#5 衆生の恩
41式改の整備はつつがなく終わった。弾薬は在庫にある分だけ購入し、足りていないものは入荷し次第購入する手はずとなった。
立木たち一行は運搬車にて街を出る。あとは、姉弟を送り届けるだけとなった。
「自衛軍の街がいい。そこへ行く予定だったの」
カオリの言葉を受けて、児童買春や人身販売が横行している国連の難民キャンプよりは、確かに同じ日本人が管理している自衛軍の領地のほうがマシだろう、と立木は思い至った。そもそも彼女たち武装難民は、国連の難民キャンプから脱出して危険を冒して自衛軍領へ向かっていたのだから、カオリの希望は当然と言えた。
「軍の難民キャンプには入るなよ。あそこは相当ひどいからな」
昨日、最初に姉弟と出会ったときの立木があえて国連のキャンプへ行く事を勧めたのは、自衛軍の領土よりかは治安が良く安全であろうと考えたからだ。しかし、姉弟が自衛軍領を望むのであれば、立木はそれに反対する理由は無かった。
「大丈夫。軍隊の街でお金を稼いで“とうきょう”に行くから」
立木はミラー越しに後部座席のカオリの顔を見た。
東京。日本最後の都市。金もコネもない孤児がそんな所で生きていけるわけが無い。
真っ先に人民軍からの核攻撃を受けて消滅した東京は、自衛軍や警察軍からはもちろん、侵略者たる上陸軍からも顧みられなかったために、皮肉にも国内ではいち早く復興した地域となった。日中の間で停戦の合意が結ばれた後も軍閥同士の諍いによる戦火は絶えないが、多国籍軍の拠点となった東京は強固な防衛戦力を有することで平穏や豊かさを享受していた。
都内へ足を踏み入れるには多国籍軍による厳しい検問をパスする必要があり、身分を証明しなければ門前払いである。素性の知れない戦災孤児などが入り込む余地など無い。
「自衛軍領の街に、移住を手引きしたブローカーがいるんだろう? まずはそいつと接触しろ。役人と治安隊には近づくな」
立木はみなまで言わず、ただ当面の生き残りに必要なアドバイスだけを伝えた。
時刻は昼過ぎ。自衛軍領へは、海岸沿いの道を行けば一時間ほどでたどりつく。
カオリは壁面へ備えられた外部モニターごしに外を眺めた。
空は快晴。そこかしこに着弾痕が穿たれ亀裂が走る路面が、後ろへ流れていく。立ち並ぶ廃墟の向こうには、太陽光を反射して目映くきらめく駿河湾の水面がちらついていた。
この沿岸道路付近は幾度かの大きな抗争を経て現在は自衛軍の管理下に置かれているが、治安の悪さから利用者はほとんどいない。夏の日差しの下で、無人のアスファルトを運搬車は進んでいった。
運搬車の車内には、ラジオから流れるノイズまじりの古い歌謡曲と、ペットボトルのジュースや菓子類を貪る姉弟の咀嚼音が響く。気怠い空気。
カオリは目まぐるしく様々なことが起こったここ数日の出来事について想いを巡らす。母の死。夜の廃墟。見知らぬ大人の男。そしてその男によって唐突にもたらされた、飽食と安眠の一日。
「ねえ」
カオリは運転席の立木の背中に声をかけた。
「なんだ」
「どうして立木は私たちに優しいの」
立木はまれに他者から“優しい”という評価を得ることがある。しかし立木本人は己が自己中心的で無責任な人間である事を良く自覚していたため、そういった言葉をかけられた際にはいつも同じ返答をして受け流す事にしていた。
「恩を売ってるんだ。いつか返してくれ」
やっぱりこの立木という男は馬鹿だ、とカオリは考えた。金も力も無いカオリは、体を差し出す以外に恩を返す手段など知らない。体を拒絶された以上、カオリは立木に恩を返すことなどできなかった。
もちろん、立木は本気で姉弟へ恩義を売ったつもりは無い。ここ数日の、立木の姉弟に対する保護者的な振る舞いは、単にその場の勢いや雰囲気に流されたためであり、立木の本意ではなかった。だから、今から自衛軍の街に送り届ける事で姉弟と縁を切り、いつもの生活に戻ろうとしているのである。
立木は孤児を拾った事による金と時間の損失を頭の中で計上しようと考えたが、やめた。回収しようも無い金を数える事ほどむなしい行為は無い。
満腹になったタダシは、運転席の横に顔を突き出して、コンソールをじろじろと観察しだした。
「ねえ、これってクレーンのボタン?」
「そうだ」
「これはつうしん機?」
「そうだ」
「これはじばく装置?」
「そうだ……触るなよ」
立木はタダシの機械への偏愛に呆れつつも、その眼力には舌を巻いた。きちんとした教育を受けさせれば一角の技術者や研究者になれるかもしれない。しかし、残念ながらタダシは戦災孤児であり、彼が大成する事は不可能であった。
やがて、前方に長大な防壁が見えてきた。防壁は鉄条網やコンクリートの塀、そして土嚢などを雑多に組み合わせたものであり、運搬車が走っている道路はその防壁のゲートへと繋がっている。ゲートには数台のKRVや歩哨が待機していた。いつもより厳重な警戒態勢が敷かれている。
防壁の向こうにはいくつもの黒煙が立ち上っていた。
「まずいな」
何かが自衛軍領の中で起こっていると立木は察した。運搬車を徐々に減速させる。ゲート前のKRVはすでに立木たちの運搬車を捕捉しているはずである。今ここで慌ててきびすを返して逃げ出せば、怪しまれて追撃される可能性が高い。鈍重な運搬車では、地形に関係なく時速百キロメートル以上で走行するKRVから逃れるすべは無い。
歩哨が立木の運搬車をゲート前の検問用レーンへ誘導する。
立木は運転席の扉を開け、歩哨に声をかけた。
「何があった? 中に入れないのか」
「暴動だよ。貧乏人どもがめちゃくちゃに暴れ回ってる。今は立ち入り禁止だ」
歩哨曰く、自衛軍領の街は難民の武装蜂起により戦場と化しており、封鎖されているという。
「あんた何の用でこの街に? ベンダーPMCのようだが、加勢でもしにきたわけじゃないのか?」
「いや、ただの買い出しと営業だ。アビエイタースーツは持ってきてないから手伝えることもないし、今日は出直すよ」
立木は孤児姉弟のことは伏せ、出任せの言い訳をした。
結局、もと来た道をとんぼ返りする運搬車。
しばらくして、ふと、立木が眉根を寄せた。
運搬車の進行方向に、鉄板や廃車によるバリケードが構築されている。鉄製の反しがついた、簡素な走行妨害トラップも張り巡らされていた。自衛軍領のゲートまで行って帰ってきたわずかな時間のうちに構築されたようで、決して頑強なものではない。
「カオリ、シートベルトを締めろ。タダシもだ」
立木はレーダーと熱源探知機で索敵し、運転席の天井に備えられているレーザー銃座の電源を入れた。運転席のディスプレイに、バリケードの裏側に潜む二十人ほどの人影が映し出される。車両やKRVはない。爆薬や対戦車地雷も見当たらない。この者たちは自衛軍領の騒動と関係あるのか不明ではあるが、その装備のお粗末さからして素性は単なる強盗やヤクザであるようだった。
立木は整備したばかりの41式改で応戦しようか考えたが、面倒になり運搬車で全てを蹴散らす事にした。
カオリが立木の肩越しにフロントガラスの向こうへ目をやる。
「なんなの、立木」
「少し揺れるぞ」
立木がアクセルを踏み、運搬車は唸りを挙げてバリケードへ突進した。運搬車の巨大なチューブレスコンバットタイヤが、一重二重に仕掛けられた走行妨害トラップを踏み砕く。
バリケードの背後から男達が飛び出し、携帯式ロケット砲を発射した。それと同時に運搬車の銃座から戦術レーザーが自動で放たれ、空中のロケットの弾頭を融解させる。直後、ロケットは射手の手前で誘爆し、バリケードの一画を焼き尽くした。一秒にも満たない攻防であった。
さらに小銃弾がぱらぱらとまばらに撃ち込まれるが、立木は意に介さず運搬車をバリケードに突っ込ませる。金属と金属が衝突し、ひしゃげる轟音が真昼の空に響いた。立木のMK6運搬車は、型こそ古いもののその堅固さは折り紙付きであり、装甲車と同等の防弾性能を有している。立木はなおアクセルを踏み込み、バリケードを打ち砕きながら突破した。運搬車は無傷である。
周囲の物陰から飛び出した男達はなおも果敢に運搬車へ銃口を向ける。しかし自動照準のレーザー銃座は無慈悲に男達を次々と焼き殺していき、運搬車に一矢報いる事も無く彼らは全滅した。
一連の殺し合いの間、運搬車の車内は立木の言う通り“少し揺れた”程度のことを除けば、至って平穏を保っていた。ラジオから流れていた音楽は、いつのまにか前世紀の古い歌謡曲からクラシックへ変わっている。
カオリが後方の外部モニターを覗き込むと、炎に包まれるバリケードの残骸と黒こげの死体が路上に散乱していた。
ほんの数日前まではカオリ達も、この男達のように、強者の手によって一方的に殺戮される側であった。しかし成り行きで立木の庇護を得た今は、冷房の効いた車内で、ラジオの音楽を聴きながら、画面の向こうの死を無感動に眺めている。
この運搬車の外と中では、装甲の厚さ以上に世界が隔絶しているのだ。
立木は考える。
あのバリケードはどう考えても軍用車両を食い止められるようなものではなく、非武装の一般人を標的としたものだった。しかも自衛軍領の方向に対して構築されていた。バリケードに潜んでいた男達が、自衛軍領の騒ぎと関係のある者であったとしたら、彼らは自衛軍領から外部へ出て行く一般車両を狙っていたということになる。
先日に遭遇した難民と同行していた戦車といい、ここ最近の自衛軍にまつわるきな臭い動きは、単純な他勢力との縄張り争いというよりも、軍内における権益構造、その水面下で行われている政治的駆け引きの気配があった。立木としては、しばらくは飯の種に困らないであろうという点においては歓迎したいところであるが、しかし難しい立ち振る舞いを求められると考えると重い溜め息が出るばかりであった。
仕事の事について考え込むと、たとえそれが儲け話であっても、立木はいつも気分が重くなる。立木は仕事が嫌いだった。
姉弟と立木は事務所へ帰った。
なんとなく姉弟の指定席となった応接室にて、三人は顔を突き合わせて遅めの昼食を摂った。
「また、KRVのいっぱいあるところに行きたい!」
タダシが立木に要求した。
「じゃあ、お前ら枯野のところで雇ってもらうか」
「イヤ」
立木の提案をカオリが即座に拒絶する。
カオリは立木の顔をじっと睨みつけた後、ぽつりと呟いた。
「ここにいたい」
やはりそう来たか、というのが立木の正直な心中であった。
立木は姉弟に対する接し方を計り兼ねていたので、食事や寝床を与えて放置していたのだが、それが良くなかった。この事務所を、孤児がタダ飯にありつける場所と認識されては、さすがに立木も困る。
「俺も金が余ってるわけじゃない。悪いがお前たちを養っていく事は出来ない」
そもそも立木にはこの姉弟の世話を行う義理などないし、それはカオリも理解していた。昨日今日と二日にわたって立木が姉弟の面倒を見たのは彼の純然たる善意によるものであり、カオリは更なる庇護を要求する資格など自分には無い事をよくわかっていた。
だが、カオリは自分たちの命の無価値さも良く思い知っていた。立木との関わりは、彼女の過酷な人生において数少ない、幸福な未来を手に入れるチャンスであった。
これは、カオリにとって命をかけた交渉であったのだ。
「お金なら、街にいって男の人相手に稼いでくるから」
「……駄目だ」
立木がカオリの売春行為に反対したのは、生理的な嫌悪感によることもあるが、それ以上にトラブルの種となりかねないためである。売りにも売りのルールというものがあり、街の商売女は元締めによって管理されている。そういった縄張りを侵犯してシノギの横入りを行えば、間違いなく姉弟と立木は元締めの報復を受ける事になるだろう。ベンダーがその気になれば田舎街のヤクザやマフィアなど容易く皆殺しに出来るが、しかし立木にも社会的な立場がある。どんな世界でも横紙破りにはしっぺ返しがあるのだ。
「私、車も運転できるし、銃だって撃った事あるよ」
カオリの懸命で拙い懇願に、立木はうなった。
ここ最近、立木は助手や相棒を求めていたが、カオリにそういった仕事を任せる気にはなれなかった。機械の操作も、クライアントとの交渉も、事務仕事も、学のない孤児には荷が重すぎる。
「どうすればここに置いてくれる? なんでもするよ、私」
「お前は東京に行って金持ちになりたいんだろ? 俺と一緒に居る限り金持ちにはなれんぞ」
カオリはしばし黙り込んだ。立木との交渉を諦めたわけではなく、説得の手段を必死に考えているのである。
立木はこれまで、カオリを十歳前後と見当を付けていたが、栄養状態の劣悪さ故に成長が遅れており、実年齢はもっと上なのかもしれないということに気づいた。しかし、だからといって子どもである事には変わりはない。カオリが立木に対して役に立てる事など何も無い。
「明日までに行き先を考えておけよ」
立木は席を立ち、次の仕事の準備を始めた。
ガレージの機材をチェックしつつ、立木は今日自分に投げかけられた様々な言葉の意味を反芻する。「孤独がつらくなったか」「いい拾い物をした」。何となく、現在立木と姉弟がおかれている奇妙な関係の、そこへ至った理由の核心を突いているような気がする言葉だが、しかし実際のところ良くわからない。
立木は作業の手を休めず、頭の片隅で今日の自分の行動を顧みる。なぜ馬鹿正直に姉弟を自衛軍領へ連れて行ったのだろう。なぜ事務所へ再び連れ帰ってしまったのだろう。どこかの街に置き去りにすれば良かった。今すぐにでも、姉弟を叩き出すなり殺すなりしたほうがいい。しかし、そうすることは出来なかった。
立木は自分のことを心の狭い男だと認識しており、子どもを甘やかすような手合いではないと思っていたが、今ここに至ってもしかしたらその自己分析は誤りであるのかもしれないと考え始めていた。
立木は大人の男だが、普通の大人よりも自分たちにほど近い大人だ、とカオリは感じ取っていた。普通の大人なら、浮浪児が家に居着けば殴ったり蹴ったりして追い出すだろう。立木も仕事柄、人間を殴ったり蹴ったりする事が多いはずだが、しかしカオリ達に手を上げる事は無かった。
押し入った家の住人に返り討ちにあって殺された父と、どこぞのならず者にトラックごと大砲でバラバラにされてしまった母。カオリは、両親のような惨めな死に方をするのは嫌だった。なんとしても立木を懐柔して、この生温い生活を維持しなければならないと決意していた。
タダシは状況を理解しているのかいないのか、缶詰を満腹になるまで食べ尽くすと、残った固形レーションを上着のポケットへぎゅうぎゅうに押し込んで、速やかに立木のいるガレージの方へ消えていった。KRVを間近に見られるのがよほど嬉しいのだろう。
カオリはふと思いついた。立木に頼んでタダシをKRVの殺し屋に育ててもらおう。殺し屋になれば、飢えることも、怖い大人に暴力を振るわれる事もなくなるに違いない。
体で懐柔できなくとも、打つ手はまだある。カオリは腹案を秘めて、今夜の準備に取り掛かった。
まず、街への道のりを記した地図を求めて、カオリはガラクタが折り重なった立木の机を乱暴に漁りだす。そして、ふらりと体を傾がせ、机にもたれかかった。
カオリの首筋には発疹が浮かび、発熱と頭痛で額に汗が浮かぶ。彼女は立木と出会う少し前から体調を崩していた。
カオリは何度も激しく咳をしたのち、欠乏した酸素を求めて喘ぐ。
「お母さん」
カオリは思わず亡き母に助けを求め、しかしすぐに我に返った。
病気など、金さえあればいくらでも治療できる。病気なんて怖くない。カオリはそう自分に言い聞かせ、準備を進めた。
翌日の朝。
姉弟の姿は、立木の知らぬうちに事務所から煙のごとく消えていた。
いつもの、がらんどうの日常が立木の元へ戻ってきたのだ。
立木はいつものようにタブレットをチェックし、シンプレックスから割り振られた仕事を確認する。メールクライアントには、自衛軍からの緊急の依頼が届いていた。
先日の、立木と富士駐屯地士官との支払いを巡る突発的なトラブルは、シンプレックスとの信頼関係や他の駐屯地に対するメンツから、事が公になる事を望まない自衛軍将官達によって握りつぶされていた。立木がシンプレックスに対する報告をあえて怠り富士駐屯地の不実を黙殺した一方、富士駐屯地も立木に喧嘩を売った士官を銃殺刑に処したことで、両者の貸し借りは相殺されたのである。
立木は装備を整えると仕事へ赴いた。