序章
七回忌とは実際は六年目。
では、八年目に当たる今年はどうとするのであろうか。
夜更けの暗い中であるが天上の月は煌々と輝き、月の明かりによって水面を煌めかせている貯水池を眺めながら、僕は繰り返し同じ事を考えていた。
僕の大事な彼は夏の残り火で煌めくプールの底に沈められたのである。
なぜいじめがそこまでエスカレートしたのかわからない。
波紋が広がるように彼への憎しみが子供達へと伝染し、彼に暴力を振るう事が正義であり、全ての者の望みだとまで子供達は錯覚したのだ。
「もう八年目だよ。九月になれば九年か。僕はいつまでこんな事をし続けるのかな。」
「八は末広がりで一番縁起のいい数字でしょ。君は九月前には全部終わりにできるよ。」
友人の七回忌の年に相棒となった彼は、僕の呟きを聞いてたのか、そう僕に言い放つと寂しそうに微笑んだ。
「僕はって、君は終わらないの?」
「終わればいいね。僕には三回忌の年に当たるから。あぁ、こっちもとっくに越えちゃっていたか。そうだ、三回忌は二年目の昨年の九月だ。なんてこと。」
「そうだね。三回忌が過ぎちゃってたね。八年目どころでもない、まだ二年なのに僕は手も合わせてあげていない。」
「一周忌もしていないよ。弔辞に来た奴等の下卑た好奇心にさらされたせいで、母さんが葬式で壊れたからね。我が家はあの子が死んだその日に全員が死んだんだ。」
大学を中退し殆んど自宅にも帰らずに夜間だけ行動するようになった彼は、健康的だった肌は白く色が抜け、不健康な生活から体も顔も痩せこけて骸骨のように骨が浮き出てしまっていた。
整っていた顔立ちは見る影もなく、髭の代わりにぐるっと輪郭をなぞる様にして赤黒い吹き出物がぶつぶつと出来ている。
しかし、双眸だけは生き生きと夢見がちに輝いているので、今の彼は墓場で踊るしゃれこうべか亡霊そのままだ。
「君の罪はさ、僕が全部背負うから。だから、だから、君はもう家に帰ろうよ。」
しかし彼はハハハと、僕の言葉を耳障りな笑い声をあげる事で聞き流した。
「ねぇ。」
「それよりもさ、早くこいつらを沈めてしまおう。まだ生きている間に沈めてしまおうよ。助からないという絶望を味あわせてやりたいじゃないか。」
僕達の足元には三人の若者。
僕の良く知っている元同級生だ。
僕の親友を殺した許されざる青年達。
親友は死んで、そして息を吹き返したが、僕が知っている彼ではなかった。
僕は親友を殴って喜んでいた今井翔と田中圭太の頭の髪をむんずと掴むと、そのまま彼らを引き摺って目の前の水を湛えた貯水池へ歩き出した。
手の中でぷちぷちと彼らの頭髪がちぎれ、頭皮までも剥がれ掛けている感触を感じながら、僕は先程までの空しさが消えて相棒のような高揚感を感じている自分に気が付き、驚きと共にそんな自分を否定どころか受け入れていた。
なんて、楽しい、と。
僕の手の中では、確実に死を迎えると知った今井達が、虫の息でありながらも弱々しい動きと声で、必死に言葉にならない命乞いと抵抗を繰り返しているのだ。
「あぁ、痛いよね、死にたくないよね。」
両手を開くと、今井と田中はどさりと地面に落ち、命が助かった安堵の吐息が彼らから立ち上った。
しかし、僕が彼らに与えた安寧は数秒だけだ。
僕の手は彼らの後頭部辺りの髪を、むんずと乱暴に掴み上げた。
彼らからは声なき悲鳴だ。
「彼も君達に散々やめてって言ったはずだよね。」
僕の手が感じるのは、僕が彼らを許すはずが無いと知った絶望だ。
「ははは。いいねぇ。」
相棒は俺の所作に嬉しそうな声をあげ、彼自身の恨みの相手であった藤崎騎士の両腕を持つと僕の後に続いた。
裏返しにされた藤崎の顔は口の周りだけが爛れている。
僕が引き摺る今井と田中も同じである。
死にに行く彼らに酒盛りをしてやっただけだ。
純度九十はあるアルコールでしかないウォッカを、彼らにがぶ飲みさせてやったのである。アルコールは五臓六腑を焼き付かせただろうが、僕達は本物の炎も与えてやった。
僕達が彼らによって味合わされた怒りの炎の一片ぐらい、彼らに味あわせてやってもかまわない筈だ。
「ホラ、飲み過ぎたお前達に水のサービスだ。」
まずは今井を抱きかかえて池に放り投げた。
ザブンと大きな音と水飛沫が上がり、僕の隣に辿り着いた相棒は手を叩いて喜んでいる。
これこそ、僕らの復讐で正義なのだ。
今井はかって自分が成した殺人行為の被害者と同じく、月夜に煌めく水面に泡を立てながら、生きながら沈んでいった。