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#20 酉の刻

 二十一世紀初頭における米国の対中戦略スキームが台無しになった理由は、もちろん様々にあるが、その一つとして日本の扱い方を誤ったという点が挙げられる。

 日本は長年にわたって反共の蓋として機能してきたが、いよいよ軍事的な衝突は避け得ない段階に至って、その歪なイデオロギーが足かせとなり国家として実戦に耐えられないことが判明した。米国は早急な日本人の意識改革を行うべく試行錯誤するも、世相の変化に民度が追いつかず、結果として日本社会はいくつもの階級に分断されてしまう。社会の分断は民族の結束を弱め、それが敵対者のつけ入る隙となった。

 そのような混迷した情勢下においても、日本の権益と安全を守るべく孤立無援の中で奔走していたのが情保隊である。情保隊は自衛軍の防諜組織であり、戦前は市ヶ谷の中央隊を始めとして全国に六個の部隊が配置されていたが、現在ではさらに細分化し、各基地には必ず一つの部隊が置かれていた。これは軍閥化した自衛軍が領土の統治を行うための措置であったが、部隊の強引な拡大は人員や装備の質の希釈を招く結果ともなった。

 静岡基地の情保隊もまた、普通科出身者をかきあつめた素人集団であり、警務隊の小間使いのような扱いを受けていた。しかし今に至り、名誉挽回のチャンスを、競合相手である治安隊がお膳立てしてくれたのだ。

「富士の病院には治安隊は来ていないんだな?」

 薄暗く狭苦しい情報管理室で、井上が傍らの副官に確認する。

「はい、病院にも問い合わせてみましたが、そもそも治安隊が来院すること自体聞いていなかったそうです」

 静岡県内の軍病院は富士と浜松にしかないので、静岡空港で死んだ軍人の遺体の搬送先は富士病院となるはずである。しかし、矢野と小林の遺体は運び込まれず、行方をくらませてしまったのだ。

「どういうことなんでしょうね。死体を見せたくなかったんでしょうか」

「あるいは、あの二人が死んだってこと自体が嘘なのかもしれん」

 大井中佐はハゲ頭を掻いた。

 大井は部下に富士基地治安隊の情報を探らせたところ、先日の県東部の動乱の際にゲリラの捕虜となる失態を犯し、査問を受けているが、しかしなぜか処分を受けることなく放免となっていることが判明した。胡乱である。

「ウチの治安隊に動きはないんだな?」

「はい、というか富士の治安隊が空港に出張ってきてること自体知らない様子です」

「稚拙だねえ、俺らも人のこと言えないけどさ」

 大井たちは状況の全貌を掴めているわけではないが、小林軍曹と矢野少尉が富士治安隊による何らかの策謀に巻き込まれたということだけは明らかとなった。

「よその基地の治安隊の思惑に巻き込まれてキャリアに傷をつけられるわけにはいかん」

 少なくとも、矢野が死んだのは情保隊の不手際ではなく、治安隊の働きによるものであるということだけは証明しなければならない。

「富士の警務隊に繋いでくれ」

「治安隊ではなく?」

「そうだ」

 井上は出世のまたとないチャンスを前にし、動くことを決断した。


 傾きかけた日差しのもと、二台の41式が荒れ果てた貧民窟の裏通りを走行していた。

 首尾よく夕映会のアジトである地下街を脱出した矢野と小林であったが、追っ手や地元の武装勢力に攻撃される可能性を鑑み、警戒を解いてはいなかった。二台はできるだけ目立たず移動するべく、アクティブ迷彩を起動した状態で、ジェットエンジンを噴射せず静粛モードのホイール滑走のみで走行していた。しかし、矢野はアビエイターとしては一般民間人と同等の技量と知識しか持ち合わせていないので、頻繁に操縦を誤り路上の廃車やバラックに衝突しては、小林をヒヤヒヤさせていた。

 現在、矢野と小林は、富士基地の救援部隊との合流地点を目指している。治安隊第三分隊の叛逆の件は41式の無線で報告しており、矢野たちの身柄が保護されると同時に、正規の攻撃部隊による地下街の摘発が行われる手はずとなっていた。

 静岡に帰ってきてから様々な苦難に見舞われた矢野と小林であったが、ここに至ってようやく一日を無事に切り抜ける目処がついたのである。

 二人が通過しているこの貧民窟は、自衛軍の城下町と無法な空白地帯の境界線上に位置しており、富士基地とは十キロメートルほどの距離があった。日本が豊かだった時代には、商業施設やオフィスビルが立ち並び賑わっていた地区であったが、今となっては朽ちたビルとバラックが密集するスラム街と化している。それでも数日前までは地元の貧しくも逞しい住民達でごった返していたのだが、富士全域での大規模な暴動に巻き込まれた結果、現在はまばらに死体が転がるばかりの廃墟となっていた。

 反体制組織や自治組織などの武装勢力同士の抗争によるものか、路面や建物には無数の弾痕や爆発跡が刻まれている。区画全体がアスファルトとコンクリートの粉塵にまみれ、灰色に沈んでいた。

 つい数日前に、この場で何百人もの人間が死んだということを思うと、矢野はむなしさと恐ろしさで胃に鉛を流し込まれたかのような不快感を抱いた。

「理解できない」

 41式の操縦席で矢野が吐き捨てるように呟いた。

<矢野少尉?>

「なんでみんな、こんなに殺し合おうとするんだ。なんの意味もなく」

 確かに富士の暴動が残した爪痕は、物理的な意味では深く癒えがたい。だが、この時代の日本においては、暴動やテロもある意味繰り返される平時の延長でしかなく、生き残った住人達はすでに新たなる生活を得るために日常という戦いを始めていた。しかし、基地の敷地内と東京を行き来するだけの裕福な生活を送っている矢野から見れば、その光景は非常にショッキングなものとして目に映ったのである。

 小林のため息が無線越しに矢野の耳に入る。

<矢野少尉、貧しい世界に生きる人々は奪い合うしか無いんです。金も物もないなら奪うしか生きるすべはない>

「だからって、もっと穏当なやり方が……」

 そこまで言って、矢野は言葉に詰まった。矢野も理解しているのだ。略奪も暴力も、あるべくしてあるということを。持てる者が持たざる者に平和と自制を説いたところで、それは傲慢でしかないということを。

 小林もそれ以上矢野に言葉を返すことはなかった。


 しばらくし合流地点である物流センター跡地に到着した矢野と小林は、IFFに表示されている友軍機のシグネチャを確認して胸を撫で下ろした。

 緊張が途切れ、矢野は不意に空腹を自覚する。(帰ったら熱いシャワーを浴びて、腹一杯にメシを食べよう。いや、その前に厳しい取り調べがあるのだろうが、食事くらいは出してくれるはずだ。早く帰りたい……)矢野はすでに事件が解決した気分になっていた。

 半壊した倉庫の屋根には六台の完全武装した34式が佇んでいる。彼らは富士治安隊第一分隊に所属するKRV部隊であり、矢野と小林を保護した後はそのまま地下街の制圧を担うこととなっていた。

 沈みゆく夕日を背景に、34式のシルエットが揺らぐ。

 矢野と小林は要救助者であることを示す信号を送信し、一般交信用の周波数で無線を繋いだ。

「助かったよ、これでやっと家に……」

<なるほど、貴様らが第三分隊から通報された反逆者か>

 矢野の言葉に被せるように、34式のアビエイターが言い放つ。

<武装解除して投降しろ。さもなくば制圧する>

 矢野は口をぽかんと開け、何度も瞬きした。34式の搭乗者の言葉が理解できず、返答もできないまま、喉からあわあわという呻き声ばかりを漏らす。

 反逆者? 誰が? 反逆者は治安隊第三分隊であり、自分たちは被害者だ。これは何の冗談だ。武装解除ってなんだ。武装なんて持ってないぞ。様々な思考が矢野の頭をぐるぐると巡るが、それを整理して言葉に出す時間は残されていなかった。

 小林の41式が矢野の乗機を倉庫の影へ蹴飛ばすのと同時に、六台の34式が発砲した。耳を擘く砲音。砲弾が嵐のようにアスファルトへ降り注ぎ、真っ黒い粉塵が物流センター跡地に渦巻く。

 矢野と小林の苦難は始まったばかりなのだ。

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