#23 諸教混淆
保障された明日というものがいかに得難いものであるか、大人であるのならば誰もが知っている話だ。
根無し草である立木もまた、それを求めて止まない者の一人であった。
真夏の夕暮れ時。潮騒が遠くに聞こえる。
自衛軍と警察軍の緩衝地帯に栄える港町の、その郊外のパーキングに立木は運搬車を停めた。
駐車場を見渡せば、安かろう悪かろうな日本製の大衆車に混じり、チラホラといかつい装甲車やテクニカルが散見される。これらは概ねベンダーの所有物である。市街へ乗りつけるのならば、巨大な軍用車両よりも小回りのきく一般乗用車の方が適してはいるのだが、襲撃や盗難のリスクを鑑みればやはり車両は頑丈な方が良い。
薄汚れた軍用車やみすぼらしい日本車に満ちた駐車場の、その奥の一角に、たった一台のみ台湾製の高級セダンが停められていた。その四方にはボディーアーマーを装着したガードマンが目を光らせている。これはいつもの光景であった。
繁華街をしばらく歩くと、駅ビルの地下へ向かう階段が見つかる。そこを降り、寂れて久しい地下街にたどり着く。その地下街の最奥に構える小汚い飲食店に立木は足を踏み入れた。
ここ “あずまや”は、静岡県東部地区に居を構えるベンダーの会合場所として利用されている居酒屋である。立木はこの“あずまや”へ仕事の打ち合わせをしに訪れたのであった。
店内はタバコとアルコール、そして油と吐瀉物の入り混じった匂いで満たされており、率直に言って食欲をそそるような環境ではないのだが、それでも多くの客でひしめいていた。安い、早い、まずい、が“あずまや”の経営方針であり、裕福ではない者たちにとっての居場所となっているのだ。
静岡県東部におけるベンダーの人数は、流動的ではあるがおよそ五十人前後となっている。これは需要と供給のバランスがとれた状態の人数であり、戦況の動静と連動した神の見えざる手により増減したりする。今は、先日の富士動乱にて若干名が死んだため、やや通常時より人数が少なくなっている状態であった。
地域のベンダーは横の繋がりがあり、仕事でかち合った際の取り決め(例えば、お互い機関砲を三斉射ずつ放って機体の損傷が大きい方が撤退し、報酬は山分け)などといった事柄を定める事で、ゆるい同盟関係を築いている。一種の組合的な側面もあり、戦死した際には遺族にいくら見舞金を出す、傷病や急用で依頼が遂行できない場合には代打を斡旋する、などといったシンプレックスに不足しているサービスを補完する役目も果たしていた。
そして“あずまや”は、そういったベンダー同士のつながりを維持し、情報を共有するための場であった。もちろん“あずまや”の客の大半は一般人であるため、クライアントやシンプレックスの契約条項における守秘義務に抵触するような情報を話題に出す事は出来ない。ベンダー業務に関する突っ込んだ打ち合わせを行うのであれば、シンプレックスの事務所に申し出て席を用意してもらう必要がある。
立木は肥満体の無愛想な女店員に拳銃やナイフなどの武器を預け、カウンター席につく。約束まではまだ時間があった。仕事を前にアルコールを摂取することは望ましくないが、だからといって何も頼まず座ることも許されないため、立木は仕方なくビールをカウンターの向こうの大男に注文する。
そのとき、立木の横に五、六人もの屈強な男たちがゾロゾロと現れた。先頭にいた男が立木の隣の席に腰掛け、ジロジロと彼の顔を睨め回す。そして爆笑した。
「よう、久しぶりだなロリコン傭兵。ビビってもう来ないと思ってたわ」
立木は横目で男を睨みつける。
「こいつさあ、女のガキを囲ってんのよ。ヤベーだろ」
この男の言うガキとはカオリのことだろう。男たちは立木を口々に嘲笑し、周囲の同業者たちに大げさな身振りで吹聴した。
立木に絡んで来た男の名は大岩といい、その好戦的で自信に満ちた言動に違わぬ優れた傭兵である。
現状、この静岡県東部におけるベンダーのスコアは、大岩と立木が並んで首位をマークしている。機械的に最低限のリスクとコストで仕事を処理する立木に対し、大岩は効率を度外視して、可能な限り惨たらしく、標的を、あるいは標的とは無関係な一般人をなぶり殺す悪癖があった。つまり、半ば遊びながらの仕事でも、大岩は立木と互角の結果を出しているのである。
この点を鑑みて、技術的には立木より大岩の方が一段格上であるという見方をする者は多い。しかし、大岩本人の評は真逆であった。大岩の目からすれば慎重に慎重を重ねる立木のやり方こそ非効率的で消極的であり、リスクマネジメントを放棄した際の立木の実力は底知れないものがあると考えていた。だからこそ大岩は立木を敵視し、執拗に攻撃しているのだが、しかし大岩の取り巻きの有象無象たちはそういった機微を理解できずただ無知のまま立木を嘲っていた。
もちろん立木も黙って言われるがままになるような男ではない。クライアントとの重要な打ち合わせを前にトラブルは避けたいものだが、傭兵が同業者に舐められるわけにもいかないのだ。
「“オカマ”らしい発想だな。いや、妄想か? インポはつらいよな、同情するよ」
立木はおもむろに立ち上がると、大岩を威圧的に見下して侮辱する。
「なあ、どんな妄想をしたんだよ。言ってみろ、カマ野郎」
立木には、こういう暴力の世界で生きている男としては珍しく“馴染の女”というものがいない。立木は収入をシンプレックスプロパー選考参加のため資金として貯蓄しており、女遊びに費やす気はなかったのである。そういう立木のことを同業者たちは“役立たず”などと言ったものだが、それは全て立木の抜きんでたスコアを妬んでのことであった。
一方、大岩は軍役時代に経験した様々な出来事により本当に不能となっており、それが理由で商売女たちからも軽蔑されていた。立木は大岩の触れてはならぬ部分を言葉で盛大に踏みにじったのである。
大岩は無言で立木に飛びかかるが、立木はそれをいなして顔面に膝を叩き込む。大岩はもんどりうって頭から吹っ飛び、いくつもの椅子を巻き込みながら派手に床を転がった。
「おい!」
大岩の取り巻きだけでなく、店内のほとんどのベンダーがいきりたち、椅子を蹴倒して立ち上がると立木へ敵意を向けた。ビール瓶や灰皿などの凶器を手にする者もいる。いささか軽率だったか、と立木は喧嘩を買ったことを少し後悔した。
立木はこの地域では比較的新参者である。それでも序列を無視してトップスコアをたたき出してしまったため、古株のベンダーから疎まれていた。そのために、つい先月、上位グループからはじき出された古参の傭兵から言いがかりをつけられて、最終的に決闘を行う羽目になってしまったのである。
また、立木がシンプレックスプロパーを目指しているという点も、ロートル達は気に食わなかった。シンプレックスプロパーは狭き門である。本来、シンプレックスプロパーは、エリート集団である海外自衛軍の中でも更に上位数パーセントが熾烈な選別に晒されて、最後に生き延びたものだけが得られる名誉あるポストなのだ。新参がその競争に割り込もうなどというのは増長に過ぎる、というのが古参の傭兵たちの考えであった。
実際のところ、立木はこの地へたどり着いた時点で四国から中国地方における激戦区を戦い抜いた歴戦のアビエイターであり、ルーキーなどという揶揄は的外れもいいところであった。立木に挑んだ古参の傭兵はやはり凄腕ではあったが、立木はそれ以上に強かった。決闘は立木の勝利で終わり、その結果が気に食わない者たちが“あずまや”にてたびたび絡んでくるようになった。そのため、立木はこの“あずまや”からしばらく距離をとるようにしていたのである。
立木の敵は大岩だけではないということなのだ。
じりじり詰め寄る屈強な男たちを前に、立木は懐に隠し持つ拳銃へ手を伸ばした。
「やめろ!」
カウンターの大男、つまり店主の富久田が吠えた。その迫力に男たちがひるむ。
「店ん中ではしゃいでんじゃねえ! 特に大岩、てめえはガキか! 何度同じこと言わせんだ!」
口元から血を流しながらよろよろと立ち上がった大岩は、富久田と立木を睨み、口に溜まった血反吐を床に吐き捨てて店を出ていった。取り巻きたちもその後を追う。
「立木も立木だ! いい歳こいていちいちボンクラ共にイキってんじゃねえ!」
矛先を向けられた立木は、肩をすくめてみせて椅子へ腰をおろした。怒りの治らない富久田はカウンターへビールがなみなみ入ったピッチャーの底を叩きつける。立木は澄ました顔で礼を言ってピッチャーを受け取り、ふてぶてしくもつまみを一皿追加で注文した。
何事もなかったかのようにビールを味わう立木の背中を、振り上げた拳の行き先を失ったベンダーたちが睨みつけている。
険悪な空気が店内にわだかまる中で、一人の男が現れてベンダーたちへ両手を上げて怒りを抑えるよう促し、立木の隣の席に座った。
「そんなに怒るなって。楽しく飲もうぜ。ただでさえこの間の富士の騒ぎで人が少なくなってるってのに」
その男は呉という名の傭兵であり、この地域のベンダーの顔役であった。
「俺の顔に免じてさ、頼むよ。一杯おごってやるから」
呉はベンダーたちのメンツを潰さぬよう、懇願するという体裁でなんとか場を鎮める。
呉は腕っ節に加えてマネジメント能力や交渉力にも秀でている、優秀な男である。生来のリーダーシップと人望によって調停役を任される事も多く、“あずまや”に出入りするベンダーたちは呉に頭が上がらなかった。
「すまんな」
店長が呉に詫び、彼のためにボトルを一本開ける。立木も注文した皿を呉の前へ寄せた。騒ぎを収めるために、呉へ泥をかぶることを頼んだのは店長であった。
不愛想な中年女性の店員が、大岩が床に吐き捨てた血反吐をブラシで雑に拭き取っていった。
呉はもともと上陸軍の将校であったが、自衛軍の捕虜になり、その後紆余曲折を経てこの地へ流れついた変わり種のベンダーである。
上陸軍を出身とするベンダーは少なく、呉も当初は周囲から警戒されていた。上陸軍の残虐さは自衛軍や警察軍の比ではなく、そこに属していた者を恐れ排斥することは、当たり前の話ではあった。
呉は世間の風当たりにもめげること無く、積極的に住人たちや同業者に絡んでいった。そして人当たりの良さや誠実さを示すことにより、最終的に人々の信用を獲得していったのである。
もちろん呉の正体は上陸軍の潜入工作員であり、自衛軍や警察軍に対する暗殺や破壊工作などの活動を密かに行なっている。シンプレックスは彼の素性を把握してはいるが、組織のルールを侵さない以上は締め出すこともできずにいた。
白けた空気が漂うカウンターへ、店の奥から若い男が声をかけた。
「オヤジ、勘定」
「……はいよ」
「あと、カリカリ一袋」
「わかったわかった」
冷え冷えとした店内の雰囲気に全く物怖じせず声をあげたその若い男は、店長から手製飼料が詰められた巨大な紙袋を受け取ると、金を支払い、店を出ていった。
彼、御手は陰気で大人しい男だ。誰ともつるまず、いつも店の片隅で甘いケーキやパンをついばんでいる。彼は自宅の飼い犬たちにのみ心を許しており、店には長居しない。御手が“あずまや”に通うのは、ベンダー同士の交流のためではなく、愛犬たちの飼料を調達するためであった。
あまり立木とは接点の無い男だが、孤立した実力者というポジションは共通していた。
「おやっさん、お、俺にもカリカリなやつを……」
続いて店長に声をかけたのは、病的にやせ細った男だった。目の下の隈や白髪の混じる髪により高齢に見えるが、実際は立木と同年代である。
「金はあんのか」
店長の冷たい返答を受けて、やせ細った男はヨレたカバンから札束を取り出してみせた。
札束を検めると、店長はやせ細った男の足元へ鍵を一錠無造作に放った。男は鍵を拾うと、そのやつれた容貌からは信じられないほどの素早さで店の奥まった場所にある扉へ駆けて行った。
そのやせ細った男、一宮は殺人フリーク、並びに拷問マニアのベンダーであり、重度のヤク中でもあった。彼のいうカリカリとは、犬の餌などではなく覚醒剤のことを示していた。
“あずまや”の出資者の多くはヤクザのフロントであり、そのために店内では麻薬の取引スペースも設けられている。彼が店長から受け取った鍵は、その取引スペースへの扉を開けるためのものである。
一宮は戦闘薬の打ちすぎにより半ば廃人と化しているが、しかしタチの悪いことに彼は相当に腕の立つアビエイターでもあり、自衛軍を追い出されてからは傭兵家業にて薬物を購入するための費用を稼いでいた。
一宮は震える手で取引スペースへの扉の鍵穴に鍵を射し込もうと試み、しかし滑り落としてしまう。床に転がった鍵はテーブルの影へ隠れ、見えなくなった。一宮は泣きながら床に這い蹲り、鍵を探す。店内は静まり返っている。一宮の惨めな姿を笑うベンダーはいない。彼が癇癪をおこせば、そこは血の海となることを傭兵たちは知っているからだ。店長の一宮に対するぞんざいな扱いに、ベンダーたちはいつも胆を冷やしていた。
一宮を嗤うベンダーはいない。しかし、哀れむベンダーならば、一名だけ存在する。
その慈悲深い男は、一宮の取り落とした鍵を拾ってやると、彼へ手渡した。一宮は満面の笑みでガクガクと頭を上下に振りながら男に礼を言い、今度こそ扉を開け、取引スペースへ入っていった。
鍵を手渡してやった男は、薬物に支配されている一宮の悲しい人生を想い、聖句を唱えて短く祈る。
「にゃる、しゅたん、にゃる、がしゃんな……」
父なる存在に一宮の幸いを願ったその慈悲深い男、倉根はベンダーであると同時に聖職者でもあった。
倉根は自身のテーブルに戻ると、食事を再開する。彼は宗教上の理由により酒を飲まない。今日の糧を得られたことを神に感謝し、倉根は肉の入っていないスープを口にした。
古来より、兵士は信心深いものだ。
老人や病人、貧しい者、孤独な者、そして兵士などの、死の瀬戸際に生きる者たちにとって、信仰の安らぎは富や名誉よりも重要な糧なのだ。
立木にも神に縋る者たちの気持ちはよく理解できていた。来世や死後の世界という概念が、どれほど人生の励みになることか、理屈以上に感情で知っていた。信仰はいつの世も必要とされているのだ。貧困と争いがはびこる弱者たちの世界ならば、なおさらである。
信仰を持つ兵士は多く、その中には倉根のようにうろんな新興宗教にのめり込むものもいるが、実は純粋なクリスチャンのベンダーは多くない。日本は未だに仏教国であるのだ。
店内では、薄汚い飲み屋に似つかわしくない上品なピアノの旋律が流れているが、その弾き手のユーバーは“あずまや”常連客の中では唯一のクリスチャンである。音楽に疎い立木はその曲目の詳細を知らなかったが、淀みなく鍵盤を叩くその手腕が、人並みならぬものであることは察することができた。
ユーバーは人間のクズだが、音楽に対してだけはシリアスだった。立木は彼のそういう生き方を少しだけ羨んでいた。
ピッチャーを一杯開けたところで打ち合わせの時間となり、立木は席を立った。




