#37 回禄4
立木の事務所近隣が一望できるビルの屋上。
そこへ身を潜めていた枯野は、夕映会の下請け野盗へ納品したKRVの様子を観察していた。
「オートマトンは時間通りに起動したね」
野盗のR-27やモノが放物線を描きながら次々と立木の事務所敷地内へ頭から飛び込んでいく。墜落する寸前に姿勢を直立させて脚部で着陸しているのだが、そのような乱暴な機動を行えば当然搭乗しているアビエイターは無事では済まない。アビエイタージャケットをきちんと着用していたとしても、脳挫傷や頸椎の骨折などといった重傷を負う恐れが高い。
この自滅的な機動は搭乗者の操縦によるものではない。枯野とその一味が米軍の支援を受けて開発している無人兵器管制システム“オートマトン”の仕業である。
オートマトンはソフトウェアのみで構成されており、通常の通信システムとオーバーライド機能を持つKRVであればどのような機種にも搭載が可能である。
枯野は野盗にオートマトンを搭載したチープKRVを安価に売りつけ、実験台としたのである。
枯野の傍に控える村田と吉野も食い入るようにタブレットのディスプレイを見つめていた。無法者の野盗とはいえ、何十人もの人間をビジネスのために死に追いやっているのだ。目の前の惨状に無関心ではいられなかった。
突如として眼前に落下してきた襲撃者のKRVの奇妙な振る舞いに、矢野たちは困惑した。
棒立ちで延々と機械的に射撃を行ったり、ふらふら意味のない機動を行っていたかと思えば急に最大推力で体当たりを敢行したりと、意図が読めない。
更に味方であるはずのテクニカルに対してまで攻撃を行い始めた。
<少尉、とりあえずはいったん引いて! 瓦礫とかの遮蔽物に身を隠して!>
小林の声に押され、矢野は41式を後退させた。ホイール滑走で崩落した倉庫の側面に回り込むと、姉弟の運転する運搬車もそこに身を潜めていた。
矢野は手汗をシャツで拭い、深い息を吐く。戦闘の恐怖と興奮でこわばった手足を、狭い操縦席の中で限界まで伸ばす。
矢野は五体無事で生き延びている幸運を心中で噛み締めたが、一方で、地面と大気を揺るがす砲声や爆発音は途絶えることなく間近に響いている。小林と立木はいまだ野盗たちと戦っているのだ。
脱出のタイミングを伺うにしても、この乱戦状態では周囲の状況を図ることは難しい。事前に打ち合わせしているわけでもないので、どのような経路で、いかにして逃走するかなど矢野には見当もつかない。
そして、それは立木も同じであった。
立木の41式改は事務所近傍の上空を巡行し、自滅的な突撃を繰り返すチープKRVを蹴散らしている。立木は豹変した襲撃者のKRVに困惑しつつも、着実に標的の数を減らしていった。連携や戦術を放棄したKRVほど脆い兵器は無いのだ。
「潮時ってことはわかってはいるがな」
立木の41式改のみであれば、襲撃者たちから逃走することは容易いだろう。小林の41式はもちろん、もしかしたら矢野の41式であっても、逃げに徹すればこの戦場から生きて逃れることは可能かもしれない。41式の機動力に追随できる装備を襲撃者たちは有していないからだ。
しかし、この地は立木が蓄え築き上げてきた財産がある。襲撃されたからといって易々と明け渡してしまえば傭兵としての名声に傷がつく。
それに、立木は今、独りではない。姉弟に施した教育や食費などの投資を回収するまで、彼らを失うわけにはいかないのだ。
矢野や小林、そして姉弟が全員そろって無事に脱出するチャンスは、襲撃者が血迷っている今しか無いかもしれない。
立木は乗機のステータスを確認する。大きな損傷は無い。バッテリーの消耗は半分ほど。しかし弾が二割ほどしか残っていない。良い状況ではない。しかし最悪というほどでもない。
つまり、打って出るには最適なタイミングということであった。
矢野はなけなしの勇気を振り絞って銃火に身をさらしたことを後悔していた。己が参戦したからと言って状況が好転することはなかったし、むしろ自ら逃げ道を塞いでしまったようにも思えたからだ。
だが、己の意思で引き金を引いてしまった以上、戦うより他は無い。
レーダーディスプレイ上には小林の41式にわらわらと集る敵機が表示されている。横のモニターへ目をやると、姉弟が搭乗している運搬車があった。
矢野は半壊した倉庫の陰に身を潜めて一息ついているが、ここでじっとしていた所で死を待つばかりであることは彼にも理解できた。銃火の嵐に晒され凸凹に波打っていた41式の装甲は徐々に復元しつつある。バッテリーもわずかずつではあるが回復していた。
再び小林に加勢し、敵を倒す。これ以外に矢野と姉弟が助かる道はない。
矢野は震える手で操縦桿を握りしめ、覚悟を決める。
「小林軍曹、僕も援護を……」
言葉を遮るように轟音が響いた。間近だった。
矢野の41式と姉弟の運搬車の間に、爆炎が立ち昇った。
音と光。衝撃と熱。
不意を打って襲ってきた諸々の衝撃に、矢野の視界が真っ白に染まった。
頭が熱さや痛みを感じるよりも先に、体が反応する。矢野は碌に前も見えない状況で、トリガーを引いて四方八方に30ミリ機関砲を振り回した。恐慌状態に陥った矢野は、脊髄反射的に操縦桿を最大に倒したままペダルを底まで踏み込む。
矢野の41式は発砲しながら高速でスピンしたことで体勢を崩し、勢いよく事務所の残骸へ突っ込んだ。
41式は無造作に投げられたラグビーボールのように瓦礫の上を跳ね、最後はトタンと鉄骨の山に沈む。
アビエイタースーツを着ていない矢野は、操縦席の中で撹拌された衝撃で前後不覚に陥っていた。霞かかった視界に、矢野の41式を追って現れたならず者たちのKRVの機影が見える。
矢野は朦朧とした意識の中で、自分はここで死ぬのか、と考えた。死とは、あまりに突然訪れるものだということを、ここ数日の血なまぐさい日々の中で彼は思い知っていた。
モニターの向こうでは姉弟の運搬車がR-27の12.7ミリ機銃の銃火に晒されている。運搬車はぎこちなく車体を切り返しながら逃走を図るも、銃撃の嵐の中で装甲が撓み、左の後輪が脱落したことで、動かなくなった。
矢野がレーダー画面に目をやると、敵機を示す無数の輝点が小林の41式を押し切ってこの場に押し寄せてくる様が確認できる。
このままでは小林も姉弟も死ぬだろう。
どうせ死ぬなら、という捨て鉢な決意が矢野を奮い立たせた。
「カオリちゃん! タダシくん! 逃げるぞ!」
ヘッドレストの通信機に矢野は叫んだ。スピーカーからは、機関銃の銃弾が降り注ぐ鈍い騒音と、カオリがすすり泣く声が響いている。
矢野はひっくり返った41式の姿勢を復帰させると、運搬車を攻撃しているR-27を30ミリ機関砲でハチの巣にした。
「軍曹、聞こえてるか! すまない! 僕たちでカオリちゃんたちの盾になろう!」
<……まあ、全滅よりはマシですね。仕方ないです>
燃え盛る倉庫の向こうより、小林の41式が群がるKRVと車両を蹴散らしながら現れた。ボロボロの運搬車の傍らに立つ。小林の41式もまた無数の弾痕に穿たれ満身創痍であった。
「軍曹は先陣を切って、運搬車の道を切り開いてくれ。山の方にでも向かえば隠れる場所はあるだろう」
矢野の41式がホイール滑走し、運搬車の後背についた。
「僕はしんがりをやる。盾になるくらいしかできないけど」
矢野は防盾を構えながら、迫る敵機を機関砲で迎え撃つ。素人のおぼつかない照準でも、回避を諦めてじっくり狙えばそれなりの命中精度にはなる。オートマトンに乗っ取られ出来の悪いラジコンと化したチープKRVならばなおさらだった。
すでに矢野の脳裏からは殺人への忌避感は抜け落ちていた。殺しに慣れたわけでも、道徳観を改めたわけでもない。ただ追い詰められて他人の命を慮る余裕を失っているだけであった。しかし手を血で汚すことを厭わないこの行動だけが、子供を生かすという、あまりにも戦場にそぐわない綺麗ごとを押し通す唯一の方法であることは確かな現実であった。
矢野と小林に急かされ、カオリがアクセルを踏む。三輪になった運搬車は左右にグラつきながらも辛うじて走りだした。砕けたアスファルトの上を危なっかしく踏み越え、駐車場の出入り口を目指して進む。
タブレットの画面をのぞき込んでいた枯野は、ため息をついた。
「これじゃあセントリーガンを積んだテクニカルと大差ないね」
矢野に撃墜される程度の機動しかできないならば、既存の自動操縦システムとまるで変わらない。オートマトンの本領は規格の異なる兵器同士による高度な群制御にあったが、データリンクを行う機体数が多すぎると指数関数的に処理する情報量も膨張し、システムへの負荷が急増する。その結果としてオートマトンの制御下にある全ての機体のパフォーマンスが一律に低下してしまうのだ。
「じゃあ実験は失敗ということっすか」
目の前の惨劇から早く逃れたい村田は、実験中止を期待しながら枯野に問う。
「それじゃあスポンサー様が納得してくれないんだよね」
枯野は村田や吉野の心中など気にも留めず、微笑みながらタブレットに表示されているオートマトンのパラメータを書き換えた。
「実験のハードルを下げようか」
枯野はオートマトン管制下にあるKRVの機数を絞った。制御する機数を減らすことでシステムの負荷を軽減し処理速度を向上させるのだ。
オートマトンの支配下から解き放たれた多数のKRVは、停止してその場に立ち尽くすか、もしくは転倒して動かなくなった。
一瞬、戦場に静けさが訪れる。しかしそれは本当に僅かな時間に過ぎなかった。
矢野たちの頭上に滞空して無造作に機関砲を放っていた数台のKRVが、不意に墜落して瓦礫の上を転がった。続いて、運搬車に追走する形で行く手を阻んでいたKRVもバランスを崩し、明後日の方向へ慣性に流されるまま滑走して車道の向こうのビルへ突っ込んだ。
襲撃者の奇行に次ぐ奇行に矢野たちはただただ訝しむばかりであったが、しかしこれは僥倖であった。故障かバッテリー切れかは知らないが、敵が勝手に行動を停止してくれるならこれ以上のことはない。
矢野と小林に守られた運搬車はスクラップや弾痕を踏み越えて駐車場を脱出した。車道もまたテクニカルの残骸が散らばっており、それらを回避しながら三輪と化した大型車を運転することはなかなかに骨が折れたが、カオリもまた驚くべき胆力と集中力で運転を行い道を進んでいった。
矢野が後方モニターを確認すると、半壊した立木の事務所が燃え盛っている様が映し出されていた。
これなら小林も子供たちも、そして自分自身も生き延びられるかもしれない、そう矢野が希望を抱いた瞬間、捕捉警報が彼の甘い考えを打ち砕いた。
被弾の金属音とともに、小林の41式の左腕部がモーターハンマーもろとも吹き飛ぶ。
矢野は焦らず即座にレーダー出力を最大にし、全方位に索敵を行う。運搬車がスリップして蛇行する。後背の雑居ビルに小林のモーターハンマーが突き刺さった。
レーダー画面をのぞき込む矢野は、上空から数台のR-27とモノに接近されているということを認識する。そしてその次の瞬間には、彼の41式は機関砲の豪雨に見舞われた。防盾を構えたまま走行していたのは不幸中の幸いであり、それにより矢野は数秒の余命を得た。
小林は被弾してバランスを崩しながらも果敢に右腕部のロケット砲で迎撃を試みるが、敵機はチープKRVとは思えない驚くべき俊敏さで回避する。敵機は回避機動のさなかにも、機関砲の照準を正確に矢野の41式へ合わせ、発砲し続けた。
ついに矢野の41式の防盾が紙屑のように吹き飛ぶ。
案の定か、無駄な悪あがきだった、現実なんてこんなものか、と矢野の心中には取り留めもない思いが浮き上がっては消えていった。矢野は自分でも驚くほど冷静に己の死を俯瞰していた。
機関砲の砲弾が脆弱な41式の装甲を突き破り、矢野の肉体を血煙と化す前の、ほんのわずかな一瞬の間。矢野の脳裏をよぎったのは、走馬灯でも敵への怨嗟でもなく、後悔だった。
(もう少し運搬車から距離を取るべきだったな)矢野の41式は運搬車の盾となるべく、そのすぐ後ろに張り付いていた。そのため、己が撃破された際の爆発に運搬車を巻き込んでしまう恐れがあった。それは矢野にとって不本意なことであった。
矢野は遺言として何か気の利いた言葉を探したが、そんな時間は残されていなかった。だから、矢野は一言だけ心の中で呟いた。
「ごめん」
矢野は目を瞑り、死を待った。
そして幾つもの爆炎が天を突いた。
KRVの破片が四方八方に飛び散り、周囲の廃墟を打ち砕く。
カオリは轟音と振動に晒された運転席でハンドルを固く握りしめながら丸まっていた。
渦巻く黒煙が小林の視界を覆いつくす。
そして次の瞬間、濃緑の残像が黒煙を蹴散らした。
<勝手に死なんでくれ。護衛の仕事が無駄になるだろ>
レールガンを構えた濃緑のKRV、すなわち立木の41式が、防盾を喪失してひっくり返った矢野の41式の眼前に舞い降りた。




