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#33 狂言廻しの夜

 夕闇が廃墟に覆いかぶさる時間帯。

 自衛軍領に隣接する、かつて市街地だった貧民街の一画。そこにひっそりとたたずむ四階建ての小さなビジネスホテルは、一見すると周囲の家屋と同じく無人の廃墟のようであったが、しかしよくよく観察すると扉や窓にきっちりと施錠がしてあり、余人が入り込む隙が無かった。発電機や貯水タンクも倉庫に偽装されて設置されている。

 そのビジネスホテルは夕映会の拠点の一つであった。

 外に蛍光灯の明かりを漏らさないよう、窓を厚手のカーテンで覆った客室。そこに東田はいた。

 東田は軋みを上げる安物の椅子に腰かけ、机の上のガラス瓶と対峙している。長大なピンセットで小枝をつまみ、ガラス瓶の中の小さな竜骨に組み込んだ。

「東田さん、そろそろお時間です」

 控えていた部下が告げると、東田は組み立てていたボトルシップの上に布をかけて席を立った。


 夕映会は自衛軍打倒に向けて次なる一手を打つため、幹部たちによる会合を行うこととした。

 東田がビジネスホテルの小さな会議室に踏み込むと、そこには夕映会を構成する幹部たちがすでに席へついて待っていた。

 特に前置きもなく、東田は二つの議題をホワイトボードに書き出した。一つは“現状報告”、そしてもう一つは“次の祭りの段取り”である。東田は長机の上座に座ると、幹部たちに話し合いを促した。


 夕映会の現状としては、やや疲弊した状態であると言える。

 先だっての富士の大規模テロ行為は、自衛軍に大きな打撃を与えることには成功したものの、一方で夕映会にとっても無為に戦力を消耗する徒労に等しい作戦であった。

 あの、目標らしき目標もない、ただ漫然と暴れるだけの作戦とも言えない暴動は、夕映会を構成する各派閥間の利害を調整した妥協の産物である。自衛軍の反乱分子に警察軍シンパ、上陸軍から派遣されてきた工作員、地元の武装組織、戦争を渇望する傭兵崩れなど、個々に利益を追求する纏まりのない集団が結束するためにでっち上げられたのが“自衛軍からの解放”というお題目であり、その張りぼての看板を錦の御旗とする夕映会は結局のところ泡沫武装勢力の寄り合い所帯に過ぎなかった。本気で自衛軍から権力を簒奪する方策を考えるとなると、誰が主導権を握り誰が矢面に立つかで必ず内紛が起きて分裂してしまう。だから誰もが最終目標を語ることを避けつつ武力行使の手段のみを提案し続け、手段と目的が逆転した杜撰な作戦が強行されたのである。

 こうして自衛軍からの解放という本来の目的を見失ったままなんとなく決行されたテロ活動は、結果として多くの人命をただ無意味に消耗するばかりに終わった。

 だが、それで良いのだ。

 武力行使によって生じる様々な副産物こそ、夕映会の構成組織の利益となるのだ。

 兵器の需要増加や領土の簒奪、各武装勢力の力関係の変動。それら細々とした社会的混乱が、ここにいる幹部たちの懐を温めるのである。

 東田としても、収容所の難民を私兵に取り込むという、とりあえずの目標は達成した。難民という身分もしがらみも無い人材は、工作員として非常に使い勝手が良い。過去の記録が存在しないために身元が割れることもなく、不要になれば簡単に切り捨てられる。どこにいてもおかしくないし、いつ消えても誰も気にしない。その身軽さゆえに裏切られるリスクも高いが、そこは雇用主の度量次第だろう。

 大規模テロの実施によって得られた結果は、個々の構成組織の利益に関して言うならば概ね見込み通りのものであった。


 次なる作戦の予定に関しては、あまり見通しは立っていない。

 自衛軍側の警戒が非常に厳しくなり、資金や物資の確保に難儀するようになったためである。そのため各勢力にスポンサーを募っているのだが、状況は芳しくはなかった。

 まずは自衛軍と対立関係にある警察軍へ、治安隊を遣わして支援を求めているのであるが、色よい返事は貰えていない。

 自衛軍からの脱却を求めている東京政府にも声をかけたが、当然反動勢力に与するはずもなくすげなくあしらわれた。そもそも夕映会は逃げ得組がオリエンタルフロント構想へ食い込むために創設した組織であり、反“逃げ得組”派を中核とする東京政府が彼らに力を貸す理由はなにも無かった。

 また、自衛軍内への浸透も、市ヶ谷が夕映会対策に本腰を入れだしたことで最近は停滞しがちであった。

 浸透作戦は長い時間をかけて慎重に行うべきでものあるが、しかし夕映会内部の武闘派はこのようなかったるい動きを良しとしなかった。彼らは武力革命という分かりやすいドグマで組織内の秩序を維持しており、攻撃などの具体的行動で意識を統一しなければ容易に瓦解してしまう脆弱な派閥だった。同時に、彼らの背後には有力な武器商人がケツモチで控えており、夕映会内部でも無視できない発言力を持っていた。

 武闘派は現状の資材でも大規模な攻撃作戦は可能だと主張し、万全を期したい慎重派と対立した。会議は割れたが、結局のところ先立つものが無ければ身動きは取れないということで落ち着き、武闘派勢力は東田が取り込んだ難民のネットワークを用いて各勢力に対し散発的な略奪を行うということに収まった。


 とりあえず夕映会の当面の活動指針としては、そこそこ影響力のあるポストについている人物たちの買収を進めるということに定まった。これは東田が治安隊を引き入れたことで、外部協力者の有用性が認められたためである。

 すでに布石は打っており、標的のピックアップも行われている。

 その標的の中には、情保隊の井上の名もあった。

「司令部の直轄で動いている情保隊を引き入れるのはさすがに無理では。そもそも彼らは矢野を匿って姿を隠しているのではなかったか」

 そういった意見が出たため井上に対する働きかけはいったん保留となった。

 しかし実のところ、東田はスパイである興田を通じて矢野たちの所在を知っていた。

 矢野たちを追撃して始末しなかったのは、情保隊に身柄を確保されているためである。矢野たちを始末するのであれば、情保隊の握っている情報を引き出すか、あるいは情保隊を治安隊のように身内に引き入れてから行う必要がある。

 東田は矢野元大臣から小林だけでも始末しておくように命じられているが、今の段階で動くと情保隊に警戒されて余計に動きづらくなってしまうため、実行は見送った。

 どのみち、市ヶ谷にまで夕映会の存在を警戒されてしまっている現状では、矢野たちの存在は脅威にはならない。万が一、矢野や情保隊が血迷って自衛軍領へ帰ったとしても、領内の夕映会の協力者が対応するだろう。何にしても矢野たちへの対応の優先度は低いのだ。


 今回の会合には上陸軍のオブザーバーとして呉も参加していたが、彼の心中は、いかにこの泥船から足抜けするかという考えに占められていた。

 今や彼の属する上陸軍は大きく力を失い、空中分解しつつある。夕映会などという泡沫勢力に加担して悪あがきをしているのは、上層部の焦りの証拠だろう。

 そもそもこの戦争自体が、本土の七大軍閥が中央政府に丸め込まれて始めたものだった。初めから全ては定められたことだったのだ。中国人や日本人が大勢死んだことも、そして呉がこの島国の片隅で人生のどん詰まりに行き当たったことも、中央政府のシナリオ通りだったということだ。

 呉はシンプレックスの正規ベンダーとしての身分を有しており、上陸軍の連絡員という肩書を失っても生きていくことはできる。

 しかし、シンプレックスは上陸軍よりも自衛軍や警察軍に近い勢力である。軍閥を転向することは、とても大きな危険を伴う。上陸軍の後ろ盾を失えば、自衛軍や警察軍は容赦なく呉の命を狙うだろうし、その時シンプレックスは助けてはくれないだろう。

 目立たず速やかに上陸軍と夕映会から距離を取り、なおかつ今の社会的地位を維持するには、何とかして裏切者のレッテルから逃れなければならない。呉がやるべきことは多く、そのどれもが困難だが、遂行しなければ自分の命が危ういのだ。

「あずまやを頼るか」

 結局、人生のおけるあらゆる困難の解決の糸口は人脈にこそあるのだ。少なくとも呉はそう信じていた。

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