#7 火宅
戦火からやや離れた、自衛軍の傘下にない地区。うち捨てられたゴーストタウン。その大通りを、五台ほどの、ピックアップトラックやバンなどの様々な車種からなる車列が進む。それらはゴテゴテと原色で塗装され、コピー品の安価な機関銃が針金で荷台などへ括り付けられていた。そんなテクニカルとも呼べない粗末な違法改造車に搭乗しているのは、やはりガラクタじみた装飾品と武装で己を威圧的に飾り立てた屈強な男たちである。
男たちは社会の逸脱者、すなわち単なるチンピラであり、今日まで生きてこられたのはただの運でしかなかった。
愚かなことに、自衛軍のおひざ元である富士周辺の小さな町で略奪と殺戮を繰り返し、昨夜ついに治安隊による討伐を受けることとなったのだが、その最中でまたしても幸運が彼らを救った。治安隊が背後まで迫り彼らが絶体絶命の危機に陥った時、難民の暴動が発生したのである。
吹けば飛ぶような盗賊の相手をしている場合ではなくなった討伐部隊は即座に撤退し、彼らは生き延びた。彼らは身の程知らずの愚か者ではあったが、自分たちが自衛軍に目をつけられたということ、そして内乱ともいうべき尋常ならざる事態が発生していることゆえに、この地に留まるのは危険であるという程度の状況判断を行う事はできた。かくして彼らは富士を立ち、今後の展望もなくただ道なりに東へ向かっていたのである。
ならず者達のリーダーである初老の男は、先頭を行くバンの後部座席にて酒瓶を煽りながらふてくされていた。リーダーの男は戦前から暴力の世界で生きてきたが、どれほど働いても一向に成り上がることができなかった。手下を従えたり、アジトを拵えたりして、安定した収入基盤を築くたびに邪魔ものが現れる。支配下に置いていたあの町を根城にして上を目指すつもりだったのに、軍の襲撃や暴動で何もかも失われてしまった。
奴隷も武器も薬も金も、財産のほとんどを置き去りにして夜逃げした彼らが、今最も優先すべき目標として掲げるのは、当面の住居の確保であった。ならず者たちはとりあえず目ぼしい建築物があれば押し入って占拠しようと考えていたが、何も考えずに東方へ進んだ結果、どんどん人気の少ない山中へ迷い入ることとなってしまった。
車両の一群は、無人の村落を抜け、胡乱な廃工場を横切り、山を下り始めてようやく人間の生活の痕跡が見えるゴーストタウンへと至る。そこは朽ちたビルや一般家屋などの居住可能な建築物が立ち並んではいるが、電気や水道などのインフラが途絶えており、アジトとするには不便であった。そのため男たちは更に道を下っていき、探索を続けた。
やがて彼らは、灰色の朽ちた街並みにたどり着いた。
東田元一尉を連行した治安隊第三分隊は、警務隊の詰所で一晩宿泊したのち、基地へ向けて出発した。この判断は暴動が一夜で治まることを期待してのことだったが、結果として裏目にでた。
装甲車は警務隊の詰所を出て一時間もしないうちに立ち往生してしまう。基地へ向かう幹線道路は爆発物によって破壊されたため、裏道に入って大きく迂回しながら進んでいたのだが、貧困層の住宅が立ち並ぶ地域にて暴徒の集団に襲われ、身動きが取れなくなったのである。
狭い路地は瓦礫と自動車の残骸で封鎖されており、大柄な装甲車は思うように走行することができない。その上、そこかしこから銃器を携えた男たちが現れては装甲車へ攻撃を仕掛けてきた。今のところ、部隊の目につく範囲内にいる暴徒たちは、粗末な小銃や拳銃、あるいは火炎瓶ばかりを携行しており、装甲車に致命傷を与えられるような危険は無いように見える。しかし、いずこかの死角から、ロケット砲などの重火器を装甲車へ向けている者がいないとも限らない。そう考えると、隊員たちは気が気ではなかった。
護衛についていた二台の41式は、装甲車へ攻撃する者たちを威嚇射撃で追い散らし、進路を塞ぐバリケードを解体している。しかし狭い路地ではKRV本来の機動性能を発揮できず、その働きは精彩を欠いていた。
装甲車はノロノロと狭苦しく薄汚い裏路地を進んでいる。ときおり投石や銃撃を受け、くぐもった金属音が車内に響いた。
<多井隊長、もたないですよ、このままじゃ>
41式のアビエイターの一人が訴える。彼の操縦する機体は、せわしなく周囲のビルの屋上を跳ね回りながら索敵を行い、武装した者たちを見かければカメラ同軸機銃で追い散らしていた。
<いったん後退するか、火力で強行突破する事を具申します>
もう一台の41式のアビエイターも声を挙げる。彼は装甲車の進行方向を塞ぐ障害物を除去し、防楯で架橋を行っていた。
多井は考える。火力で強行突破するのは無しだ。その方法は無辜の一般人を殺害しかねない。それは治安隊の理念に悖る行いであった。
41式のみならばこの状況も容易に突破することができるが、装甲車を孤立させるわけにはいかない。いっそのこと装甲車を二台の41式で担いで運搬したほうがよいのかもしれないとさえ、多井は考え始めていた。もちろん、そんなことをすれば41式は応戦することができなくなるし、飛行中に被弾して体勢を崩せば、装甲車に搭乗している自分たちは墜死してしまうリスクもある。難しい判断だった。
懊悩する多井とは対照的に、東田は退屈そうに背もたれへ片肘をつき、あくびをしていた。彼の腕の自由を奪っていた拘束はいつのまにか外されている。東田はジャケットの内ポケットをまさぐってタバコを取り出すと、口に咥えた。
「兄ちゃん、火、無い?」
「車内は禁煙だ」
どこまでも厚かましい東田の要求を、多井はこめかみに青筋を立てながら突っぱねた。ピリピリした車内の空気を意に介さず、東田はタバコを未練がましく手元で弄びながらふてくされて足を中央の通路へ投げ出す。
次第に多井は、この東田という男が、外自の要人や暴動の黒幕などであることが信じられなくなってきた。危機的状況において周りの動静に無頓着であるならば、それは勇敢などではなく単なる愚鈍である。
「貴様はこの光景を見て何にも思わんのか。お前たち夕映会の横流しした武器でどれだけの人が……」
<隊長! KRVが!>
警報が車内に響く。空気が凍り付いた。ロックオンされたのだ。
「六時かな」
東田がつぶやく。当然時刻の話ではない。今は昼前である。
装甲車の運転手が即座にアクセルを限界まで踏み込み、ハンドルを真横へ切った。民家へ突っ込む。装甲車から宙に打ち出された発煙弾がエアロゾルを展帳した。耳をつんざく破裂音。装甲車の車内が洗濯機へ放り込まれたように縦横へ滅茶苦茶にかき回される。全身を四方八方から壁や天井で打ち据えられる苦痛に、屈強な隊員たちもうめきをあげた。
同時に、六時方向、つまりほぼ真後ろから、機関砲の火線が直前まで装甲車が走っていた路地を薙いだ。路面のアスファルトや建築物のコンクリートが打ち砕かれ、その破片が周囲のバリケードや電柱をなぎ倒す。
装甲車は辛うじて機関砲の直撃を避けたが、民家の軒先へ乗り上げた事で走行不能になってしまった。
「脱出しろ!」
青アザだらけになった多井ががなる。
隊員たちは後部扉を開放し、白煙の渦巻く外へ躍り出る。東田も多井に腕をつかまれて引っぱり出された。そして、横倒しになった石垣の上で、彼らは襲撃者と対面した。
機関砲の砲口を隊員たちへ向けた34式が一両、路地に佇んでいる。蒼穹の塗装が施され、頭部センサーが最新の並列式に換装された改造機だ。推進器が背部と肩部へ増強されており、速度に偏重したセッティングとなっている。
<よう、動くなよ>
蒼穹の34式改の拡声器から発せられた声は若い男のものだった。隊員たちは何も出来ず、立ちすくむ。
多井は目線だけ巡らせて護衛の41式を探す。二台の41式は脚部エンジンを撃ち抜かれ、ビルの谷間やバリケード跡に横転し沈黙していた。多井の背中に不快な冷たい汗がどっと吹き出る。41式に搭乗していた村田曹長と吉野曹長は決して無能な男ではない。その二人を、目の前の襲撃者は、旧型の34式一台で瞬く間に無力化したのだ。
敵対者に生殺与奪の権利を握られること、すなわち逃れられぬ死に直面するということが人間にいかなる感情を招くのか、隊員たちは嫌という程思い知らされた。秩序の守護者というプライドは脆くも崩れ去り、治安隊の面々の思考はいかにしてこの場を切り抜けるかという算段にのみ集中する。彼らの脳裏からは、すでに任務への責任感などは消え失せていた。
KRVの巨大な火力の前には、人間の意志など何の意味も持たないのである。
「遅かったじゃねえか」
東田がのそりと34式改の前に進み出る。
<すまんな。相方と乗機がやられちまってね。一度帰ってあんたの機体を借りてきた>
「相方……あの無人機か。お人形が実戦で役に立つのかね」
<立つさ。だからこそアメリカも俺のオートマトンに出資してくれたんだ>
東田と襲撃者は、動けない隊員たちに構うことなく、ごく親しげに会話を始めた。
多井は理解した。この34式改のアビエイターは、東田の共犯者だ。東田と部隊の立場は逆転し、今度は隊員たちがとらわれの身となったのだ。
立木は周辺を索敵しつつ、41式改の電力が回復するのを待つ。
廃墟と化した街並みに身をひそめると、立木は戦闘のさなかでは気が付かなかった足元の光景がつぶさに見えてくる。
路地に累々と転がる、焼けだされた貧しい人々の死体。あの姉弟と同じ年頃の子どもの死体もある。彼らが暴徒やゲリラかどうかは立木にはわからないが、社会の弱者であることには違いは無いだろう。今日死なずとも、明日にでも死んでいてもおかしくはない、そういう者たちだ。だからこそ、自衛軍も彼らに配慮する事無く戦闘を遂行している。
とにかく手当たり次第暴れ回る難民、暴動を煽って権力の簒奪を目論む反体制派、この騒動に便乗して略奪を行うヤクザや強盗団などの犯罪組織。彼らにはこれといった指揮系統がないため、自衛軍がこの混乱を鎮圧するには目に付く端から人間を殺しまくるしかないのである。
羽田事件から二十五年。上陸軍の侵略から五年。日本人が死体の山を日常の風景の一部として受け入れてから十年以上が経過した今となっては、今日の暴動もありふれた日常の風景でしかない。
あの姉弟はどうしたのだろうか、と立木は思う。もし戦火に巻き込まれていたとしたら、もう生きてはいないだろう。だが、立木にとって姉弟はもう縁の切れた存在である。もとより何の関わりもない他人でしかなかったのだ。立木が姉弟についてあれこれ気をもむのは不毛である。
立木は大きくため息をつき、シートに深々と座りなおした。今は戦闘中である。余計なことを考えていては死ぬ。立木は、今自分が考えるべきは、補給と継戦の問題であるということを意識しなおした。
電力も弾も足りない。電力は時間を費やせば回生装置や電熱発電装置で回復できるが、それならば帰宅してバッテリーを交換した方が早い。
装甲や駆動系を構成するスマート素材は正常に機能しており、微細な摩耗やヒビはほとんど修復されている。防御性能に関してのみで言えば、41式改は完調に近い状態ではあった。
正午を境として暴動は急速に鎮まりつつあった。気温の上昇が人々を疲弊させたのかもしれないし、暴動を煽っていた何者かが各反体制勢力に矛を収めるよう働きかけたのかもしれない。理由は何にせよ、稼ぎ時は終わろうとしているのだ。悠長に補給を行った結果、獲物を取り逃すような愚を犯す事を、立木は懸念した。
だからといってこのまま戦闘を続行しても、やはり成果は限られたものとなる。現状の41式改の装弾数では、うまく立ち回ってもR-27やモノなどのチープKRVを数台ほどか、あるいは戦闘車両を十台程度しか狩ることができない。テクニカルや歩兵などの雑魚はあまり金にならないし、利益率の高いヘリなどの航空目標は真っ先に他の傭兵と奪い合いになって早々に全滅してしまった。
戦歴の長いアビエイターでも、装備が不足したまま状況が不明瞭な戦場へ飛び込み、生還することは困難である。硝煙弾雨の激戦区では、一発の砲弾の有無が生死の分かれ目となる事も多い。
死の恐怖に耐えることができる人間はいない。戦場における勇気とは、自分が死ぬ可能性を忘れるか、あるいは生還を諦めることをいう。現実主義者で臆病者を自認する立木は、決して判断を勇気に任せる事はしない。彼には死に急ぐ理由などないし、巧遅を咎める者もいないのだ。
立木は運搬車を運転して自分に随伴してくれる仲間や部下が欲しかった。だが、立木に仲間はいない。
立木は補給のために一旦帰宅する事を決めた。
立木と入れ違いに、姉弟は事務所へ帰ってきていた。姉弟は地下街にて枯野と出会い、車で送られてきたのだ。
タダシの腕には小さなプラスチック製の植木鉢が抱えられている。
やはり立木の言う通り、枯野に雇ってもらうべきであったのかもしれないとカオリは考え始める。少なくとも立木と共に居るよりは裕福な生活が遅れるだろう。タダシも殺し屋になるよりは修理屋に就職するほうがいいはずだ。
立木に頼み、枯野の職場へ紹介してもらおうか。出世払いで紹介料を支払うと言えば、お人好しの立木は簡単に了承するはずだ。そうカオリが、子どもながらにこすい算段を立てていると、不意に事務所の外から車両のエンジン音が近づいてくることに気がついた。
立木が帰ってきたのかと、姉弟が窓の外を覗く。二人の視線の先には、改造ピックアップトラックが事務所の門扉に突撃する様があった。