#22 罪
治安隊第一分隊の指揮官は哀れなほどに狼狽していたが、部下たちから向けられる視線を察し、すぐさま平静を取り繕う。装甲車に設けられた簡易指揮所の中は、獲物を取り逃がしたことと静岡情保隊の介入を受けたことで、淀んだ空気が漂っている。負け戦の空気だ。指揮官は部下の士気を取り戻しモチベーションを鼓舞すべく、背筋を伸ばして声を張り上げ、井上との通信に臨んだ。
「加勢は感謝する。しかし、小林軍曹はもうあなたの部下では無い。研究部のスタッフだ」
<おお、そうでしたな>
小林の現在の所属は、書面上は矢野と同じシステム研究部となっている。
<しかし、反逆者は我々軍人にとっての共通の敵であることには変わりはない。そうでしょう>
第一分隊の指揮官は舌打ちをして、レーダー画面上に映る矢野と小林の41式の位置を探る。二台はこの装甲車よりすでに五キロ以上離れた位置にいた。
「我々は非公開作戦を遂行中である。部外者の干渉は控えていただきたい」
<いやあ、そうなんですか? そりゃ失礼しました。知らなかったもんで>
指揮官の威圧的な物言いにも動じず、井上はのらりくらりと返す。暖簾に腕押すような問答に、第一分隊の指揮官は焦った。井上の要領を得ない対応は時間稼ぎだ。自分たちを摘発するために静岡基地本部の治安隊がいつ現れるのかと考えると、指揮官とその部下たちは浮き足立つ思いだった。
井上が搭乗している指揮車両は、治安隊が展開している物流センター跡地から数キロメートル離れた廃屋の庭に待機している。その指揮車両に座する井上が、第一分隊の指揮官と腹の探り合いをしている一方で、静岡情保隊のKRVは矢野と小林に接触していた。
半壊した高架道路のふもとにて、矢野たちが搭乗する二台の41式と、情保隊の三台の34式が対峙している。三台の34式は機関砲を41式に突きつけ、油断なく様子を伺っていた。
情保隊の34式の一台が拡声器にて矢野たちに投降を促す。
<治安隊のいう通り、君たちには叛逆の疑いがかかっている。警務隊に身柄を引き渡すから、速やかに機体を降りなさい>
「ど、どうしよう!?」
井上と治安隊の指揮官のやりとりを表面的にしか理解できない矢野は、情保隊からの呼びかけを、追っ手が増えた、と素直に受け取り、怯えた。
一方、情保隊と治安隊の相克を知っている小林は、井上の思惑を察する。井上は治安隊のおかしな動きを察知し、それを追求しようと動いているのだ。治安隊は矢野たちを問答無用で攻撃して来たが、情保隊は二人の身柄を確保しようとしている。治安隊と情保隊は、矢野たちの処遇を巡って争っているのだ。
<投降しましょう、少尉>
なぜ、と矢野が問いかける間も無く、小林は41式のハッチを開けて身を乗り出した。
あっさり投降した小林と、彼女に説得されて機外へ出る矢野。その二人を静岡情保隊の隊員たちは保護すると、輸送車に乗せて速やかにその場を去った。
第一分隊の指揮官は、遠ざかっていく情保隊の輸送車の機影をレーダーで追いながら、口角から泡を飛ばして井上に吠えた。
「彼らはこちらで連行すると言っているのだ!」
<いやいや、それには及びませんて。軍の反逆者の摘発なんて、治安隊の方々の仕事じゃありませんからねえ>
井上のいう通り、軍人の犯罪への対処は警務隊の領分である。治安隊がKRVを持ち出して独自に対応する筋合いなどない。
<じゃあ我々も退散します。どうもご苦労さんでした。うちの小林に疑いをかけた詳しい経緯はまた今度きかせてください。たっぷりと、納得のいくまでね>
井上の言葉に第一分隊の指揮官は一言も返すことはできなかった。治安隊のKRV部隊は、押し黙ったまま背を向け、夕闇へ飛び去った。
矢野と小林は、今度こそようやく危機を乗り越えたのだ。
霧深い山中にたたずむ廃棄された別荘。
そこは交通の便も悪く、ゲリラやヤクザも目をつけないような廃屋として偽装されているが、実際には井上たちが個人的に所有しているセーフハウスであった。静岡情保隊はKRVなどの大型機材を公的には有していないことになっており、34式などの隊員の“私物”はこのセーフハウスの倉庫に隠匿されていた。水道や電気などのインフラも、独自に貯水タンクや発電機を設置することで賄っている。
そのセーフハウスへ矢野と小林は連行され、静岡情保隊の保護と監視の下で匿われることとなった。
未だに震えが止まらない矢野の肩を支え、小林は宛がわれた部屋へ入る。その部屋は寝室のようで、室内には二つのベッドと化粧台のみが置かれていた。
二人に続いて禿頭の中年男性も寝室に現れる。井上であった。井上はベッドへ腰掛けてうなだれる矢野へ水の入ったグラスを渡した。
「大丈夫かい? 災難だったなあ、軍隊の犯罪に巻き込まれて」
矢野は虚ろな瞳で井上の顔を見上げ、のろのろとグラスを受け取った。ゆっくりと水を喉へ流し込むが、すぐに噎せて咳き込む。矢野の顔には暴行を受けた際の青タンや傷跡が痛々しく刻まれており、この数時間で十年は老けこんだように見えた。
井上は、矢野の咳が止まるまで彼の背をさする。
「ひでえ目にあったよな。でも、もう大丈夫だ。俺たちがあんたを守る。安心してくれ」
心強い井上の言葉に、矢野は涙を流しながら何度も頷いた。
食事をし、シャワーを浴びて一息ついた矢野は、小林から情保隊と井上の思惑についての説明を受けた。情保隊は治安隊と夕映会の癒着を察知し、彼らの摘発に動いているという話に、矢野は感心しきりであった。
「井上中佐は私たちが静岡空港のテロで死んだという富士治安隊の報告に疑念を抱き、富士基地の警務隊に治安隊の動向を問い合わせたんだそうです。それで、第一分隊が軍の領地の外で不審な動きをしていることを知り、あの場に駆け付けたと」
「井上中佐か。そんなすごい人が基地にいたなんて、映画みたいだ」
矢野の無邪気な賞賛に、小林は言葉を濁してあいまいに頷いた。小林は静岡情保隊が冷や飯食いであることをよく知っている。その不遇の理由は、ひとえに井上の無能と不運によるものだ。矢野たちと治安隊の居場所を突き止めたのも富士警務隊の手柄であり、静岡情保隊はそれを横からさらっていったのである。富士警務隊に対し、井上が情報の対価をいかなるもので支払ったかは小林には知る由もないが、それは決して安いものではなかったはずだ。
小林は井上が気まぐれに発揮する無謀な行動力の顛末を間近で見続けており、彼を素直に賞賛する気にはなれなかった。
矢野はベッドの上に大の字で寝転がり、瞼を閉じる。すぐ隣のベッドに腰かけている小林の存在を気に掛ける余裕もないほどに、彼は疲れ果てていた。
矢野は、一日であまりにもいろいろなことが起こりすぎて、眼前の状況について深く考える暇もなかった。三度目の正直でようやく安全な寝床にたどり着いたことで、改めて彼は自分の置かれた立場を省みようと考えた。
「あれっ」
矢野の冷えかけた頭に、ふと疑問が沸き上がった。矢野の不意の呟きに、小林が視線を向ける。
矢野は考える。己が撃墜した34式。それに搭乗していたアビエイターはどうなってしまったのだろうか。脱出したようには見えなかったが、大けがでもしたのだろうか。
「あの人は」
もしかして死んだのか? そう続けようとして、しかしその言葉は喉から洩れることは無かった。矢野は、小林から返されるであろう答えが恐ろしかったのだ。
押し黙った矢野の顔を見て、小林が怪訝な顔をする。
矢野の41式は、34式の胴体、つまり操縦席をブレードで粉砕していた。あの有様では、アビエイターはどうあっても助かりようがない。
今日、矢野は初めて人を殺したのだ。矢野はそれを自覚し、ただ茫然と天井を見上げるしかなかった。




