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#14 根の国

 富士騒乱の折、東田に協力するか否かを決めかねた治安隊は、ひとまず基地へ帰還した。反乱分子に捕虜として囚われていたとなれば極刑は免れないと彼らは覚悟したが、しかし富士基地内に潜伏している夕映会の協力者の工作によって、形ばかりの査問と些細な処分を受けるのみで放免された。

 隊長の多井は、虜囚である自分たちを無傷のまま解放した東田の度量と、軍内における夕映会の影響力を認める。結果として治安隊は、己と保身と現体制への不信から、夕映会の一員となることを了承したのであった。

 

 矢野は痩せた背中を丸め、キョロキョロと不安げに装甲車の車内を見回す。

 二つの長椅子が対面する形で設置されている車内では、矢野と小林が中ほどに座り、それを周囲の治安隊の隊員達が監視していた。

 装甲車が走り始めてからすでに一時間以上が経過している。車体の揺れから荒れた車道を走行していることは判断できるが、窓は装甲で閉じられており、外の様子を伺うことはできない。

 ようやく状況のおかしさを認識し始めた矢野は、冷や汗を流しながら隊員達に行き先を訊ねるが、返答は沈黙と冷たい視線だけであった。小林は矢野の隣でマネキンのように押し黙り身じろぎひとつせずにいるが、内心は怒りと焦燥で荒れ狂っていた。

 治安隊に連行されていた矢野と小林は、静岡空港で発生した爆弾テロから避難するため、隊員に誘導されるがまま装甲車に乗り込んだ。その結果がこれである。

 爆弾テロは治安隊が矢野と小林を誘拐するために起こした自作自演の狂言だったのだ。

 やがて装甲車は停車した。後部扉が開き、薄暗い地下駐車場の光景があらわとなる。

「降りろ」

 頭に銃口を突きつけられ、矢野と小林は降車した。

 地下駐車場の奥に進み、いくつも扉をくぐると、その先には巨大な地下道が横たわっていた。

「なんだ、ここ」

 矢野が唖然とした様子で呟く。走行時間を考えれば県内のいずこかであろうことは彼にも予想できたが、しかしこのような大規模地下施設の存在など心当たりがなかった。

「おいおい、矢野少尉だけでいいってのに、女まで連れてきたのか」

 地下道の暗がりの向こうから、複数の武装した男達を引き連れて、作業着を纏った白髪頭の老人が現れた。小林は老人の顔を見るや、目を見開く。

「東田信二……」

「おう」

 東田は野卑な笑みを顔に貼り付け、矢野の前に立った。

「悪いなあ、矢野少尉。仕事帰りにさ。疲れたろ? ゆっくりしてってくれよ」

 状況を理解できない矢野は、目の前でニヤつく東田と傍らで凍り付いている小林を交互に見やりながら、ただ狼狽えるしかなかった。

「東田? あの、最初のアビエイターの東田大尉?」

 KRV技術に携る者として、矢野も東田の名は知っていた。

「大尉じゃない。“一尉”だ。あの頃はな」

 最初のKRV“マーク1”のテストアビエイター、東田信二一等陸尉。KRV戦術ドクトリンの基礎を築いた者として戦史に名を刻み、海外自衛隊やPMCシンプレックスの創設に多大な貢献を果たした男である。

 東田はかつての英雄であり、軍内部にも多くのシンパがいる。しかし、そんな彼も今は一般民間人の身であり、このように胡乱な場所に現れることなどありえるはずがなかった。

 目を白黒させている矢野を一瞥すると、小林は一歩踏み出して東田を睨みつける。

「それで、今回のご用向きは? 軍は我々のために身代金など払ったりしませんが」

「そうかね? あんたはともかく、そっちの兄ちゃんの御身は大切にされてるようだけどな」

 小林は唇を噛む。東田は矢野の素性を知った上で拉致をしたのだ。

「まあ、俺たちは身代金などいらん」

 東田は顎をしゃくり、取り巻きの男達を促す。男達に両脇を拘束された矢野は、引きずられるように地下道の奥へ連行されていった。

 恐怖に慄く矢野のわめき声が地下道に虚しく反響し、消えていく。

「女はお前らの好きにしとけ」

 去り際の東田の言葉に、隊員達は下卑た笑みを浮かべた。


 古来より兵舎とは不衛生なものである。

 自衛軍においても、兵卒は皆等しく、ノミ、ダニ、そして水虫に苛まれていた。何しろ士官ですら、自衛軍が自衛隊であった頃から一度も干されていない毛布を使用することを強いられていたのである。

 翻って、規律に縛られない自営の傭兵の生活は、儲かっている限りは快適ではあった。

 正午の青い空の下、カオリとタダシは洗濯物を取り込むと、ぐしゃぐしゃに丸めて事務所のカラーケースへ押し込んだ。未だに畳むという概念が理解できない状態ではあるが、洗濯の基本的なシークエンスを習得できたことは大きな進歩である。

 ただ食わせるよりも、半ば遊びでもいいから仕事を与えた方が良いだろうという立木の判断で、姉弟は事務所の家事を命じられていた。

「立木、洗濯終わったよ」

「ああ、じゃあ次は勉強だな」

 立木はカオリとタダシに、住居を提供することと引き換えに最低限の学力を得ることを要求していた。読み書きそろばん程度は知っておかなければ、立木の仕事を手伝うことはできない。まずは文字の学習から始め、自力で問題文が読み解けるようになったら足し算引き算を覚えていく、というカリキュラムで進めていく方針だった。

「教科書のこのページをノートに書き写して、声に出して読み上げろ」

 カオリとタダシの勉強のテキストには、先日事務所に押し入ったチンピラ達が落としていった小学生用の国語の教科書を使用している。薄汚れ、ところどころが破けてはいるが、現代日本では希少なアナログ書籍の教科書であり、カオリとタダシの私物の中ではもっとも高価な物品であった。

 立木は納品された砲弾ケースをガレージに運び終えると、事務所の中のカオリとタダシの様子を覗く。二人は教科書に記されていたひらがなの文章を、ヤレ紙とチラシを束ねたノートに書き写していた。

 実のところ、立木も姉弟と同じく義務教育などを受けたことがなかった。両親を失って保護施設に身を寄せていた幼少時は、学校に行くこともできず、工場や農場などで働き続ける生活を送っていた。そのため、姉弟に課している勉強法も正しいのか否か立木には判別がつかなかった。

 立木が高等教育を受けたのは徴兵されてからである。KRV操縦資格取得過程において様々な知識を叩きこまれ、退役後は独学で大学進学を志したが、結局情勢の変化により再招集されて受験することはできなかった。

「そろそろ昼飯にするか」

 シンプレックスプロパー選考参加の申し込みはすでに済ませてあり、立木は強いて仕事を受ける必要は無くなっていた。シンプレックスから受付の連絡が届くまでは暇なのである。

 立木は束の間の休息を味わっていた。


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