#17 宿昔
大学生のころの矢野は、都内のシステム開発企業にてアルバイトを行っていた。
日本に存在するIT企業の多くは中国系やフィリピン系であり、従業員もほとんどが外国人であったが、矢野はそういったアウェーな環境においても屈せず実力を示すことで立場を築いていた。AIDEオペレータが人員の過半を占める昨今のIT業界において、日本人の、それも学生でありながら手打ちでコーディングを行う矢野の技術は、経営者からも一目置かれていたのである。
しかし、単なる一学生でしか無い矢野に、人種の壁を打ち破ることなどできるはずもなかった。
「ヤノ、君はクビだ」
矢野はある日突然事務所のボスから解雇を告げられ、職場から追われた。理由は色々と説明されたが、結局のところ宗教や言語の違いが和を乱すという、そういう話であった。
「すまんな、日本人なんて雇ってると顧客からも取引先からもバカにされるんだよ」
「はっきり言いますね」
「俺は嘘は嫌いだからな」
独占資本主義に退行したこの時代の先進国においては、日本人の多くは貧乏で学がない下級労働者の身分であり、彼らは日雇いの肉体労働やサービス業の末端で食いつないでいた。そのような情勢の中で頭脳労働の世界に乗り込んだ矢野は、ただ日本人であるという理由から、侮蔑され、疎外されたのであった。
矢野は失意のうちに帰省し、直後に東京は核攻撃を受けて壊滅し、その混乱に乗じて中華諸国が上陸した。そして矢野は崩壊した東京へ戻ってきたのである。
東京はひどい有様だった。矢野は人間の死体のグロテスクさや悪臭、人の死にやすさや死ににくさなどを知った。
瓦礫と化した街で、矢野はボスと再開した。オフィスビルの残骸に生き埋めとなっているところを矢野が救助したのだ。
ボスは上海人だったが、母国の所業に怒りを覚えていた。それは人倫を思っての義憤などではなく、ただ単に自分の財産と仕事を破壊されたことへの卑俗な恨みであったが、とにかくボスは中華諸国へ同調する気など一切ない様子であった。
ボスと矢野はコンビを組み、滅亡した東京で食っていくために働き始める。
「商売っていうのは一番乗りが最強なんだよ」
ボスの言い分の真偽は学生であった矢野には図りかねたが、とにかく彼らは瓦礫の山を放浪し、運送や工事、機械の修理まで、金になることはなんでも行う日々を送ることとなった。時にはコンシューマーKRVを運転し、建設などに携わることもあった。後に矢野は、この徒労に等しい労働が、各地でコネクションを築くための営業活動であったことに気がついた。
やがて数ヶ月を経て、食料や燃料の流通が確立し秩序が回復したころ、東京臨時政府が創設された。ボスは再びビルの一室にオフィスを構えるほどには富を取り戻していた。ボスは矢野の他にも、路頭に迷っていた多くの人間を社員として引き入れ、力を増していた。
ボスが作り上げた職場は、フィリピン人、中国人、インド人、韓国人、ブラジル人、その他多数の人種が一緒くたに入り混じり、ごった返す場所だった。そこで矢野は技術者として各業界に名前と顔を売り、社名とともに名声を築きつつあった。
この頃が矢野の人生で最も充実していた時期だったのかもしれない。明日は今日よりも少しだけ豊かになる、人は手を取り合えるという確信がこの頃の矢野にはあった。
そして、崩壊した東京で成り上がる立志伝中の若者として、海外のマスコミから取材を受けた矢先のことだった。矢野は海外に住まう両親からの接触を受ける。
「三津菱の研究所に紹介してやろう」
矢野の親族は一度は見捨てた彼に対し、もう一度利用価値を見出していた。高級官僚や政治家などの権力者である逃げ得組と、現状において機能している数少ない日本企業である三津菱は、社会の再編成を迎えたこの時代においてお互いに強い結びつきを欲しており、様々な形で癒着を推進していた。そこで、矢野も政治の一助として利用されることとなったのである。
矢野も子供ではなかった。一族に対し、利権の歯車となる代わりに交換条件を提示した。
「うちのオフィスに政府との便宜を図ってください」
一族は矢野の要望を飲むことを確約した。
矢野にとって、ボスと育て上げた会社は家族と言ってよかった。血の繋がりよりも濃い結束で結ばれた、本当の家だ。矢野は本当の家を守るために、一族の手先として三津菱へ入社した。
それからほどなくして、東京臨時政府は外国人を狩り始めた。当然の行いではある。東京には現在も工作員が多く潜伏しており、復興を阻害するためにテロ活動を行なっていた。
多くの外国人は一般人であり、ボスのように東京の復興の助けとなった者も少なくなかった。しかし東京政府は、一般人とテロリストを分別するための労力を持ち合わせていなかった。東京政府はあくまで合理的に、外国人を一律に収容所送りにするという、社会の上層から俯瞰すればしごく妥当な施策を行なった。
ボスやボスのオフィスのスタッフもまた連行され、彼らの資産は全て政府に没収された。
「二度あることは三度あるって言うだろ。戻ってきたら、またやり直せばいいさ」
そう言って、ボスは再開と再起を矢野に約束し、収容所の塀の向こうへ消えていった。
矢野は一族や三津菱を介して彼らの解放を政府へ求めるも、聞き入れられることはなかった。
結局、矢野はどこまで行っても一族の手駒でしかなかった。政治の世界から敵前逃亡した前科がある以上、それは当然の結果であると言えた。矢野と一族が交わした交換条件など、履行されるはずもなかったのだ。
ボスも、他の仲間たちも、永久に帰ってくることはなかった。やがて、矢野は諦めた。
矢野は嘘つきを許さない。
時は経ち、2045年9月。中国中央政府と日本臨時政府は停戦に合意し、公的には戦争は終わったことになっていた。
しかし日本国内に領土を築き独自の権益を形成している瀋陽軍陸上部隊は、政府の帰還命令を拒絶した。彼らは対外的に上陸軍と呼ばれ、日本を屈服させるために戦い続けたのである。
自由主義陣営の各国は上陸軍を非難し、連合軍を結成して日本の軍事的支援を行った。その連合軍が拠点としたのが、在日米軍基地のある沖縄と、日本臨時政府が据えられた東京であった。
日本社会における東京政府の立ち位置は微妙だ。
自前の防衛戦力を持ってはいるが、連合軍や国連軍に多くを頼っている。その一方で自衛軍と警察軍の両者と繋がりも深く、立ち回りをしくじれば四方八方から袋叩きにされるリスクがあった。
東京政府の最終的に目指すところとしてはもちろん日本の再統一ではあるが、さしあたっての目標は、上陸軍の排除と、自衛軍と警察軍の掌握とされていた。
頭上で繰り広げられている目に見えぬ綱引きに翻弄されながらも、東京の住民は強かに生きている。そして彼らは、日中停戦合意の破棄を望んでいた。それは、東京へ核攻撃を行った瀋陽に対し報復することを願っているためだ。
戦後の秩序回復の見通しは未だに立っておらず、上陸軍は破滅的な戦いを続けている。
そして日中停戦合意から二年後の今。
矢野は地の底に伏していた。
静岡基地情保隊の情報管理室は、地区警務隊本部の一画に間借りする形で設置されている。
二十名足らずの人員が狭い室内にすし詰めにされ、慌ただしく行き行き交っていた。
その喧騒の中央に座するのが、静岡情保隊司令の井上中佐である。
「小林軍曹と矢野少尉がテロで死んだ?」
「はい。空港へ迎えにやった連中からの報告です」
大失態だ。井上は副官の前で頭を抱えた。
井上は小林を介して矢野を掌握することで、三津菱と、ひいては東京政府とパイプを作ることを目論んでいた。しかし、その目論見は果たされず、逆に井上の立場を危うくさせる結果となってしまった。
「で、二人の遺体は? 引き取り手を探さなきゃならん」
「遺体は空港に居合わせた富士の治安隊が軍病院へ運搬中とのことです」
「なんだそりゃ」
井上は禿頭を撫でた。
「胡散臭いな」
「はい」
静岡基地の人員の死体を、富士基地の治安隊が運搬する。不可解だった。
井上率いる静岡基地の情保隊は、夕映会の跳梁によって軽んじられており、長らく冷や飯食い扱いされていた。しかし、昨今の軍内における不穏な動きは、情保隊に名誉挽回のチャンスを与えていた。
ここで上手く立ち回れば、今回の失点は大金星に生まれ変わるかもしれないと、井上は思い直す。
「病院に先回りして検死に立ち会え。あと富士の治安隊の動きを洗うんだ」
「静岡の治安隊には話は通しますか?」
井上は少し考え、返答する。
「いや、今はいい。必要になったら俺が話す」
井上は室内の部下達に指示を下しながら、自身の今後のキャリアについて想いを馳せた。




