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#4 枯野塩焼其余

 翌朝。立木は姉弟を連れて運搬車で外出した。

 目的地は、シンプレックスの事務所と銀行、KRVの修理業者、そして国連の難民キャンプである。立木は真っ先に姉弟を難民キャンプへ行くつもりであったのだが、キャンプは国連の管理下にある横浜にあり、遠すぎるために後回しとなった。

 シンプレックスの事務所は自衛軍と警察軍の緩衝地帯に栄える港町にある。この街は地域の物流の要所であり、各勢力の利害が複雑に絡み合っているため、この戦時下にあっても外部からの攻撃から免れていた。また、港町のインフラや軍備は、市政の依頼にてシンプレックスが維持を行っており、そういった点からも各軍閥による手出しが防がれていた。

 市街地へ巨大な運搬車で乗り付けるのは困難であるため、一行は運搬車を町外れのパーキングへ停めて、徒歩にてシンプレックスの事務所へ向かう。姉弟は運搬車に残しておいても良かったのだが、タダシが勝手に機械を触ると困るため、立木は二人を同行させた。

 市街地の中心にある三階建てのオフィスビル。ここにシンプレックスの窓口である事務所は構えられていた。

 シンプレックスとは2021年に海外自衛隊のOBと在日米軍が合流して創設したPMCであり、日本政府と独占契約を結ぶことで半民半官の防衛組織として活動していた。出動に際し諸々の面倒な法的手順を踏む必要が無く正規の自衛軍より小回りが利くことから、対テロ制圧作戦などの即応性が求められる戦闘へ特に投入されることとなった。シンプレックスの戦闘要員は、正規人員であるプロパーと、外部委託人員のベンダーに分けられており、低強度紛争におけるローリターンな破壊工作などはおおむねベンダーが担っていた。

 なお、陸海空三軍と外自は様々な歴史的背景によって対立しており、必然的に外自の外郭団体であるシンプレックスもまた三軍と敵対的な関係にあった。ただし、日本の統治機構が軍閥に取って代わられた現在では、陸海空各軍も積極的にシンプレックスを利用するようになっている。

 シンプレックスの事務所の来客用スペースは、五つほどの受付カウンターと、待合用の長椅子、そして無造作に隅へ置かれた観葉植物という、至って堅いオフィス然とした造りとなっており、PMCという荒々しい業種とそぐわない神経質な雰囲気がある。孤児姉弟は入り口付近のベンチでペットボトル入りの清涼飲料水を啜っており、そんな二人の横には託児所まで設けられていた。

 ベンダーは依頼者から契約満了を示す書類を受け取り、それをシンプレックスの窓口に提出する事で報酬を得るというシステムになっている。立木はいつものように受付の男に自衛軍から受け取った書類を提出し、振込作業が行われるまでカウンターで待っていた。事務所の奥でオペレーターが手続きを行っている間、立木は顔なじみの受付担当者ととりとめも無い雑談を交わす。

「そういえば、立木君は最近“あずまや”には行ったか?」

「いや、この間、いろいろあってな……」

 言葉を濁す立木。あずまやとは、立木のような静岡県東部を拠点とするバウンサーの社交場となっている飲み屋のことである。先日、立木はその“あずまや”で揉め事を起こし、それ以来顔を出していなかった。

「あそこの大将に聞いたんだが、最近どうも自衛軍内で“夕映会”なるやばい派閥が幅を利かせてるらしいな。傭兵潰しの過激派らしい」

 おしゃべりな受付担当者はカウンターから身を乗り出し、訳知り顔で立木にささやいた。

「どうだね、知っているか? 同業の間じゃ結構な噂になってるようだが」

 先日の富士駐屯地における“ちょっとしたトラブル”が頭をよぎった立木は、そういうこともあるだろう、とだけ返した。シンプレックスなどのPMCを疎む軍人が多いのは、傭兵ならば誰でも知っている話である。

 立木のすげない反応にもめげず、担当者は力説する。

「立木君も知っているだろうが、自衛軍は一枚岩ではない。今のところ、ベンダーPMCは有効利用すべき、と考える者たちが多数派ではある。しかし、そうは考えない者たちも少なからずいる」

 受付担当者が言うには、反シンプレックス派閥は弱小ながら、派閥という程度の力は有しているとの話である。

 立木は、先日の仕事で武装難民に自衛軍の戦車が随行していた事を思い出す。あれは武装難民を護衛していたわけではなく、武装難民をエサにして立木を待ち伏せていたのかもしれない。立木は事の次第の深刻さを理解した。

「仕事を受注するときには充分に気をつけたまえよ」

 PMCという職業は、結局のところ単なる軍隊の下請け業者に過ぎないわけであるが、日本失陥以降は需要の増大によってその社会的地位が大きく向上した。正規軍の一兵卒より、ベンダーの方が格上であると見なされる時代になったのだ。当然、そういった風潮を不本意に思う者は大勢いる。

 振込手続きが完了し、立木は証明書を受け取ると席を立った。入り口のガラス戸の向こうに目を向けると、姉弟が空になったペットボトルを意地汚く舐め回している。放っておくとベンチ脇のゴミ箱まで漁り始めかねないため、立木は二人に声をかけて早々に移動することにした。

「立木君が子供を拾うとはな。孤独がつらくなったか?」

 返答に窮した立木は、ただ背中越しに手を振ってその場を後にした。


 次に立木は銀行で現金をおろした。これは生活費である。

 デフォルトに至っていてもおかしくないほど市場経済が崩壊した日本において、なぜ未だに円が価値を失っていないのかというと、金融の何らかのマジックによるものであるらしいが、詳しい事は立木にはわからない。

 現代の日本の産業の構造はいくつかの巨大財閥に集約されており、それらが自衛軍や警察軍のスポンサーとして今なお膨大な額の金を動かしている。自衛軍と警察軍の出資者は同一であり、両者の相克はある意味においてマッチポンプであった。上陸軍の脅威が終息した暁にはすみやかに日本政府が再建される手はずとなっていたのである。そういった事情により、海外の投資家や資本家からは日本の市場は今でも価値を失っていないと目されていた。

 ただ、すでに現状に対応した権益が各所で形成されており、平時体制への復帰は容易なものとはならないだろうとも言われている。


 一行は運搬車に搭乗して街の外れにあるKRVの修理業者へ向かう。

 修理業者は国道沿いの小さなサービスエリアを不法占拠して経営しており、二車線を占領するほどのサイズを有する運搬車でも十台は停められる規模の駐車場があった。入り口の看板には“枯野KRVサービス”という屋号が記されている。

 立木は事務所の応接室に入り、手続きを行った。

 他の来客があったのか、応接室にはタバコの匂いが若干漂っていた。立木は基本的に酒もタバコも薬もやらないが、そういった節制を実践している傭兵はごくわずかである。

「メールの通り、整備と調整は二、三時間で終わるけど、弾薬の入荷は一週間くらい待ってくださいね」

 修理業者の男が書面を立木に渡し、説明する。

 修理業者の男は若く、立木より年下に見えた。その背格好は貧相で、薄汚れたツナギを纏っており、一見して末端の一般職員然としているが、彼こそがこの小さな修理工場の主人である枯野その人であった。枯野KRVサービスには他に従業員がいないため、彼は作業員や事務員までも兼任していた。

 KRV関連業者は、様々な兵器や弾薬を扱う業務ゆえ軍隊や野盗に狙われやすく、自衛のために大所帯となりがちである。しかしこの街はシンプレックスの庇護下にあるため、たった一人でも安全に修理業を運営する事ができるのである。

 枯野は大手のワークスと比して特段優秀な技術を有しているわけでもなかったが、しかし誠実ではあった。近年の大手KRV業者は、オーナーに無断で機体のソフトウェアへバックドアを仕込むなどの工作を半ば公然と行っており、立木のように立場の弱い個人傭兵からは忌避されている。その点、枯野は朴訥で、ともすれば愚鈍なその人柄から、仕事ぶりを信用する事ができた。

 ただ、枯野は少し気が狂っていた。

「ああ駄目だよヒトミ、その書類は最後に渡すヤツなんだ!」

 枯野は自分の左手が差し出している紙束を右手で取り上げ、封筒に仕舞う。

「すいませんね、うちのヒトミは少しせっかちなんで」

 封筒をファイルに挟むと、枯野は屈託のないほがらかな笑みを立木に向けた。

 立木は出されたコーヒーを啜りながら、気にするな、とだけ応える。二人は四年前にシンプレックスの紹介で出会って以降、毎回同じやりとりを繰り返していた。

 この小さな整備工場には、枯野にしか見えないスタッフが何人かいる。それらは枯野の友人であったり、親族であったり、あるいは恋人であったりした。

 枯野は幻の団欒の中で、大好きな機械いじりを生業に、幸福な人生を送っている。


 カオリは今まで自分たちが生きていた世界とは全く異なる光景を幾度も目の当たりにし、圧倒されていた。

 路上生活者も武装したならず者もいない大通り。破壊されることなく商品も供給されている自動販売機。清潔な衣服を身にまとった裕福な人々。現在の日本ではほとんど見られなくなった平和な街並み。汚泥の底を這いまわる貧しい人々が立ち入ることを許されない、隔絶された世界である。

 とはいえ、このような戦前を思わせる穏やかな光景を見ることができるのは、街の中心部のみである。元住宅街などの外縁部では、やはりバラックが軒を連ねた貧民窟が形成されている。人買いや麻薬の売人などもその貧民窟へ拠点を構えており、シンプレックスと対立していた。

 カオリは、仲間と共に目指していた“とうきょう”なる金持ちの街を思い出す。カオリの母は、その街で真っ当な職に就けば貧しい生活から抜け出せると姉弟に語っていた。“とうきょう”は、今日、自分が訪れているこの街よりも大きく豊かであるのだろうか。カオリは茶請けに出されたアラレを口いっぱいに頬張りながら、遠い楽園に想いを馳せた。


 立木は事務所の応接室で整備の完了を待つ。

 この枯野KRVサービスの事務所は、立木のスクラップヤードじみたセーフハウスとは真逆で、清潔で整然としていた。吹き抜け構造の二階建てで、一階が応接室となっている。応接室はテニスコートの片面ほどの広さがあり、ソファやガラス板のテーブル、本棚、観葉植物などがセンスよく配置されていた。壁面の駐車場側はガラス張りで、床は木製のタイルが敷かれ、天井には巨大なシーリングファンまで設けられていた。

 しかも、それらの調度品の全てがピカピカに磨き上げられている。整理整頓の手は駐車場や倉庫の中まで行き届いており、高級な飲食店や宿泊施設、あるいはモデルハウスを思わせる、ある種病的なまでの潔癖さがこの事務所にはあった。

 一方で、枯野自身には潔癖性の気は感じ取れず、むしろ身だしなみや立ち振る舞いに無頓着な、粗忽でだらしない印象があった。そんな枯野が一人でこれらの美観の維持を行っているとは信じ難い話ではあるが、立木は無用な詮索をすることはなかった。そういった適切な距離感が、狂人とはぐれものの傭兵の信頼関係を四年間にも渡って良好に保ち続ける理由となったのである。

 立木は手元のカップが空になったことに気がつく。姉弟は菓子を貪るのに夢中で、二人に出された湯のみの緑茶は減っていないようであった。立木は自分のカップのみ手にし、席を立つ。

 立木は思いのほか姉弟が大人しい事に内心胸を撫で下ろしていた。

 教育を受けていない野良犬のような子供を連れまわすのは不安ではあったが、緊張しているのか殆ど口もきかずソファに座ったままでいる。出された茶や菓子を一瞬で全て口の中に放り込み、咀嚼している点については、立木は目を瞑ることにした。

 カウンターの中に入ると、立木は勝手にコーヒーサーバでコーヒーを淹れる。シロップを大量に投入し、ソファに戻る。そして、タダシがいないことに気がついた。

「タダシはどうした」

「あっち」

 カオリが事務所の向かいのガレージを指差した。


 食えるものは全て食いきったタダシは、事務所のガラス窓越しに見える倉庫を目ざとく発見し、何のためらいも無くそこへ侵入した。

 タダシは幼い頭脳に好奇心をみなぎらせて、まともな感性の人間であれば怯むような巨大で禍々しい戦争機械の足下へ駆け寄る。KRVや整備運搬用の重機が立ち並ぶ薄暗い倉庫は、無邪気なタダシにとって巨大なおもちゃの王国に見えていた。

「KRVは好きかい?」

 いつの間にか、タダシの横には枯野が立っていた。オイルで汚れた顔には慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいる。作業中であったのか、その手には巨大なレンチが握られていた。

 タダシは枯野を見上げて瞳をしばたたかせると、おもむろに倉庫の最も奥に横たわる機械を指差した。

「あれもKRV?」

 タダシの指し示した機械は、奇妙な形状を成していた。一見するとKRVが四つん這いになったようにも見えるが、通常のKRVとは異なり腕部にもホイールが配置されている。そのためKRVにも四輪車両にも見える、おかしな見てくれとなっていた。

 タダシは機械に対して直感的な洞察力をもっており、一見しただけで目の前の機械がいかなる用途で製造されたのかを理解する事が出来る。例えばKRVを見れば、その機種の具体的な性能諸元の知識がなかったとしても、攻撃用なのか支援用なのか、素早いのか鈍重なのか、頑丈なのか脆いのかを朧げに推測することができた。しかし倉庫の奥の機体は、タダシの眼力をもってしても、何の意図を持って製造されたのか予測がつかなかったのである。

「あれは車輪が四つあるだろう? ってことはただの車だよ」

 枯野の言葉にタダシは納得した。KRVとして運用するとしたら、四つん這いでは火器が保持できないため役に立たないが、単なる車両ということであれば何の問題も無い。

「僕のための、世界で一台きりの車だ」

「おしっこ!」

「あっちにトイレがあるよ」

 タダシは倉庫の隅に設けてあるトイレへ向かって走り去った。

「タダシが迷惑をかけたか」

 タダシの背を見送る枯野の傍らに、立木が現れる。

 枯野は立木と目を真っ直ぐに合わせた。

「立木さんはなんであの子たちを拾ったの?」

「なんでって……、何が?」

「立木さんって孤児を拾ってやるような人だっけ?」

「いや、それはなりゆきで」

 立木は虚をつくような枯野の質問にうろたえた。

 枯野は言葉を濁す立木を見つめる。白んだ無表情。枯野の瞳孔は開ききっており、そのガラス玉のような眼には立木の困惑した顔が映し出されていた。

 何らかの堪え難い情動が、この枯野という狂人の内に荒れ狂っていることを立木は察する。枯野が握りしめる巨大なレンチを目にし、立木は後ずさった。

 枯野の顔に亀裂のような笑みが浮かび上がる。渦巻く狂気が膨張し、内圧に耐えかねた顔面が裂けたかのように見えた。

「待て……」

「凄いよ、さすが立木さん! どこでアレ、拾ってきたの?」

 枯野は耳を劈くような歓声を挙げた。立木は身をすくめる。

 倉庫や近隣の廃屋に営巣している小鳥が一斉に飛び立った。

「あの機体に目をつけるなんて、大した嗅覚だよ。あの年齢で!」

 何が凄いのか、あの機体とは何のことなのか、立木には見当がつかなかったが、枯野の勢いに押されてただ首肯する。

「いい拾い物したねえ!」

 枯野は上機嫌でスパナを振り回し、作業に戻っていった。

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