#22.5 酔死夢生
治安隊のKRVアビエイターである村田と吉野は同期の桜であり、その付き合いは長い。二人とも二十代半ばの若者ではあるが、両者とも正規の訓練を受けただけあり、平均的なベンダーを上回る経験と技量を有していた。
短気で粗暴だがどんな苦境も力づくで乗り越えるパワーを持つ村田と、つっけんどんで無愛想だが理知的で優れた判断力と決断力を持つ吉野。対照的な二人だが、だからこそお互いに欠けているものをフォローしあい、今日の今日まで生き延びてきたのである。
朝の港町。雑踏と喧騒。海から漂う潮の匂いと、ひしめく屋台から立ち上る蒸気が混じり合い、夏の青空に染み込んでいく。汚染物質でどす黒く染まった水面も、今は陽光を受けてきらきらと輝いている。
海運に携わる屈強な男たちが、一仕事を終えて朝の大通りを闊歩していた。かつて漁業で栄えたこの街は、今は各勢力へ分配される物資を陸揚げするターミナルに生まれ変わっている。内戦のただ中にありながら街には活気が満ちており、その様子はかつての平和で豊かだった古い日本の面影を色濃く残していた。
「金が足んねえじゃねえか!!」
不意に、男の怒声が街の一角を不穏に震わせる。
比較的治安の良いこの港町にも不届き者はいる。食い逃げや暴力沙汰などは日中からそこかしこに見ることができるし、罵声や怒号も常にどこかしらから聞こえてきた。
ただし、先ほどの怒声は、食い逃げなどを咎める声ではなかった。
「看板の金額はこれで足りてるようだが」
「そんな話はしてねえだろ!!」
屋台の軒先で、アビエイタースーツの上にボロを纏った二人組の若い男たちが、大勢のチンピラに絡まれていた。二人組の内の、背が高くメガネをかけている方が冷静に対応しているが、チンピラたちは理不尽に威圧するばかりである。
つまり、それはボッタクリ屋台によるカツアゲの現場であった。
「金がねえなら他のもんで払ってもらわねえとな」
奴隷になるか、内臓を売るか、ということである。
チンピラの背後、屋台のカウンターで、店主の老人がニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。
二人組の片割れ、角刈り頭でずんぐりむっくりした体躯の男が、アビエイタースーツの懐へ手を伸ばすも、メガネをかけた方がそれを制止する。
「やめとけ、弾もほとんどないんだぞ。それに騒ぎを起こして夕映会の連中に嗅ぎつけられたら」
「何コソコソしてやがる!!」
なかなか金目の物を出さない二人組に業を煮やし激昂したチンピラの一人が、大ぶりのナイフを抜き放った。二人組の男たちが揃って身をすくませる。
チンピラはナイフを振りかざしながら威嚇した。
「死ぬか? お前ら死ぬか? おいお前……あれっ」
チンピラの手からナイフがかき消えた。
「コラッ! 喧嘩は、メーッ!!」
甲高い男の声が響く。
チンピラの背後には、貧相な体つきの、薄汚れたツナギの男がナイフを振り回しながら叫んでいた。その両目は左右別々にあらぬ方向を凝視し、コメカミには青筋が走っている。
誰が見ても紛うことなき狂人であった。
「なんだこいつ、気持ちわりい」
チンピラが後ずさる。二人組は、チンピラたちが狂人に気を取られている隙に、コソコソと距離を取り始めた。
狂った男は頬を膨らませ、奇妙なうめき声をあげてチンピラたちを威嚇する。
「ムーッ!」
「うるせえよ!」
唸る狂人の頭上に、傍らのチンピラが鉄パイプを振り下ろした。
火花が散り、耳をつんざく金属音が街の一角に響き渡る。遠巻きに見物していた通行人たちから、悲鳴とも歓声ともつかない叫びが漏れる。
鉄の焼ける臭いがわずかに漂った。
チンピラはまず鉄パイプに手ごたえを感じなかったことに違和感を覚え、同時に目の前の狂人に何の外傷も無いことを不可解に思った。鉄パイプと狂人の間合いの目測を誤ったのかと考え、手元の鉄パイプを見やる。
チンピラの鉄パイプは、柄から上が消滅していた。断面は赤熱化しており、鉄パイプの上半分が恐ろしい速度で切り飛ばされたことを示唆していた。
不意に、チンピラの視界の端から銀色の光が差し込む。そして暗転。眼球に激痛が走った。
「ウワーッ!」
チンピラは両目から鮮血を噴出させながら地面へ倒れこみ、鉄パイプを放り出して七転八倒する。
「く、暗い、真っ暗だ!」
苦しみもだえるチンピラの周りで仲間たちがおろおろと右往左往し、顔を見合わせたり見物人を威嚇したりしている。
「目が、目がぁ」
狂人は転げまわるチンピラへ冷たいまなざしを向け、彼の眼球を切り裂いたナイフを手元で弄んでいた。そして幼児に言い聞かせるように、穏やかな口調でチンピラたちへ声をかけた。
「暴力はいけないよ。わかったね」
もちろん、チンピラたちはキレた。手段は判然としないが、目の前の狂人が仲間を傷つけたことは彼らにも理解できたからだ。よくよく見れば、狂人の手には仲間が持っていたナイフも握られている。いつの間にくすねたのだろう、卑しい泥棒め、とチンピラたちはますます激昂した。
チンピラたちは、殺気立って各々得物を振りかざしながら狂人へ詰め寄る。
「よせ!」
怒声が轟き、チンピラたちは動きを止めた。
「やめろ、マジやめろお前ら」
観衆たちをかき分け、強面の大男がチンピラたちに血相を変えて早足で歩み寄る。
「遠津さん、どうしたんすか」
チンピラが訝し気に大男と向き合う。
この遠津という男は立木の同業者であり、実力的には凡庸な男だが、その強面から地域の無頼漢たちの世話役も担っていた。
遠津は不満げなチンピラを押しのけ、狂人へ向かって頭を深々と下げた。
「すいません枯野さん、こいつらわかってないんで」
遠津のしおらしい態度にチンピラはざわめく。遠津は世話役とはいえ、そのメンタリティはチンピラたちと大差はない。あらゆるトラブルを威圧と暴力で踏み越えてきた遠津が、みすぼらしい狂人に頭を下げたのだ。チンピラたちは動揺した。
「こいつら、あとでワビ入れさせますんで、ここはどうか見逃してください」
「まあ、遠津くんの言うことならしょうがないね」
「申し訳ありません」
「でもこのおじいちゃんは駄目だな」
枯野なる男は屋台の店主の老人へ向かってナイフを投擲した。ナイフは老人の額へ縦に深々と刺さり、背後の傾いだ電柱へ縫い留める。右脳と左脳を繋ぐ脳梁を分断された老人は、血涙と鼻血を滾々と流しながら四肢をてんでバラバラに振り回し、観衆に奇妙なダンスを披露した。
街のこの一角は遠津の縄張りであり、ボッタクリ屋台は遠津の舎弟であるチンピラたちのシノギであった。
しかしこの区画の本来の地主は枯野である。遠津は枯野のお目こぼしを受けて“常識の範囲内”で、店屋から上納金をせしめる、不躾なおのぼりさんを締め上げる、表ざたにはできない金品を取引するなど、少々後ろ暗いビジネスに携わることを許されているのである。
今回は、遠津の舎弟たちが、無法を働いていない二人組を標的として流血沙汰を起こそうとした。それは枯野の定めた暗黙のルールを逸脱した行いであり、ゆえに彼らは制裁されたのだ。
遠津が割って入らなければ、チンピラたちは全て枯野に粛清されていただろう。
「で、そこの二人」
騒ぎに乗じ、群衆に紛れて忍び足で歩み去ろうとする二人組の背に、枯野が声をかける。
振り返った二人組の眼前で、枯野の輪郭が不意に揺らぎ、眩く光輝いた。そして次の瞬間には、全く異なる容貌の、二人の男がその場に立っていた。
「こんにちは!」
一人は、満面の笑みを浮かべて二人組にあいさつをする、薄汚れた作業着の男。
もう一人は、二人組が見知っている酷薄な商売人にして東田の協力者“枯野”。
「お前ら、東田が取り込んだ治安隊にいた顔だな」
二人組の男、つまり地下街から命からがら逃げだした村田と吉野は、あまりにも唐突な邂逅に凍り付いた。狂人が発光したかと思うと、作業着の男と、治安隊を捕らえて夕映会に引き渡した枯野に、アメーバのように分裂したのだ。困惑しないはずがなかった。
遠津は、埴輪のような顔で並んで立ちすくんでいる村田と吉野の前途を心の中で祈りつつ、暴漢たちをどやしつけながらその場を後にした。
治安隊第三分隊は、隊長である多井が小林に殺害されたことにより瓦解した。
治安隊のKRVアビエイターである村田と吉野は、東田の扇動によって夕映会の男たちから制裁されかける。しかし、二人が男たちによって地面に引き倒されたその瞬間、付近のエレベーターが崩落し、一帯が瓦礫の山に飲み込まれてしまう。その結果として、村田と吉野は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した地下街の混乱に紛れて夕映会からの脱出を果たしたのである。
村田と吉野は、矢野たちが多井を殺害したことで危機に陥ったが、その危機から脱するチャンスを得たのも、矢野たちがKRVにてエレベーターシャフトを破壊したためであった。皮肉というにはいささか短絡的すぎる巡り合わせではあった。
そして、村田と吉野は自衛軍領へ帰還することもできず、中立地帯である港町でさまよっていたのである。
第一分隊か第二分隊に拾ってもらうという手もあったが、それは見送った。碌な目に合わないことが分かり切っていたからだ。
部下という立場からしてみれば、多井少尉は良い上官であった。公平で、寛容で、腕っぷしもたつ。
対して第一分隊か第二分隊の指揮官は、能無しではないが、威圧と暴力で目下の者を使い潰して成果を得る、古典的なクズ士官であった。権力の振るい方を良く熟知しており、身の回りを茶坊主と太鼓持ちで囲わせて立場を築く堅実さの一方で、富士基地内でも発言力があった多井少尉のおこぼれを狙って夕映会との癒着も行う小狡さもあった。
ああいう上官が外様の部下をどのように扱うのか、軍隊暮らしが長い村田と吉野は容易に想像がついた。
そういった判断の結果として誰にも頼れず放浪を続けていたが、その結果として二人は枯野に捕捉されてしまったのであった。
枯野KRVサービスという整備工場の応接室で、村田と吉野は後ろ手に拘束されて地べたに座らされていた。二人の頬や顎には、無数の痛々しい青あざや切り傷が刻まれている。
「俺ら、いつも誰かに捕まってるよな……」
村田が暗い顔で呟いた。
二人の眼前には、ソファに腰かけた東田の協力者“枯野”が、弄るような酷薄な目つきで彼らをねめつけている。その“枯野”の傍らには整備士を名乗る狂人の“枯野”が、さらにその隣には、村田と吉野をボコボコにして拘束したアビエイタースーツの男と、整備工場へ赴く途中で合流した白衣の女が、興味深げだったり退屈そうだったりと各々の態度で二人を見下ろしていた。
「脱走兵は死刑だ。兵隊なら良く知ってるよな?」
東田の協力者“枯野”が口を開いた。
「しかも今回は二度目だ。言い訳できんよなあ」
「あの老人の、東田のモノマネか? よく似てるじゃないか。口のひん曲がり方とかな」
吉野が減らず口を叩くが、その顔色は青ざめてた。
「やったあ! 褒められちゃったよぉ!」
整備士が狂喜し、興奮のあまり鼻血を噴射しながら、カウンターに備えつけられた花瓶やコーヒーサーバをスパナで滅茶苦茶に破壊し始める。
狂乱する整備士を横目に、東田の協力者“枯野”はおもむろにタバコへ火をつけて咥えた。
二度の脱走、つまり自衛軍と夕映会を裏切って逃げ出した件についてだが、それは村田と吉野とて自分から望んで行動したわけではない。
自衛軍を裏切ったのは東田から脅迫されたためである。そして夕映会から逃げ出したのは、そもそも東田が村田と吉野をスケープゴートにして場を収めようとしたためだ。どちらにしても、生きるためには選択の余地はなかった。
しかし、どのような理由があったにせよ、二人が裏切者であり、生殺与奪権を枯野が握っていることには違いが無い。
“枯野たち”に手も足も出ず袋叩きにされて拘束されてしまった村田と吉野だが、このまま素直に死を受け入れるつもりもなかった。命ある限り抵抗すれば、もしかしたら二人の内、一人だけでも生き延びるチャンスを得られるかもしれない。村田と吉野は顔を見合わせ、お互いの意思を無言で確認しあう。
悲壮な決意を交わす二人に、枯野は苦笑しながら声をかけた。
「早合点するな。死刑云々はちょっとした冗談だ。俺は夕映会でもなんでもないから、あんた達を裁く理由なんてない」
枯野はタバコをふかし、言葉を続ける。
「俺は、あのチンピラどもからお前らを助けてやったんだぜ? ちょっとは感謝してくれてもいいだろ」
「もう少し上品に連れてきてくれれば、そりゃ一杯おごるくらいはしたさ」
村田が血の混じった唾を吐き捨てながら言い返す。
それを聞き流し、枯野はスパナを振り回す整備士に声をかける。
「二人にプレゼントを進呈してやってくれ」
整備士とアビエイターが、村田と吉野を地べたへ俯せに引き倒し、アビエイタースーツの上から金属製の首輪を嵌めつけた。
「この首輪は爆弾だ。俺らが起爆スイッチを押すか、あるいは無理やり外そうとすると爆発するぞ」
村田と吉野は地面に転がったまま唖然と枯野を見上げた。
「わかるか? 俺に逆らうとお前らは死ぬ。シンプルだろ?」
わかってたまるか。村田と吉野は涙目で呟いた。
「“俺ら”は沢山いるが、それでも人手が足りない。だから、お前らに手伝って貰いたいんだ」
こうして、栄えある治安隊KRVアビエイターだった二人は、市井の零細ブラック事務所枯野KRVサービスの小間使いへなり果てたのである。
昼時。
村田と吉野は整備工場の一角に備えられた倉庫の前に佇んでいた。倉庫は六畳一間ほどの小さな掘立小屋で、窓の一つもなく、歪んで隙間だらけだった。ここが今日から二人のねぐらとなる。
「じゃあ、明日までにこれ、覚えといてね」
白衣の女が村田と吉野へ六法全書より分厚いKRVシステムの仕様書を手渡す。ペーパーメディアのマニュアルを読むことなど訓練兵以来であり、その物理的重量に二人は辟易とした。
仕様書の表紙には、青地に白で“KRV AUTOMATON”とだけ印字されている。ページを捲れば小さな書体で英文がびっしりと紙の上を埋め尽くしていた。
「米軍のシステム……?」
「英語はわかるよね」
「いや、あんまり」
「じゃあ勉強してね。明日までに」
白衣の女とアビエイターの男は去り、整備士は己の仕事に戻った。二人の前には、東田の協力者だけが残された。
吉野は仕様書を閉じて、“枯野”を見据える。
「あんた、何者なんだ。光ったり、分裂したり、しかも米軍のシステムって? 普通じゃないだろ」
枯野は肩をすくめたり頭を掻いたりしながら唸っていたが、やがて口を開いた。
「分裂したのは、あれだ、立体映像だ。立体映像で分身したみたいに見せかけてるんだ。そういうことにしとけ」
枯野は早口でまくしたてると、首輪の起爆装置をちらつかせながら、二人を掘立小屋の中へ押し込んだ。
「さあ、大人しく入ってな。仕事さえしてれば生かしておいてやるから安心しろ」
扉が閉じられ、小屋の外で鍵がかかる音が響く。
「立体映像ってなんだよ……」
吉野も、未来を舞台にしたSF映画などで、そういう類いのガジェットが出てくることくらいは知っている。水蒸気などに投影することで疑似的に再現する技術があることも、耳にしたことはあった。しかし実在するなどとは……。
小屋の中には、脱出に役立ちそうな道具も、食料や飲料水もない。小汚いおまると、襤褸切れのような毛布だけだ。あとは砂埃と紙屑くらいしか見当たらない。
「実家に帰りてえな、吉野。母ちゃんのカレーが食いてえ」
「ああ、そうだな村田。付き合ってられんよ、こんなこと。どいつもこいつも」
吉野は分厚い仕様書を投げ出し、襤褸の上に寝転がった。
村田は仕様書の上に腰かけ、首輪爆弾をひっかく。頑丈なアルミ製の首輪は、指先で引っ張った程度ではびくともしなかった。
ノーエはまだまどろみの中にあり、アルゴスは役目を捨てた。多くの船たちは腹に財宝を抱えたまま水底で永遠の眠りについている。
しかし、枯野の手には託されたミームが残されている。
ミームはジーンより生まれいずるものである。
ジーンの方舟がヒトならば、ミームの方舟はヒトが生み出したヒトでなければならない。枯野の船はそうしたモノの内の一艘である。
そして枯野の船には、方舟の慣例に習い、ひと番いづつミームが積載されたのだが、これが良くなかった。
そう、とても、良くなかったのだ。
ミームは番いにしてはならない。
義人たちは戒めとした。




