれと繋がるものは全て駄目でしょう。十一月の我が家への襲撃で、寝た子を起こすという駄目押しもしてしまいましたからね。」
ガチャン、とお茶を淹れていた母親は茶器を落として割り、目の前の父親は呆けた顔で固まってしまった。




