#16 人屋の人々
東田の活動拠点である地下街。その一画に設けられた車庫にて、富士基地治安隊第三分隊所属のアビエイターである村田曹長と吉野曹長は、乗機である41式の点検を行なっていた。
二人は機体に乗降用ラダーをかけ、機体へ手持ちの検査装置をかざす。可動部や機関部にクラックや異物の混入などがないかチェックする。
村田と吉野、そして二人が搭乗する41式は、表向きは訓練のために浜松基地へ出張したことになっている。人員や機材の受け取りに関する書類は、浜松基地に潜伏する東田の同志が偽造しており、二人の真の所在が軍の上層部に露見することはない。
「なあ吉野、俺たち、大丈夫なのかな」
直情型で自信家であるはずの村田の弱気な言葉に、吉野はしばし言葉を失う。筋肉質な村田の肩も、今は頼りなくうなだれている。吉野はうつむき、首を振った後、作業を再開した。
「吉野、なあ」
「隊長の判断だ。貴様も納得済みじゃなかったのか」
吉野の言葉を受けて村田は返答に詰まる。しかし吉野もまた、村田の言いたいことを理解してはいた。
彼らは決断してしまった。軍を裏切り、使命から逃げたのだ。もう後戻りはできない。
治安隊が誘拐してきた男女は、今、東田達による尋問と脅迫を受けている。標的であった男の方はともかく、ついでに連れてこられた女性は、もはや生きてこの地下街から出ることは叶わないだろう。
兵士は教育の過程でプライドや良心を捨てるよう求められる。兵士は、上官が死ねと言ったら死ぬし、飛べと言ったら飛ぶのだ。上官に命令されたのであれば、どのような汚名も責任も粛々と負わなければならない。しかし、限度というものはある。
秩序の守護者を自認していた自分たちが、舌先三寸であっさりとテロリストへ寝返ることとなったのだ。銃を突きつけられて強要されたこととはいえ、呑み込み難いものがあった。
二人は訓練兵の頃からの付き合いであり、苦楽を共にした戦友である。腕っ節で物を言うタイプの村田と理詰めで行動する吉野は、正反対のタイプであったが、しかし不思議と馬が合い、今まで互いに背中を預けて生き延びてきた。どんな苦難も二人揃って乗り越えてきたのだ。だが、ここ数日で、訳も分からぬうちに人生のどん詰まりへ追い込まれてしまった。
地下街の暗闇の向こうから、拷問されている矢野の泣き叫ぶ声が響く。安普請の扉は、尋問室から漏れる様々な音を遮ってくれなかった。
薄汚い独房で、小林は治安隊の男達に組み敷かれていた。纏っていたスーツは破かれ、床に散乱している。
小林が男に蹂躙されるのは初めてのことではない。女が軍隊社会で生き延びるには、そういう屈辱も甘んじて受け入れなければならない時がある。上官や同僚に弄ばれたり、敵に捕らわれ拷問されたりすることなど、彼女にとっては仕事のうちでしかない。
ほとんど反応を示さない小林に腹を立てた隊員が、何度も彼女の顔を殴りつける。これも小林にとっては慣れたことであった。口内に血の味が広がり、差し歯が舌の上に転がる感触を知覚する。
五年前に小林が徴兵された際には、幾人もの同年代の少女達がいた。しかし、今も生き永らえているのは小林ただ一人だけだ。それは、彼女が並外れた適応力と忍耐力を持っていたからに他ならない。
独房の扉の外から響いていた怒鳴り声と泣き声がやんだ。矢野が死んだか、あるいは心折れたようだ。だとすれば、自分だけでも脱出する算段を立てる必要があると小林は考えた。周囲の男達の動向を注意深く観察し、時機を慎重に見計らう。
だが、脱出したとしても、小林は基地に戻ることはできない。自衛軍の内部に戻れば、小林は東京政府から矢野が死んだ責任を追求されるだろう。それは避けなければならない。そうとなれば小林は脱走するしか無いわけだが、しかし彼女は軍の外の世界で生きるすべを知らなかった。生きるためには、また新しい戦い方を覚えなければならない。
独房の外から男達を呼ぶ声がした。
小林に覆いかぶさっていた男達が素早く身を引き、服装を整え、扉を開ける。
独房に男が入ってきた。男は軍服ではなく作業用のツナギを纏っていたが、小林は彼の顔に見覚えがあった。彼は富士治安隊第三分隊の隊長、多井少尉であった。
多井は小林の無残な姿を目にすると、怒り狂って部下達を殴り、怒鳴りつけた。部下たちは直立不動を保ち大声で謝意を述べているが、その目には明らかに不服の色が浮かんでいた。
小林は、多井が部下の統制を失いつつあることを見抜いた。
多井は部下に命じてジャケットを持って来させ、それを床に座り込んでいる半裸の小林の肩にかける。
「すまない。部下がひどいことを。軍人として許されないことだ」
「軍人? あんたたちが?」
小林は口元の血を手の甲でぬぐいながら、多井たちを挑発する。
「治安隊がテロリストに鞍替えなんて前代未聞だわ。あんたたち、歴史の教本に載れるわよ。恥知らずの裏切り者としてね」
小林はこれで多井たちが激昂してくれるのであればやり易くなると考えていたが、彼らは空虚に冷笑するだけであった。
「小林軍曹と言ったか。君の言う通り、我々は裏切り者だ。しかしそれが露見することはない。なぜなら君はこれから死ぬからだ」
多井は無慈悲に告げた。
「苦しませる気はないから安心して欲しい」
その多井の言葉は、恫喝の意はなく、全くの気づかいから発せられたものだった。それは侮蔑に等しかった。
小林は本気の殺気を滲ませた視線で多井を射抜くが、彼は全く気にもとめず周囲の部下達に命令を下す。
「彼女を王子様の元へお連れしろ」
小林は両腕を兵士に拘束され、引きずられるように立ち上がった。抜け落ちた差し歯を頬の内側に含みながら、小林は重い足取りで歩き出した。




