#11 妄語戒
地下街の会議室で、治安隊の多井隊長は東田と向かい合った。
「街を破壊することが望みでないのだとしたら、お前らは何が目的なんだ」
隊員たちは猜疑に満ちた視線を東田へ向けてはいるが、彼の返答に注意を向けてもいた。
「仮に自衛軍を転覆させたとして、そのあとはどうするんだ。お前達が支配者になるつもりか」
「まあ、仲間にはそう考えてる奴らもいるな」
多井の言葉に東田は肩をすくめる。自衛軍に成り代わり、この地域を支配しようと目論む者は多い。しかし、そんなことは不可能だ。自衛軍は日本各地に拠点を持っており、富士にある基地はその一つに過ぎない。富士周辺の支配権を簒奪したところで、早晩近隣の駐屯地から援軍が差し向けられて駆逐されるだけなのだ。
「俺らは別に自衛軍の体制をひっくり返そうなんて思ってない。むしろ、この状況を永続したいと考えてる」
東田の言葉は不可解だった。隊員たちは顔を見合わせる。
多井は目線で話しの続きを促した。
「今回の暴動の目的は、まあ、あれだ。憂さ晴らしとか、ガス抜きとか、そういうのだ」
多井は否定も肯定もせず東田の次の言葉を待つ。
「暴動の舵取りをして、自衛軍の体制が崩壊しない程度に羽目を外させるのさ。だから、これはしょせん革命ごっこ、ただの乱痴気騒ぎ、つまり“祭り”だ」
「体制を維持したいのなら暴動などなおさら必要ない」
「必要だよ。自衛軍が権力を維持するには争いが不可欠なんだ」
東田の良い様は明確だったが、治安隊の隊員たちにとってはにわかに飲み込みがたい理屈だった。体制を維持するために暴動を扇動するという東田の言葉は、明らかに矛盾しているように思えた。
そもそも東田は自衛軍のステークホルダーでもなんでもない単なる一市民でしかなく、その彼が自衛軍体制を維持しようと画策する理由が隊員たちには見えてこなかった。
「俺たちが理解できるように言ってくれ」
「ふむ」
東田はしばし言葉を切り、やがて再び口を開いた。
「自衛軍や警察軍はなぜ権力を維持できていると思う? 富士や静岡県中東部に限らず、日本全土での話だ」
東田の質問に多井は考え込む。民衆に必要とされているから、ではないだろう。
かつて、為政者たちの敵前逃亡によって秩序が失われ、上陸軍の脅威が間近に迫っていた時には、自衛軍がもたらした秩序は歓迎された。しかし、現在はそうではない。自衛軍の軍政が多くの人々にとってどれほど憎まれているかということは、今現在発生している暴動の有り様が雄弁に物語っている。
人々から求められていない権力がそれを維持する方法など、多井は一つしか知らなかった。
「軍事力があるからだろう」
「それはそうだが、その軍事力はどうやって維持しているのかって話だ」
多井は東田の言わんとしていることがおぼろげに見えてきた。軍事力を維持するには、当然金が必要だ。もちろん人員も必要だが、先立つものがなくては何もできない。
では、自衛軍や警察軍に金を流している者は誰かと言えば、それは海外に経済基盤を移した権力者たちである。彼らは日本の軍閥に出資し、装備を買わせ、上陸軍と戦わせていた。市民たちからの税収(という体裁の略奪)もあるが、それだけでは防衛費を賄うには全く足りていない。
「上陸軍を制圧するために、金持ちから金が降りてくる。その金で、自衛軍は権力を維持しているということか」
多井の言葉に東田は肯首した。
「そうだ。連中の金のおかげであんたら自衛軍はメシにも弾にも困らず体制を維持できている。上陸軍は自衛軍と警察軍に散々叩きのめされて順調に衰退しているし、もうじき滅びるだろうな」
多井は東田の思惑を察した。一方、治安隊に銃口を向けている難民の男たちは、東田の話を理解しているのかいないのか、無感動な瞳を多井に向けたまま何の反応も示していなかった。
「上陸軍が滅びるのはいいさ。しかし、その後この国はどうなる」
「……再建されるんだろうな。権力者たちが帰ってきて」
「真っ先に責任をおっぽりだしてケツまくって逃げ出した連中が、しれっと帰ってくるんだぞ。俺たちが血を流して必死に作り直した社会の、そのてっぺんに、また図々しく乗っかるんだ」
飄々として本心を明かさぬ東田の顔に、初めて薄暗い感情の影が過ぎった。
「奴らはうまい汁だけ啜って、俺らから根こそぎ奪い尽くして、また危なくなったらとっとと逃げ出すんだろう」
二十世紀の第二次世界大戦にて日本の上層部が無謀な戦争を強行したのは、彼らに逃げ場が無かったからである。敗北を認めれば財閥は解体され、巨大な権益は失われてしまうのだ。財閥の生み出す権益に比べれば、数百万人の国民の命など取るに足らぬものであった。
第二次世界大戦時で得られた教訓を鑑みて、現代の日本の支配層は日本海紛争開戦の兆しを見るや即座に国外へ脱出した。日本国内のあらゆる資産を海外へ移転することで可能な限り損失を押さえたのである。安全保障戦略上、アメリカは日本を維持せざるを得ず、米軍の働きによって戦争が集結したのちに悠々と帰国して権力基盤を再度確保すれば良い、というのが日本を脱した支配層の考えであった。
この日本の支配層の思惑はアメリカ政府も承知していた。日本の支配層はその身勝手な行動を国際社会に容認してもらうことと引き換えに、戦後はアメリカ政府へ様々な便宜を図ることを確約していた。
「自衛軍も警察軍も財閥の資本ででっちあげられたハリボテの権力だ。連中にキンタマ握られてる以上、お前さん達がこの国ででかい顔をしていられるのも上陸軍が息をしてる間だけだろう」
「戦時体制の延命が暴動の目的ということはわかった。だがそれは手段だ。貴様は、最終的に何がしたいんだ」
「日本を作り直す。新しい統治機構を立ち上げるんだ。日本人による軍閥であればなんでも良かったんだが、警察軍では駄目だろうな。あいつらは政治的すぎる。だから自衛軍に伸びてもらうことにした」
自衛軍に浸透している東田の同志達が正当な日本政府をゼロから創造する。そのために、自衛軍には力を蓄えてもらう必要があった。そういう理屈である。
東田の論理は、兵士に最も求められる信念、すなわち愛国心に基づいたものであった。驚くべきことに、東田はこの荒廃した社会で公益を慮って行動を始めたというのだ。
「逆に訊く。お前らはどうしたい? このまま世の中平和になっていいと思うか?」
この時、治安隊の隊員たちが冷静であったならば、東田の言葉には致命的な矛盾が含まれていることに気がついただろう。しかし、彼らは自身の置かれた状況に戸惑い、理性を欠いていた。
東田は畳み掛ける。
「戦争が終われば金持ちどもが帰ってきてお前ら兵隊はお払い箱、下手すりゃ戦争犯罪者で縛り首だ。そんなの嫌だろ?」
隊員たちの心に潜んでいた秩序に対する不信の種が、東田の言葉によって芽生える。秩序を守るために戦ってきたはずが、住民たちに疎まれ、憎まれるという不条理に苦しんできた治安隊。その不条理の原因がここで提示されたのだ。自衛軍の守る秩序は、住民のためのものでも、軍閥のためのものですらなく、日本から逃げ出した裏切り者たちのためのものであったのである。
「俺たちは敵対する理由なんてないはずだ」
不動のものと己自身では確信していた自衛軍への忠誠心と任務への情熱が、隊員たちの中で徐々に傾ぎ始めた。
瓦礫の中でスタックしたタイヤが空転する。運搬車はオフィスビルのエントランスに頭を突っ込んだまま停車していた。
運搬車の運転席では、カオリがギアをしきりに入れ替えて脱出を試みるが、車体はわずかに揺らぐばかりで前進も後退もできない。
運搬車のフロントにはゴロツキたちの生き残りが張り付いており、鉄パイプやら手斧やらで防弾ガラスを殴りつけている。側面の扉や天井のキューポラをこじ開けようと、取っ手を攻撃している者たちもいた。
ゴロツキたちは目を剥き、顔を紅潮させて、運搬車の中にいる姉弟をガラス越しに凝視している。ヤクザどころか貧相な浮浪児が己を殺そうとしていたのだ。男たちが怒りに我を忘れるのも無理はなかった。
「殺す!」
サブリーダーはフロントガラスに拳を叩きつけ、唾を飛ばしながら吠えた。
「出てこいクソガキ!」
運搬車の分厚い装甲は外部の音を直接伝えることはないが、集音マイクを介して拾うことはできた。車内に男たちの怒号が響く。
「お母さん」
姉のつぶやきを耳にしたタダシが、運転席を覗き見る。カオリはうつむき、怯え、泣いていた。心が完全に折れている様子だった。
タダシは考える。無線で立木に連絡を取り、助けてもらおう。タダシは銃座のハンドルの無線スイッチを押した。
しかし、それは無線スイッチではなかった。無線スイッチに偽装されていた発砲トリガーであった。
レーザー銃座の銃口から戦術レーザーが照射され、天井のキューポラを破壊しようと奮闘している男の胴体に風穴を開ける。男は絶叫を上げながら炎上し、運搬車の天井から転げ落ちた。
タダシは踊り狂う人間松明を不思議そうに眺め、そして無線スイッチこそがレーザーの発砲トリガーであることに思い至る。タダシは銃座のハンドルを握りなおし、慌てて逃げ去るサブリーダーの背中へ向けてレーザーの照準を合わせた。
そうこうしてゴロツキたちを全滅させた後、タダシはアウトリガーとクレーンを巧みに使って瓦礫の山から運搬車を脱出させた。そのあいだ、カオリはずっと俯いて震えていた。
いつの間にか男たちが運搬車の周囲からいなくなっていることに気がつき、カオリは息を吐いた。こわばっていた思考が徐々に巡り始め、感情が押し寄せてくる。全身から冷や汗が止めどなく吹き出し、真冬のように歯の根が震える。怖かった。大勢の大人から殺意を向けられるのは、本当に怖かった。カオリは自分の恐怖を自覚した。そして同時に、敵を退けたことへの安堵や達成感による、かつてない充足をも味わっていた。
立木はこの恐怖を常に味わいながら生きている。それは尋常ならざることだとカオリは感覚で理解した。殺し合いを生業にするなど、普通の人間がやることではないのだ。




