#6 炎の国
姉弟は廃墟から金目のものを拾い集めて立木へ献上する事で庇護を得ようと思いついた。二人は人気の無い深夜に立木の事務所を出て、街の暗闇へ繰り出したのである。もの探しは姉弟の得意分野であり、闇夜に紛れて人気のない町中からお宝を掘り当てるのはそう難しいことでもないと二人は楽観的に考えていた。
夏の蒸し暑い夜だった。荒れ果てたアスファルトを踏みしめて、二つの小さな影が走る。星の光は厚いスモッグによって遮られていたが、都市に潜む何者かの焚き木の明かりと、地平線にこびりついた夕焼けのごとく夜の帳の向こうで燃え盛る戦火が、二人の道筋を照らす。
カオリは、金目の物、という漠然とした目標を立ててはいたが、結局のところは当てずっぽうの行き当たりばったりであった。いくども戦火に見舞われ、住人が去り、野盗が跋扈するこの地に高価な物品など残されているはずが無かった。
夜盗に警戒しつつ、倒壊しかけたビルや朽ちた家屋に侵入して品定めに興じるが、立木のお眼鏡にかないそうなお宝は中々見つからなかった。貴金属や宝石類、もしくは現金などの解り易い品はとうの昔に軍隊や盗賊によってあらかた漁り尽くされているし、家電製品は軒並み破損している。絵画や陶器を見かける事もあったが、手をつけられる事無く放置されたままであるという事は価値が低いものなのであろう。
タダシはふらふらと百貨店のショーウィンドウに近づくと、割れたガラスの向こうに転がっていた小さなプラスチック製の植木鉢を拾い上げた。
「立木、やさいをそだててるから」
タダシは立木の水耕栽培に役立ちそうなものとして、その植木鉢を回収したのである。カオリはこんなもので立木が喜ぶとは到底思えなかったが、何も無いよりマシだと考え、植木鉢をタダシに持たせてその場を後にした。
カオリは自分の見通しの甘さを理解し始めた。この打ち捨てられた街に価値があるものなどどこにもないのだ。大八車でも持ってきて目についたものを片っ端から回収すれば多少は金になるのだろうか、という考えも浮かぶが、すぐに諦めた。そのやり方では、立木の事務所をスクラップヤードからゴミ屋敷へ進化させるだけだろう。
二人はいつの間にやら大通りまでたどり着いていた。もう少しで明け方となる。成果の無いまま立木の事務所へ帰る事はできない。
母亡き今、頼れるのは自分だけだ。諦めることも退くことも許されない。そう焦るカオリに、タダシが声を掛けた。
「かいだんがある」
地下街である。駅を中心に広がる地下商店街への入り口が、歩道の一画に設けられていた。半ば崩落しているが、侵入できない事は無い。地上には無かったものも地下になら残されているかもしれない、とカオリは考えた。
二人は入り口から内部を覗き込むが、夜の暗闇の中では何も窺い知る事が出来ない。
カオリは、内部に潜む危険について思考を巡らす。野盗や野犬が潜んでいる可能性があるし、瓦解することも考えられる。しかし、カオリは焦っていた。
二人は恐る恐る地下街に至る階段へ足を踏み入れる。墨を流したような暗黒の中、手探りで進んでいった。空気は涼しく、沈殿している。
やがて階段を下りきり、二人は踊り場の壁に背を預けて一息ついた。目も少しずつ暗闇に慣れてきている。そして、カオリは自分の足下が濡れている事に気がついた。水よりも粘度が高い液体がアスファルトに広がっている。
血臭が姉弟の鼻をついた。
階段の先から男達の嗚咽と命乞いの叫びが聞こえる。
2021年。羽田空港が中国軍の一部隊によって爆破され、それと同時多発的に日本各地で勃発した一連のテロは、後に羽田事件と呼ばれることとなる。羽田事件は数万人に達する犠牲者を生み、その中には立木の両親も含まれていた。
なぜその中国軍部隊がこのような暴挙に及んだかというと、一部の急進的な将官の独断による犯行であると公には伝えられている。中国政府はこの将官達を処刑し、日本の被害者や遺族に対する賠償を確約した事で、事件は解決されたこととなった。
しかし、実際に賠償金が支払われる事は無かった。日本国内の左翼系圧力団体がテロを正当化するロビー活動を行ったからとも、人民軍からの突き上げに中国共産党が屈したからとも言われているが、理由は定かではない。また、将官達が中央の意向を無視してテロを敢行した動機も一般には明かされておらず、単なる行き過ぎたナショナリズムの暴走として世間的には認知されていた。
結局、中国共産党も日本政府も瓦解し、羽田事件の詳細に関する情報開示の目は無くなった。
歴史上において無数に存在する、顧みられる事も無い小さなイベントの一つとして、羽田事件は忘れ去られていったのである。
自衛軍領で勃発した争乱は、一晩で周囲の街にまで飛び火していた。
自衛軍領内で暴れ回る難民たちに呼応する形で決起した各反体制勢力は、戦車や装甲車、KRV、そして回転翼機まで保有していた。これらの戦力を警務隊が相手どるにはやや荷が重すぎたため、重武装の前線部隊がその制圧のために投入された。
戦火の拡大は留まるところを知らず、自衛軍領とその周辺地域のあらゆる秩序とインフラが灰燼に帰していく。立木には、今回の騒動のどこまでが仕掛人の思惑通りに進んでいるのかを知る術はないが、しかし混乱を極めたこの状況で、事態の推移の手綱を握って望み通りの形に納める方法などがあるとは思えなかった。
立木の目には、難民たちの蜂起には最終的な着地点や想定された落としどころがないように見えた。戦略目標というべきものが掲げられることもなく、人々はただ怒りのままに手当たり次第破壊や略奪を行っていたのである。
誰が何の目的でこの騒ぎに火をつけたかは不明であるが、自衛軍もただで転ぶ気はなく、この騒ぎに乗じて領土を拡大せんと謀略を巡らしており、暴動鎮圧と支援の名目で他勢力の街にまで戦力を派遣していた。そのため、各々の現場に置ける戦力は手薄となり、人手を補うべく立木たちベンダーPMCが動員される運びとなった。
立木が搭乗する濃緑の41式改が、燃え盛る都市の隙間を駆け巡る。
高層ビルの壁面をホイールが蹴り砕き、脚部と背部のジェットエンジンが咆哮する。地表から数十メートル以上の高さを維持しつつ、41式改はひと時もその場に留まる事無く縦横に跳ね回る。
日は高く昇っているが、戦火と黒煙に巻かれた都市は夕暮れ時のように赤く染まっていた。
立木は直下の路上に、IFFに反応しないテクニカルを数台発見した。41式改の左腕部に懸架された35ミリ機関砲がうなり、一瞬でテクニカルを四散させる。
41式改の周囲に友軍はいない。車両やKRVのものと思われる熱源や動体は多数感知しているが、自衛軍から提供されたKTDLS(KRV戦術データリンクシステム)に付随した統合作戦支援ソフトは、全てこれらを撃破対象として判定していた。
基本的にベンダー傭兵は歩合制であり、同業者同士で連携を行うようなことはしない。そのため、立木達各ベンダーは単独で突出させられ、正規部隊の梅雨払いや後始末を任される事となった。立木としても、そのほうがスコアを独占できるため望むところであった。
木っ端傭兵である立木には管制官のバックアップなど受けられないので、支援ソフトが受け取るデータリンク情報を頼りに索敵を行う。立木は次の標的を定め、高度を維持しつつ慎重に後方へ占位する。ディスプレイ上に獲物の後ろ姿を捉えた。
正面の大通りにて、“タコ助”が二台、外国製の戦車やら装甲車やらを追い立てている。
“タコ助”、すなわちR-27なる粗悪なロシア製KRVは、その蔑称の通りタコの頭部を思わせる巨大で単純な胴体を外見上の特徴とする機体である。日本では主に犯罪組織や非正規武装勢力などが運用しており、戦場では最も多く見かける機種であった。
この二台のR-27と、それらに追われている車両部隊は、双方とも自衛軍側の戦力ではなく、単なるゲリラなどの無法者同士であるようだった。
R-27のレーダー性能は低い。しかしそれでも後方数百メートルの距離から飛来する動体を感知する程度の機能はあったようで、二台のR-27は強引なブレーキングでアスファルトにコンバットタイヤの轍を刻みつつ超信地旋回を行った。41式改と二台のR-27が正対する。直後、41式改は右腕のレールガンを投射した。
レールガンに狙われたR-27は、超信地旋回の勢いに任せて左右に機体を不規則に揺らし、砲弾を紙一重で回避する。標的を外れたレールガンの砲弾は、R-27の向こう側で列を成す装甲車両部隊の一群を吹き飛ばした。
「クソ……手練か」
舌打ちをする立木は、41式改を空中で真横に滑らせる。二台のR-27から放たれる35ミリ機関砲の火線が41式改を追い回し、朽ちたビルの壁面に無数の弾痕を穿つ。
41式改はビルを遮蔽物として巧みに逃げ回り、隙を見ては機関砲を放った。二台のR-27も飛行して41式改に追いすがるが、立木は付かず離れずの距離を維持し続けた。
R-27の飛行速度は時速百六十キロメートル程度だが、それに対し41式改の飛行速度は背部増加エンジンの恩恵で時速五百五十キロメートルにも達する。41式改とR-27の速力の差は実に三倍以上であり、それは数的不利をひっくり返すには十分過ぎるアドバンテージとなった。
現在の状況はR-27が41式改を追い回すという形になっているが、これは背中を見せたり攻撃の手を緩めたりすれば即座にレールガンが撃ち込まれることをR-27のアビエイターが理解しているため、彼らは必死に食らいついているのである。つまり追い込まれているのはR-27の方であり、二台は途切れなく猛攻を加えつつ41式改の索敵範囲から離脱する術を模索していた。
もちろん立木は逃がす気など無い。二台のR-27を巧妙に誘導し火器を消耗させる。R-27の片割れが弾の尽きた機関砲をパージすると同時に、41式改は反転して背後にそびえる変電所の鉄塔を蹴り、一気に距離を詰めた。
41式改は両腕部にそれぞれ装備されている防楯を構え、機関砲を捨てたR-27へ真っすぐに突撃する。狙われたR-27は頭部同軸機銃で迎撃しつつ、路上へ背中からダイブした。推力の差を落下速度の運動エネルギーで補い、なおかつ正対する事で追撃を迎え撃つ、KRV回避機動の基本である。
立木は、このR-27のアビエイターが軍隊で正規の訓練を受けた者であろう事を察した。恐らく脱走兵か何かなのだろう。つまり立木と同じ立場の者たちである。だからこそ、その手の内を先読みする事は容易かった。
41式改は落下するR-27を追撃するさなか、やおら空中で超信地旋回を行う。真後ろを向いた41式改の眼前で、もう一台のR-27が機関砲を構えていた。41式改のレールガンが放たれ、機関砲を構えていたR-27は粉々に砕け散った。
二台のR-27が行った作戦は、いわゆるネズミ狩りと呼ばれている基礎的な対KRV戦術である。囮に食いついた標的を、攻撃役が背後から狩るのだ。真っ当な訓練を受けたアビエイターならばそうは引っかからない手ではある。
立木はもう一台の、路上に降りた方のR-27を再度追撃すべく索敵する。機影はすぐに見つかり、地下街への入り口付近に乗り捨てられていた。搭乗者はKRVが侵入できない地下街へ逃亡したのだろう。
立木は放置されたR-27を回収するかどうか迷ったが、ブービートラップを仕掛けられている危険性や、そもそも運搬する手段が無い事を鑑みて破壊する事にした。左腕部の35ミリ機関砲を数秒間浴びせると、ストロボに似た閃光を発し、轟音をたててR-27が爆発した。立木が懸念した通り、移動すると起爆するトラップが仕掛けられていたのである。R-27の破片がアスファルトや建築物に突き刺さり、地下街への入り口は崩落した。
立木は廃ビルの裏手の駐車場へ41式改を着陸させ、アクティブ迷彩を起動した。ヘルメットを脱ぎ、冷や汗を拭う。カラカラに乾いた喉へ経口補水液を流し込み、一息ついた。こちらが圧倒的に有利であったとはいえ、命の奪い合いである以上恐怖心が完全に拭えるわけではない。
立木は機体のコンディションをチェックし、今後の戦略を思案する。今のところ、41式改に目立った損傷は無い。41式改は両腕に防盾を備えている上、各部に増加装甲を配している事により比較的防弾性能が高いのだ。35ミリ機関砲弾による被弾ならばある程度は耐える事が出来る。
一方で、装弾数が想定以上に減っていた。先の空中戦で大量に使用してしまったのである。バッテリーも心もとない。
立木はたかがR-27二台に貴重な弾薬を消費してしまったことを悔やむ。41式とR-27のキルレシオは十五対一であり、本来ならば居眠り運転でも圧勝できる程度の戦力差であったのだ。R-27のアビエイターの腕前が優れていたことは確かではあるが、立木も素人ではない。
いつもは予備の弾薬やバッテリーを積んでいる運搬車を、立木は今回に限って持ち出していなかった。戦域が広範囲に及んでいるため、戦闘に巻き込まれて損傷する可能性を考慮したのである。しかし立木はその判断を後悔し始めていた。